元最強、神の思惑に乗ることを決める
歩き去っていく二つの背中を、イングリッドは何とも言えない表情で眺めていた。
結局あの二人はどういった者達であったのだろうかと、そんなことを思っていたのである。
少年が只者ではないというのは言うまでもないことだ。
そして少女の方も只者ではないということは分かるのだが……と、そこまでを考えたところで、首を横に振る。
考えても意味のないことだったからだ。
本人達はただの客人などと言っていたものの、聖女を相手にあんな態度が取れるのである。
言葉の通りであるわけがあるまい。
何やら意味深な会話を聖女としてもいたし、きっともう自分とは関わり合いにならないような人物達なのだろう。
そうと分かれば、思考を切り替えるべきであった。
悪魔憑きによる被害は彼のおかげで抑えられたが、念のため男は経過を見守っておく必要があるのだ。
これは男が再び暴れることを警戒してのものではなく、むしろ男のことを心配してのことである。
悪魔に憑かれた者は、無事祓われた後も極度の疲労などを感じる事があるのだ。
悪魔に体力を奪われるせいだと考えられており、酷い時には一月ほども寝たきりの状態が続いたこともあった。
少なくとも目覚めるまでは見ておく必要があり、いざという時のためにも安静にしていられるような場所へと予め運んでおく必要があるのだ。
そしてそれをするのは、イングリッドの役目であった。
何よりもこの場には聖女がいるのだ。
あまり無様な姿を見せるわけにはいくまいと、姿が見えなくなった彼らから視線を外す。
それから、これからやることを告げるために聖女へと向き直り――そこでイングリッドは、驚愕に目を見開くことになった。
傍らで笑みを浮かべ彼らを見送っていた聖女が、何故だか頭を抱えてその場に蹲っていたからだ。
「ど、どうかしましたか、聖女様……!?」
「……何でもありませんわ。ただ、少しだけ嘆いていただけですの。我が主に向けて、わたくしに恨みでもあるんですのと、心の中で文句を告げていただけですから、問題はありませんわ」
それは本当に問題ないのかと思ったものの、聖女が問題ないと言っているのだから問題ないのだろう。
我が主ということは、我らが神に対し聖女が文句を言っているということになるが……聖女と言えど人の子である。
その程度のことは、我らが神も許してくれるに違いない。
「そ、そうですか……では、いつも通りの作業に入りますが、問題はありませんか?」
「ええ、問題ありませんの。今回は特に被害らしい被害がなく、また周囲に人の姿もありませんでしたから、『処置』の必要もありませんわ」
「っ……はい、分かりました」
その言葉に僅かに唇を噛むも、平静を装って頷くと、動き出す。
そうだ、別に今回は何もなかったのである。
ならば動揺する必要などあるわけもなかった。
そうこうしているうちに聖女も落ち着いてきたのか、溜息を吐き出すと立ち上がり、周囲の検分を始める。
被害がないとはいえ、『侵食』されていないとは限らないのだ。
万が一にも見逃してはならないため、しっかりと調べる必要があり――
「そういえば、あの二人は調べなくてもよかったのですか? 特に少年の方は直接戦っていたのですから、『汚染』されてしまっている可能性があると思いますが」
「んー、あの二人が邪神の力ごときに汚染されるとは思いませんけれど、何にせよ心配はありませんの。後でわたくし達がしっかり調べますもの」
「そうですか……」
考えてみれば、あの二人は聖女の客なのだ。
当たり前のことであり、無用な心配だったなと自嘲の笑みを浮かべながら、男の傍へと近寄っていく。
そうして改めてマジマジとその姿を眺め、感心なのか何なのか、自分でも分からない息を吐き出す。
宣言した通り、その身体には傷一つなかったからだ。
思い切り地面に叩きつけられたりもしていたように見えたが……どんなことをすればこんなことが可能になるのか。
聖女にしか対処出来ないはずの悪魔を倒したりと、本当に謎の多い少年である。
と、そこまで考え、今更のようにイングリッドは一つの事実に気付いた。
そういえば、名前すら聞いていなかったな、と。
恩人の名前を聞くのを忘れるなど何をしているのかと、溜息を吐き出す。
聖女は二人の名前を呼んでいた気がしたので知ってはいるのだろうが……聞くというのも何か違うだろう。
しかし、まあいいかともう一度溜息を吐き出す。
次会う事があれば、その時に聞けばいいことだ。
まあ、一介の聖騎士でしかない自分にその機会が訪れることはきっとないのだろうがと、そんなことを思いながら、イングリッドは男のことを抱え上げるのであった。
その場に戻ったソーマ達を出迎えたのは、何とも言えない腹立たしいような笑みであった。
まるでこうなることが分かっていたとでも言いたげな笑みであり、妙にイラッと来たのだ。
「やあ、お帰り二人とも。待ってたよ。まあそうは言ってもそんなに時間は経っていないんだけど……ああそれとも、お早いお帰りだったね、とでも言った方がよかったかな?」
「……ソーマ、物は相談なのじゃが、事情を聞くなどという生温いことは言っていないで、強引に無理やり聞き出す、という手段を取る、というのはどうじゃ? それならば余計な厄介事にも巻き込まれないで済む気がするのじゃが」
「ふむ……一考の価値がありそうな手段であるな。とりあえず試してみるであるか?」
「やれやれ、キミ達は本当に物騒だね。心配しなくとも、ボクはキミ達を巻き込むつもりはないというのに。まあ、さすがに勝手に巻き込まれちゃったりするのはボクの管轄外だけどね」
「随分とよく回る舌であるな。神は神でも、トリックスター的な神なのではないであるか?」
「んー、真面目に答えるんなら、そういった性質がボクにあるのは否定しないけどね。ただ、生来のものってよりは、必要だから手に入れなければならなかったもの、ってところだけど」
「とてもそうは思えんのじゃがな」
「ま、もう五百年は前のことだしね。ともあれ、それで、二人はボク達の話を改めて聞いてくれるってことでいいのかな?」
そんなことは聞くまでもないだろうに、敢えて聞いてくるソレにソーマは肩をすくめて返す。
あんなことを聞かされた以上は、それ以外の道などあるまいに。
「まったく、神らしい手練手管であるな」
「……こう言っても信じてはもらえないだろうけど、正直に言ってしまえばボクとしてもこれは本当に不本意なんだけどね。だけどこうでもしないとキミはボク達のことを手助けしてくれそうにないし、ボクは死にたくなければこの世界を滅ぼしたくもない。だからボクは不本意だろうとこんな手を使うのさ」
「不本意だというのならばもう少し考えろという話じゃがな。それで、我らは何をすればいいのじゃ?」
「話が早いのは助かるんだけど、まずして欲しいことは既に言ったはずだよ?」
「……? どういうことである?」
「だから、言ったじゃないか。ボク達の話を改めて聞いてくれるんだね、と」
どうやらそれは、冗談で言っているわけではないようであった。
つまり――
「事情をまずは知れ、ということであるか? 正直やることだけを知ってとっとと終わらせたいのであるが……」
「気持ちは分かるんだけど、そういうわけにもいかないんだよね。それに、ボク達がキミ達に話そうとしてるのは、事情ではない……より正確には、事情だけではない、といったところかな?」
「どういうことなのじゃ?」
「キミ達にどうにかして欲しいのは、もう分かってるとは思うけど、端的に言ってしまうと悪魔だ。アレらは世界の触覚であり、腕であり、足でもある。ある意味では世界の意思とでも呼ぶべきものなんだけど……だからこそ悪魔は、世界の法則を基準として動く。そして、誰かと戦う時には、基本的にまずはその相手のことを知るのが常識じゃないかい?」
「つまりは、世界の常識について勉強しろ、と言っているのであるか?」
「端的に言ってしまえばね」
「……全てを知っているとはさすがに豪語出来んのじゃが、それでも我はそれなりに世界のことを知っているつもりなのじゃ。ならば我が不足しているところを覚えてソーマを補佐する、という形でいい気がするのじゃが?」
「基本的にはそう考えてはいるよ? でも、ギリギリの状況の時にキミがその都度アドバイスをするのかい? とりあえず一通りは彼も知っておく必要があると思うけど?」
それは正論ではあった。
全てが正しいという前提の元の話ではあるが……ここで嘘を吐く理由はあるまい。
ということは、ソーマも確かに話を聞く必要があるということだ。
「ああ、ちなみにだけど、世界のことを一通り話すんだから、一日二日で終わるとは思わない方がいいよ? さすがに一年もやるつもりはないけど」
「そんな悠長なことをしていていいのであるか?」
「というよりは、この時間を取るためにこんなことをした、といったところかな? 今ならばまだその時間が取れそうだから、こんな強引な手段を取ったのさ」
「うーむ……というか、世界のことを話すだけならば、別にここに留まっている必要はない気がするのじゃが? 聖女が聖都を長期間空けるのは確かに問題じゃろうが、貴様がいるのならばその辺は何とかなるじゃろう?」
「やろうと思えば出来るだろうけど、意味はないんじゃないかな?」
「何故じゃ?」
「だって、ボク達とは言ってるけど、基本的に説明することになるのはボクだろうからね」
「……は?」
さすがにそれは予想外であった。
今こうして色々と言ってはいるものの、説明をするのはエレオノーラになるのだろうと思っていたからだ。
神から直々に常識を教えられるなど、考えられるわけがない。
「いやだって必然的にそうなると思うけど? 確かにあの娘にも色々と教えてはいるけどさ……結局この世界のことを最もよく知っているのは?」
「……貴様、じゃろうな」
「そういうことさ。まあ世の中には誤って伝わっていたり、敢えて間違って伝えていたりすることもあるしね。あの娘がそれを常識だと思ってキミ達に伝えちゃったりするとまずいことになるかもしれないから、ボクが教えるしかない、ってわけだ」
「……神というのは暇なのであるか?」
「割とね。権能を十全に使えれば色々と出来る事もあるんだけど、今は色々な事情によりそれも出来ないし。まあそれも後で説明することになると思うけど」
神の事情など知りたくもなかったが、そういうわけにもいかないのだろう。
これ見よがしに溜息を吐き出してみるも、ソレはただ笑みを浮かべているだけだ。
「あ、そうそう、これから短くない付き合いになるんだろうから、ボクのことはちゃんとサティアって呼んで欲しいものだね? それとも、先生って呼ぶかい? ボクはどっちでもいいけれど?」
心底楽しげな様子のその笑みを眺めながら、ソーマは肩をすくめる。
そして。
「……これからよろしく頼むのである、サティア」
「……そうじゃな。よろしく頼むのじゃ、サティア」
「うん。こちらこそよろしく頼むよ、ソーマ君、ヒルデガルド」
ソレ――サティアのより深まった笑みに、ヒルデガルドと共に再度溜息を吐き出すのであった。




