元最強、忘れ物を思い出す
現れた姿にソーマが驚く事がなかったのは、単純に気付いていたからだ。
状況を考えれば他にもいるかもしれないと、周囲の警戒をしておくのは当然だろう。
その際ついでとばかりに引っかかった、というわけであり、だがそちらへと視線を向けてみると、何が気に入らないのかエレオノーラは僅かに不満そうな表情を浮かべていた。
「……ところで、一つお聞きしたいのですが、一体いつから気付いていましたの?」
「汝がこの場に現れた時からであるが? というか、いつからというほど前ではないであろう?」
タイミング的には、ちょうどソーマが魔神を倒した直後といったところだ。
何やら様子を伺っているような気配だったため、とりあえず放ってはおいたのだが――
「それなら声をかけてくださればよかったですのに」
「だからかけたであろう?」
「そうではなくてですね……まあ、いいですの。それよりも言うべき事がありますし」
「言うこと、であるか?」
「ええ。――聖都を代表して、お礼申し上げます。聖都の危機を救ってくださり、まことにありがとうございました」
そう言うと、エレオノーラは優雅に頭を下げた。
その姿は下手な貴族よりも貴族らしく、聖都の主として相応しいものであった。
だがソーマとしては大袈裟にしか感じられず、肩をすくめるだけである。
「少し大袈裟すぎるのではないであるか? すぐに汝が来たということは、我輩がいなくとも何とかなったであろう?」
「なったかもしれませんが、ならなかったかもしれませんの。それに少なからず被害が出てしまっていた可能性は十分ありますもの。それを未然に防いでくれたのですから、聖都の主としては当然の義務ですわ」
「そうであるか……まあ、好きにすればいいのであるが」
と、そんなことを話していると、軽く肩を叩かれた。
振り返れば、イングリッドが再び何とも言えないような表情でこちらのことを見つめている。
「その、もしかして、君は聖女様の友人か何かなのか? ああ、いえ、あなたは聖女様の御友人か何かなのでしょうか?」
「そういう堅苦しいのは必要ないであるぞ? 別に友人などではないであるしな」
「あら、悲しいことをおっしゃいますわね。わたくしとあなたは一つ屋根の下で暮らした仲ですのに……ああそれとも、友人ではないとは、そういう意味ですの?」
「な、なんじゃと……!? ソーマ……!?」
「何故貴様が食いつくのである? まあそれは確かに嘘ではないであるが、一つ屋根の下と言っても広義的な意味で、であるぞ? 別々の部屋にいたどころか、ある場所から出てさえいなかったであるからな」
イングリッドもいるのだし、牢屋にいた、などとわざわざ言う必要はないだろう。
余計な誤解を招くだけだ。
「ま、我輩達は要するに客というだけであるな」
「客……? そういえば、確かに客としてここに来ているなどといったことを言ってはいたが……まさか聖女様の客だったとは……」
「そうですわね……今は、まだ、わたくしの客人、というだけの関係ですわね」
「何故、今は、と、まだ、を強調して言ったのじゃ? 貴様とソーマはその関係から変わることはないじゃろうに」
「あら、そうとは限りませんわよ? 関係が変わる時なんて一瞬ですもの。まあその代わり、何年経とうとも変わらない人は変わらないのでしょうけれど……そういえば、そんな人がそこにもいましたの」
「ほぅ……つまり貴様は喧嘩を売っているのじゃな? いいじゃろう、買ったのじゃ……!」
「買うなである。というか、貴様らが知り合いだったというのは特に驚かないのであるが、仲悪いのであるか?」
「ふんっ、別に仲が悪いわけではないのじゃ。ただ気に食わんだけなのじゃ!」
「それはわたくしの台詞ですの……!」
そんなこと言いながら睨み合う二人に、溜息を吐き出す。
どうやら二人は所謂犬猿の仲というものなようだ。
先ほどエレオノーラはまったく喋っていなかったが、もしかしたらヒルデガルドと話したくなかったというのもあったのかもしれない。
「ま、汝らがどういう関係でも構わんのであるが……それで、この場に出てきたということは、後は任せていいのであるか? 我輩達は基本的に部外者であるしな」
「そうですわね……イングリッド、それで構いませんの? そこのお二人がどういった行動を取ったのかを最も知っているのはあなたですし、あなたの判断に任せますわ」
「はっ、ありがとうございます。ですが……そうですね。本来ならば色々と聞かせてもらうところですが、聖女様の客人ということであれば必要ないでしょうし、お二人には特に残ってもらう必要はないでしょう」
「と、いうことですの」
「ふむ、そうであるか……」
ならば特に残っている必要はないだろう。
そこの男は気を失っているだけのはずだし、即座に対処したからかスティナの時のようにはなっていないようだ。
治療の必要もあるまい。
ソーマ達は少々やること、というか、聞き込みをする必要が出てきたし、可能ならばなるべく早く行動すべきだ。
これまでの状況――今ここにエレオノーラがいることも含めて考えれば、時間が経てば経つほどに巻き込まれる確率が高くなりそうだからである。
何かあるならばとここまで来たが、何もしなくて済むのであればそれに越したことはないのだ。
魔法を使えるようになるため、やるべきことはまだまだいくらでもあるのだから。
「さて、そういうことならば我輩達はこれで……いや、その前に聖騎士達がどこにいるのかを聞く必要があったであるか」
「そうだな……まあ、私が一緒に行かなくとも、私の名前を出せばある程度話を聞かせてもらえるだろう。さすがに何でも、というわけにはいかないだろうが」
「さすがにそこまでは期待していないであるよ」
以前の件と関係があるのか、ないのかが、とりあえず分かればいいのだ。
そのぐらいならば適当に話を聞けば判別も付くだろう。
関係があると分かった場合はそこで終わらせるわけにはいかないが……その時はその時でまた考えればいい話だ。
何にせよ場所を聞き、そこに向かってからの話であり――
「あら、わたくし達に尋ねなくてよろしいんですの? 大体のことは分かると思いますから、二度手間になる、ということもありませんわよ?」
「二度手間にならん代わりに、面倒事を押し付けられるのじゃろう?」
「あら、酷いことをおっしゃいますわね。わたくし達はそんなことをしませんわ。ただ……わたくし達の話を聞いたら何故かわたくし達を手伝いたくなるかもしれませんが」
「それは同じことであろうに」
とはいえ、そんなことを言われれば話など聞くわけがないと分からないわけがないだろう。
となると、余程の情報を握っているのだろうと考えられるが……わざわざそれを確かめる必要はあるまい。
代価の件は惜しいものの、我欲に任せて神と契約を交わした者の末路などは決まっているのだ。
折角魔法が使えるようになったところで、実際に使う事が出来なくては意味がない。
ゆえに、余計な言葉には聞く耳持たず、イングリッドに聖騎士達の居場所を聞こうと口を開き……その声が聞こえたのは、その寸前のことであった。
「ああ、そうですの。ソーマさんが倒した悪魔ですけれど……我が主曰く、ソーマさんは悪魔のことを誰かに尋ねるまでもなく知っている、とのことでしたわ。言われてみましたら、わたくしに聞かせてくれた話の中にも悪魔という言葉は出てきましたものね」
「――っ」
反射的に視線を向けると、エレオノーラは笑みを浮かべていた。
その深い笑みは、言外に何かがあることを……ある意味はそのままの意味だということを示している。
ヒルデガルドへとそのまま視線を移せば、まるで噛みつかんばかりの勢いでエレオノーラのことを睨んでいた。
「貴様……!」
「あら、どうかしましたの? わたくしはただ無駄なことをしないよう、厚意で教えてさしあげただけですわよ? と言いますか……ヒルデガルドさんこそ何故教えて差し上げなかったんですの? 気付いていなかったとは言わせませんわよ?」
「っ、それは……」
「……ヒルデガルド?」
「……あやつの言う通りなのじゃ。悪魔というのは、貴様の知っている『悪魔』と、言ってしまえば同種なのじゃ。まあ、貴様が今倒したアレと……おそらくは、以前倒したというものも、悪魔としてみれば下位で、貴様が『昔から』知っている悪魔の方は上位じゃろうがな」
――悪魔。
その存在を、確かにソーマは昔から知っていた。
目にしたのは一度だけ。
勝手に師と思っていたあの人が討ち……あの人のことを殺したアレだ。
あれ以来ソーマは悪魔という存在を目にしたことはなかった。
悪魔は酷く珍しい存在であり、百年に一度出現するか否か、という存在だったからだ。
しかしそれがゆえに強力であり、剣聖と謳われた人物でさえも自分の命を賭して倒すのが精一杯だった。
その存在をソーマが意識する事がなかったのは、単純に意識しても仕方がなかったからだ。
既にそれそのものは倒され、他の悪魔が現れるにしてもそれは百年後。
さらには、純粋な戦闘能力で言えば龍神の方が上なのだ。
気にする必要がなかったのである。
ああ、だが……それと同種の存在がこの世界にもいて、暴れているというのならば――
「ふむ……なるほど、どうやら『話』を聞く必要が出てきてしまったようであるな」
「……じゃろうな。だから我は言いたくなかったのじゃが……」
まあ、ヒルデガルドの気持ちは分からないとは言わない。
これは言ってしまえば感傷だ。
やる必要のないことである。
しかし……忘れ物があったことを、思い出してしまったのだ。
ならば、取り戻しにいく以外、出来ることなどあるはずがなかった。
「……歓迎いたしますわ。それでは、先に戻っていてくださいますの? わたくしは少々ここでやならなければならないことがございますもの」
ゆえにソーマはその言葉に、黙って頷きを返したのであった。




