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魔女と代償 その1

 周囲を一通り見回し終えると、フェリシアは一つ息を吐き出した。


 ここに来てから、今日でちょうど一週間になる。

 予想通りのことがあれば、予想外のこともあったものの、概ね予想通りだったと言っていいだろう。


「……とはいえ、さすがに龍が残っていたのは意外でしたが。しかも……」


 呟き、先ほど起こった出来事を思い返しながら、フェリシアは手の中の物を何となく弄ぶ。

 それは掌サイズの透明なビンであり、中に入っているのは黒に近い赤の液体だ。


 神秘の代名詞の一つ、龍の血であった。


「認められた、ということなのでしょうが、少々複雑ではありますね……」


 そう言いながら、もう一度念のためとばかりに周囲に視線を向ける。

 その視界に映るのは様々な木々や草花であり、そのどれもが希少だ。

 中には猛毒となるようなものも存在しているものの、曲がりなりにも外で勉強をしたからこそ、その価値というものが改めてよく分かる。


 敢えて言うまでもないかもしれないが、そこは魔女の……いや、元魔女の森であった。

 魔女は既にここに住んでおらず、別の主が存在しているのだから、そう呼ぶべきだろう。

 或いは新しい主の名を取り、龍の森とでも呼ぶべきかもしれないが。


 そう、この森の新しい主とは、ここに住んでいた龍なのであった。

 先ほど目の前にやってくると、そう告げるのと共にこの手の中の物を渡して来たので間違いない。

 そんなことをしたのは元ここの主に敬意を表すためと、その価値があると思ったから、だそうだ。


 もっとも、それを単純に喜ぶわけにはいかないだろう。

 本当に龍が自分のことを認めたとするならば、それはソーマからここを出る時に預けられた力――森神の力によるものだろうからだ。


 ソーマからネックレスという形で預けられたそれは、フェリシアの意思によって森神の一部をその場に召喚するものである。

 しかし一部とはいえ、元がアレだ。

 龍を相手に勝つことはさすがに無理だろうが、多少ならば凌ぐことも可能に違いない。


 しかもそれは森であれば容易に、さらには森によってもそこが森神と親和性の高い場所であればより強力に召喚出来る。

 ここはかなり親和性が高いようで、ほぼ最大出力で顕現可能らしい……というか、実際にそうだったので、尚更だ。


 ちなみに実際にそうだったというのは、ここにいた魔物を追い払うのに使う必要があったからである。

 ここに住んでいた時は魔物がいるような場所に行くことはなかったが、今回は森神の力もあるし大丈夫だろうということで行ってみたのだ。

 龍が認めたのも、きっとその時のことを見ていたからだろう。


 そこにわざわざ行った意味は、きっとちゃんとあった。

 龍に認められたというのもそうだが、何よりも自分はまだまだここのことを知らなかったのだと改めて実感したからだ。


 そうだと分かってはいたものの、やはり実際目にすると違う。

 魔物もそうだが、そこら中に無造作に生えている草木一つとっても、見たことがなかったものばかりだった。

 学院に匿われるついでに色々と教えてもらっていなければ、名前さえ分からなかったことだろう。


 ある意味でそれらは、母の遺品とも言えるものだ。

 それらの名を知り、見ることが出来たというのは……意味はなかったかもしれないけれど、少なくともフェリシアにとって意義のあるものではあった。


 あとは正直、多少気にはなっていたのである。

 この空間を維持することが出来ていたのは、中に魔女が存在していたからだ。

 その生命力や魔力を用いることで、空間内のものを循環させていたのである。


 何せそれなりの広さはあると言っても、所詮は限定された空間だ。

 世界としてみるならば足りないものばかりであり、何かで補う必要があった。


 その最大の要因がなくなってしまったのだ。

 荒廃しているとは言わずとも、随分と荒れているのだろうと思ったのだが……今見てみる限り、そういった様子は微塵もない。

 それがおそらくは最も予想外だったことであり、そしてその理由は、新たな主が誕生したこと……龍がここに残ったからであった。


 そもそも龍はここに住んでいたというよりは、閉じ込められていた形である。

 いつからなのかは定かではないが、きっと遠い昔に危険だと判断され、ここに閉じ込められたのだろう。

 魔物の一部にもそんなものはおり、だがその状況を享受していたのは、結界があったのと、空間が閉じていたために逃げようがなかったからである。


 しかしそれも、魔女がいなくなったことで無意味と化す。

 維持が出来なくなれば結界どころかこの世界ごと消えるだろうし、大半の魔物は逃げられず世界と運命を共にするだろう。


 だが龍だけは、崩壊する間際に逃げることが可能なはずだった。

 いや、それどころか、四年も経てばかなり空間に綻びが生じているはずなので、そのまま外に逃げられたはずなのだ。

 まさか逃げることなくここに残り主にまでなるとは、予想など出来るはずもない。


 とはいえそこには、きっと相応の理由があるのだろう。

 フェリシアには知る由もない、何かそうするに足る理由が。


 そしてそれを歓迎する理由はあっても、厭う理由はない。

 或いはただの気まぐれで、ふと気付いた時にはこの空間は消え果ててしまうのかもしれないが……その時が来るまではありがたく使わせてもらうとしよう。

 次いつ来ることになるかは、分からないけれど。


「……来れるかどうかは、と言うべきかもしれませんが」


 誰に言うでもなく呟き、フェリシアは息を吐き出す。


 しかしそれはともかくと、引き続きその場を見渡しながら、ふと思う。

 おそらく、ここを維持するだけであればそう難しいことではないのだろう、と。


 何せ自分もよく知るように、ここには希少なものが溢れている。

 草木に花、魔物は勿論のこと、そもそもこの世界を維持している方法そのものが貴重だ。


 始まりの魔法使いと呼ばれる、人類に最初に魔法を伝えたとされる者が作り出した空間であり、世界。

 ここに来て研究したいと思う研究者は五万といるだろう。

 いや、いっそのことそうしたいと思わない研究者はいない、と言ってしまっても過言ではないかもしれない。


 ここを維持するためだったら、資財など山のように集まることだろう。

 それを用いれば、誰かが主にならずとも維持することは難しくないはずで、ここはそうまでする価値のあるような場所なのである。


 そんな場所で暮らしていた自分は、きっととても恵まれていた。

 それはおそらく、複数の意味でであり――


「……まあ、本当に恵まれていたのかどうかは、人によって判断が分かれそうですが」


 確かに研究者などにしてみれば、ここは一生でも閉じこもっていたいような場所だろう。

 だが大半の者にとってみれば、そうではないに違いない。


 そして自分がいつの間にかその大半の方の側に立っていることに気付き、フェリシアはそっと自嘲の笑みを浮かべた。

 風もないのに、髪の毛を押さえるように、手を頭に乗せる。


 視界の中を、最近になってようやく見慣れてきた髪の毛が僅かに横切った。


「さて……何にせよ、わたしは既にここの住人ではなく、お客様です。仮定の話はともかくとして、今は主もいることですしね。用件が終わったらさっさと立ち去るべきですか」


 フェリシアがここに来た用件は主に二つ……いや、三つになる。


 一つは、単純に今ここがどうなっているのかを確かめるため。

 予想通りであれば一応まだ存在しているはずであり、それは二つ目の用件にも繋がる。 


 そしてその二つ目の用件は、ここから貴重な素材などを回収することだ。

 龍のことなど予想外のことがあったため、思っていたよりも順調に、また潤沢に得ることが出来たが、勿論それは使うためである。


 元より魔女の秘薬として使用していたものであるが、知識の増えた今ではさらに使い道というものは増えていた。

 手に入れる方法を知っているのに手に入れないのでは勿体無いだろうと、そういうことである。


 ただ……その二つ共が、実際のところはついででしかなかった。

 大元の用件を果たすついでに……或いは、建前として用いるために考えていたものでしかないのだ。

 だからこそ、エルフの里で誰にも会わず、伝えることなく、ひっそりとここに来たのだから。


「……その甲斐も、こうしてありましたしね」


 呟きながら、右手を空に翳す。

 それがある意味で三つ目の要件の成果であり、結果だ。


 フェリシアの右手は、右手越しに向こう側が見えるほどに、はっきりと透けていた。

 日に当たっているからそう見えているのではない。

 文字通りの意味で、透き通っているのだ。


 それこそが、フェリシアの本来の目的。

 即ち呪術の実験と、その代償であり、一週間もの間ここにいた理由なのであった。

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