魔女と代償 その2
フェリシアが呪術の実験などをしようと思った理由は、今から約四年ほど前に起こった出来事が原因だ。
ラディウス王国王立学院の全壊。
それはフェリシアが振るった、森神の力が原因であり……だが、別にそれとは関係がない。
それそのものは、フェリシアは必要なことだったと思っているからだ。
少なくとも、あの時はそれが最善であった。
フェリシアには森神の力を細かく制御することなど出来ず、学院よりも街の人を優先する必要があった。
そしてそのことを、何よりも指揮をしていたカミラ自身が指示したのだ。
ならばそのことについて思い悩む必要などあるわけがなかった。
フェリシアは自身の生まれのこともあり、自分の分というものをよく理解している。
自分には出来ることの方が少なく、精一杯のことをやったところでどうしたって足りないものが出てくるのだ。
だから何を優先するかによっては、何かを切り捨てなければならないということを、よく分かっていた。
それは森神の力を借り受けても同じであった。
そもそも四年前、フェリシアがソーマ達と同じように強行軍を出来たのは森神の力があったからである。
ソーマから預けられたものは、森神を召喚するだけではなく、少しだけではあるがその力をフェリシアにも与えたのだ。
ギリギリとはいえ、アレを成し遂げる事が出来る程度には。
だがだからこそ、尚更であったとも言える。
力を借り受けてもその程度だということが、フェリシアにはよく分かったのだ。
そのために、もっと上手く出来たのではないか、などという悩みとは無縁だったのである。
とうに力を借りており、その上でのことだったのだから。
とはいえ、そこに何の責任も感じていないかと言えば、話は別だ。
自分がやったことを正確に理解しているからこそ、やれることがあるならば自分もやるべきだと思ったし……そこには当然のように呪術も含まれていた。
というよりも、どちらかと言えばフェリシアの本領はそっちだったと言うべきだろう。
呪術はその性質上戦闘向けではないし、逆に復興には非常に向いている。
もっとも、大っぴらに呪術を使うわけにもいかないから、ヒルデガルドの協力を受けながら、ひっそりと使っていたわけではあるが。
しかし学院が一年に満たない時間で復興できたのは、そのためでもある。
学院関係者皆が協力したからでもあるが、呪術の力は思いの外効果が大きかったのだ。
そして。
フェリシアが自身のことを、魔女のことを、呪術の意味を理解したのはそれが切欠であり、それこそが今回実験をしようと思い立った理由にして原因なのであった。
「っと、ようやく戻ってきましたか……やはりと言いますか、少しずつ戻る間隔が伸びてきていますね」
と、今回のことに至るまでのことを思い出している間に、半透明であった腕が少しずつ元に戻り始め、やがて完全に戻った。
向こう側を透かしてみようとしたところで、当然のように透けて見えることはない。
腕の全体を眺め、表と裏をひっくり返してみたりと、数度確認した後で、フェリシアはようやく満足したように頷いた。
「さすがに今回ばかりは少し焦りましたね……今日シーラと合流予定だったというのに、このままでは合流出来ないところでした」
安堵するように呟いたその言葉は、強がりでも何でもなく、今口にした通りのことが出来ることに安心したが故のものであった。
つまりフェリシアは、この後無事シーラと合流を果たせそうだということだけを喜んだのである。
つい先ほどまで半ば死に掛けていたというのに、だ。
そう、フェリシアの片腕が透けていたのは、変な病気であるからとか、妙な魔法を仕掛けられたとかいうわけではなく、呪術の代償として自身が世界から消し去られようとしていたからなのである。
あれがあのまま進行するか、より悪化した形で現れていれば、フェリシアはあっさりとこの世界から消え去り、死んでいただろう。
だがそれを知りながらもフェリシアに恐怖がないのは、そうはならないということを知っているからである。
単純な話だ。
世界にはそんなこと出来ないのである。
いや、或いは、するわけにはいかない、と言うべきかもしれない。
確かに世界というものから見れば、フェリシアという個人はちっぽけなものだ。
やろうと思えば呆気ないぐらい簡単に消し飛ばされることだろう。
しかしちっぽけだからこそ、その場合の被害はフェリシアだけでは済まないのだ。
おそらくはこの閉じた空間程度なら一緒に消し飛ぶだろうし、もしかしたらエルフの森ぐらいも巻き添えを食らうかもしれない。
規模が小さすぎるが故に、世界はフェリシア個人のみを消し去るなどという芸当は出来ないのだ。
そう、あたかもフェリシアが学院で暴れる魔物だけを倒すことが出来なかったように。
世界が直接フェリシアを害するには、その影響範囲が大きすぎるのである。
そして当然ながら、世界が及ぶ影響範囲は、フェリシアが学院で暴れた時の比ではなく、何よりも世界自身がそれを認めるわけにはいかないのだ。
これは例えるならば、体内に侵入した細菌を除去するのに、肉体ごと抉り取ろうとする行為に近い。
どんな馬鹿でもそんなことをするものはおらず、それは世界も同様だ。
世界に出来るのは、ただ警告を発することだけ。
お前のことは把握していると、示すことだけなのだ。
「まあもっとも、度が過ぎたら始末されることに違いはないのでしょうが」
自分で出来ないのであれば、それに相応しいものにやらせればいいだけなのである。
本来それは神の仕事なのだろうが、神が動かなければ、程度次第では世界そのものが動くことがあっても不思議ではない。
呪術というものは、それほどのものなのだ。
そのことを、フェリシアはあの時まで理解していなかった。
いや、知識の上では知っていたつもりだったのだが、それは本当につもりでしかなかったのだ。
何度も実行し、その結果を見てきたからこそ、ようやく実感したのである。
確かにこれはこの世界にあってはいけない能力だ、と。
この世界は基本的に等価交換で成り立っている。
何かをするためには何かが必要であり、これに例外は本来存在しない。
どれだけ不平等に見えたところで、それは世界の観点からすると辻褄があっているのだ。
唯一そこに含まれないのは、権能を使った場合だけである。
あれは直接世界というシステムに干渉するため、その原則にならっていない。
最初から組み込まれていることであるが故に例外ではなく、あくまでも原則の外側にある法則だ。
だからそれもまた問題はない。
だが呪術だけは、本来有り得てはならない例外であった。
権能ですらないのに、等価交換の法則を無視するからである。
厳密に言うならば、呪術にも対価は必要だ。
しかしその対価が釣り合っていないのである。
あたかも建前のように、カモフラージュとして用意したように、そこの天秤は一切釣り合ってはいないのだ。
そしてそれは、世界を壊す行為である。
天秤が釣り合っているからこそ、世界は上手く循環し、回っているのだ。
本来は権能すらも使うべきですらなく、例外である呪術に至っては尚更である。
ある程度ならば、世界も修復することは可能だ。
だが世界には何よりも世界を回すという役割りがある。
何事にも限度があり、それを超えればあっさりと全ては壊れさるだろう。
天秤の崩壊とかいう問題ではない。
世界の崩壊であり、消滅である。
呪術はその危険性を含んでいるために、魔女は世界から害悪とされているのだ。
だから本当にその危険があると世界が見なせば、世界は何の躊躇いもなくフェリシアを抹殺するために行動するだろう。
その時のフェリシアは、世界にとって病原菌どころではなく、悪性の腫瘍となっているからだ。
自らの身体を掻っ捌いて腫瘍を取り除く行為ぐらいは、当たり前のようにやる。
そうしなければ自らが滅んでしまうのだから、当然のことだ。
とはいえそれは直接的な手段というよりは、間接的な手段となる。
神のようにどこかの誰かに啓示のようなものを与え、さらにはその人物へと力を与えるか、或いはもう少し直接的に、それ専用の生物でも作り出すかもしれない。
幻想種や精霊などは、元々世界が作り出しているものだ。
その程度は容易い。
ただし最終的に滅ぼせたとしても、そこまでの過程やその後にどれだけの被害が生じるかは分からないため、それは本当に最悪の事態にでもならなければやることはないだろうが。
「というか、わたしもこれ以上試す気もなければ、出来る限り使う気もありませんしね」
当たり前ではあるが、フェリシアに自殺願望などはない。
仮に死ななければならないとしても、周囲を巻き込んでの自殺など真っ平ごめんである。
その時は大人しく自分の手で自らの命を絶つだろう。
そもそもでなければ、実験などするはずもない。
これはあくまでも、どの程度が許容範囲内なのか、ということを確かめるためだったのだ。
それにはここは相応しかった。
少なくともフェリシアの考える限りでは、最も。
呪術の対価として使うことの出来るものは豊富だし、ここは世界から閉じてもいる。
おそらく本来よりも世界からの干渉は少ないことが予想されたし、万が一失敗してしまうことがあっても、最小限の被害になるだろうと思ってのことでもあるのだ。
その予想は当たってはいたが、少々予想外のこともあった。
「世界からの干渉が少ないが故に、本来知るべきではないことまで知れてしまった、というのはさすがに予想できませんでしたね」
今のフェリシアはそのせいもあって、多少世界の外側にある知識のことも知っている。
おそらくは今ならば、ヒルデガルドやソーマともいつも以上に話すことが出来るだろう。
もっとも、それもここを出るまでの話で、ここを出れば全ては消え去ってしまうだろうが。
メモを残そうとしても無駄だ。
それはこの世界にあってはいけないものであるため、フェリシアでは保全しておくことが出来ない。
何かに書き写したところで、世界の修正力によって最初からなかったことにされるだけだろう。
だが全てが無駄になるわけでもない。
これがあったからこそ、フェリシアは自分がどれだけ危ういところに立っているのかがよく分かった。
この焦燥感は消えるわけがなく、きっともう呪術を軽々しく使おうなどとは思わないだろう。
これはおそらくヒルデガルドも、ソーマも、厳密には理解出来ていないことだ。
理解出来ているならば、フェリシアが呪術を使うことを絶対に許可しないはずだからである。
「出来ればそのことも伝えたいんですが……」
それは無理だろう。
その部分は本来知れるはずのない知識に引っかかっている。
呪術はもう使わないという決意だけを抱え、覚えておくしかないのだ。
「まあ、本当に出来れば死にたくないですしね……折角、こんなことまでしてくれたんですし」
呟くと共に、フェリシアは自身の手で髪の毛を触る。
何者にもなれず、何の価値もないからこその白。
そのはずであるそれは、まるで夜の闇のように真っ黒に染まっていた。




