神と龍 その1
以前にも触れたことではあるが、ヒルデガルド・リントヴルムは異世界の神である。
元、という言葉が付いていないが、厳密に言うならばこちらが正しい。
何故ならば、ヒルデガルドは元の世界で神を辞めてはいないからだ。
もしもヒルデガルドが元の世界に戻るようなことがあるとすれば、今の状態のままでも神として扱われることだろう。
多少の神格は落ち、権能の効果も落ちるかもしれないが、その程度である。
神であることに、違いはないのだ。
ヒルデガルドがソーマに殺されたことにも、違いはない。
だが神にとっての死とは、言ってしまえば状態の一つである。
おかしな表現にはなるが、殺された程度で死にはしないのだ。
そもそも神とは、超次元的な存在であり、超越者でもある。
本当の意味での死を神に与えようとするならば、同格の存在が殺し尽くすか、神本人が諦め死に屈すか……或いは、もう神としては戻れないぐらいに、壊れるぐらいだ。
少なくともヒルデガルドは、そのどれにも該当することはない。
そういった意味で、ヒルデガルドは未だに異世界の神ではあるのだ。
こちらの世界の存在として転生したため、今は神ではないだけであり、元の世界に戻ればすぐにでも神に戻れる。
いや、それどころか、望みさえすればこの世界でも神として扱われることも可能かもしれない。
望むことがあるかは、また別の話であるが。
ところで、神とは超次元的な存在であり、超越者でもあるとは先ほど言った通りだが、それと神という存在はイコールではない。
超次元的な存在は超次元的な存在であるし、超越者は超越者でしかないのである。
その二つが合わさったところで同じであり、それだけで神となることはないのだ。
では神とは何かと言えば、大体二つに分類される。
世界を創り出したものか、世界の管理を任されたものかに、だ。
そして世界の管理とは、世界の法則である理を用いて世界を運営していくことである。
世界を富ませ繁栄させていく、担い手となることだ。
とはいえ、基本的には世界を創り出したものはそのまま世界の管理も行うため、前者は後者も含んでいることが多い。
ちなみにこの世界の神は後者であり、ヒルデガルドは前者だ。
しかし多いだけであって、創るだけ創って満足してしまう神もいれば、創ったはいいものの手が足りず他の存在に管理を委託することもある。
もっともだからこそ、管理を任される神というものが存在しているのだが。
尚、世界の管理を任されたから神になるのかと言えば、その通りだと言える。
多少の語弊はあるものの、神となる資格を持ち、管理を任されることに同意を示せば、その時点で神となるのだ。
逆に言えば、神となる資格を持ち、仮に理を司る力を持っていたとしても、管理を任されることに同意を示していなければ、その存在は神に限りなく近しいものの神ではないのである。
つまるところ――
「で、要するに何が言いたいのである?」
「うむ、つまり我は偉いということじゃな!」
そう言って胸を張って見せたところ、何故だかソーマに溜息を吐かれた。
期待した反応ではなかったことに、ヒルデガルドは解せぬのじゃと呟く。
「ここは、ははー、とひれ伏すところじゃぞ? 或いは、褒め称えるところなのじゃ」
「戯言は程々にしておくがいいであるぞ? 大体貴様先ほど今は神ではないと言ったばかりであろうが」
「その通りではあるのじゃが、それはそれ、これはこれ、と言うかじゃな」
「はいはい、分かったのである。ヒルデガルドは偉いであるなー、凄いであるなー。これでいいであるか?」
「それは幾ら何でもおざなりすぎると思うのじゃが……?」
そんなことを言いつつも、ヒルデガルドが口元をしっかりと引き締めていたのは、気を抜くと緩んできそうだからである。
おざなりだと分かってはいるのに、褒められたのだと思えばそうなってしまうのだから、どうしようもない。
とはいえ一番どうしようもないのは、それでもそれを悪くないと思ってしまっている自分自身だろうが。
「さて、まともな返しが欲しければ、まともなことを言えという話である。まともなことであるならば、我輩も真面目に対応するであるぞ?」
「むぅ……貴様つれなすぎな気がするのじゃが? 狭い空間に二人きりなのじゃぞ? もっとこう、何かあってもいい気がするのじゃが?」
「完全に気のせいであるな。というか、少しは周囲に漂ってる雰囲気を考えて喋れである」
「何故じゃ、薄暗い中という、むしろそっち方面の雰囲気ばっちりじゃろうが!」
「そうであるな、迷宮だという雰囲気がばっちりであるな」
その言葉に、ヒルデガルドはそっとソーマから視線を外した。
その通りではあったからだ。
視線を移動させたことで視界に映し出された光景は、先ほどヒルデガルドが口にした通りであり、またソーマが口にした通りのものでもある。
薄暗く、むき出しの岩肌が見て取れる、迷宮の通路だ。
いや……正確に言うならば、元迷宮の通路、と言うべきか。
「ふむ……まあ、戯言はさておき、しかし本当に元迷宮になってしまったのであるなぁ」
「うむ、さておかないで欲しいのじゃが、その通りなのじゃ。これで我の言っていたことが嘘ではないと分かったじゃろう?」
「元からそれに関しては疑っていないであるがな。それにしても……これもあの邪神の力の欠片の影響、ということであるか?」
「まあ、それ以外考えられんじゃろうしな。貴様がアレを吹っ飛ばす以前は普通に迷宮じゃったわけじゃし」
そう、そこは学院にある地下迷宮であった。
ただし現在は九十階層だというのに、五十階層に降り立って以降一度も魔物に遭遇していない。
言うまでもなく、有り得ないことであった。
「五十階層より上は普通なのであるよな?」
「うむ、試しに一階層だけは歩いてみたら普通に魔物も出てきたじゃろう? 異常……というか、迷宮ではなくなっているのは、五十階層より下のみだと考えるべきじゃろうな」
それに気付いたのは偶然であった。
元よりソーマがここの最下層で邪神の力の欠片を吹っ飛ばして以降、五十階層より下は封鎖していたのだ。
ある程度放置しておいても問題ないだろうということと、むしろ放置しておく必要があると判断したからでもある。
ソーマでも抑えきれなかった邪神の力によって、汚染されてしまっていたからだ。
力の弱い者が近付いてしまえば、死に飲み込まれてしまうだろうと思えるような、そんな代物であった。
ただ、放置しておけばそのうち散るだろうということと、何よりもどうせ五十階層より下など用があるものなど存在しない。
封鎖したのはそういうこともあってであり……ぶっちゃけ色々と忙しかったこともあって半ば忘れていたのだが、つい先日ふとした切欠で思い出したのだ。
その時はちょっと調べてみるだけのつもりだったのだが、この異常に気付いてすぐに戻り、今日ソーマと共に改めて調べている、ということである。
「ちなみに、前例とかはあったりするのであるか?」
「少なくとも我が知る限りではないのじゃな。ああいや……迷宮の核が砕かれた後の状態が近いと言えば近いかもしれんのじゃ。ただ……」
「迷宮の核って、壊れると迷宮が崩壊するとかいう話ではなかったであるか?」
「うむ、そのはずじゃが、稀に完全には壊れないことがあるらしいのじゃ。その時は迷宮の雰囲気を残しつつも魔物が現れることはない、そんな場所になるという話じゃが……」
迷宮の核とは、文字通りの意味での迷宮の心臓部、迷宮を迷宮たらしめているものだ。
詳細は不明ながら、迷宮を維持するのにそれが必要だということは分かっており、それを壊してしまえば基本的に迷宮は崩壊する。
ヒルデガルドが口にしたようなことが起こるのは本当に稀であり、しかも起こったところで意味はない。
側だけが残ったところで、それがどうしたというのか。
迷宮の利点であり欠点は、そこに魔物が現れるということである。
それを狩れば素材が手に入り、しかし魔物が現れる以上は危険と隣り合わせだ。
その二つを天秤にかけ、利点の方が上回ると判断されれば、核を破壊することなく迷宮の維持が優先されるようになるのだが……実際には見つかった迷宮はそのほとんどが核の破壊が目指されるものである。
この地下迷宮は、維持されることを目的としている珍しい場所なのであるが――
「ま、五十階層より下はどうせ誰も利用しないというか、利用出来ない場所じゃからな。何かあったらソーマに頼むしかなさそうじゃし、迷宮ではなくなったというのならばそれで問題はないのじゃが……」
「まあとりあえずは、最下層まで行ってみるしかないであるか」
「うむ、そうじゃな。で、折角なのじゃから、貴様ももっと我の偉大さを知ればいいのじゃ」
「どこら辺に折角という言葉が使われる要素があるのか分からんのであるが……」
呆れたように溜息を吐き出すソーマを眺め、ヒルデガルドは、むぅと呟く。
やはりつれない。
いや、以前からこうではあるが、この世界で再会してからもう二年は経つのだ。
いつまでも同じままというのも、面白くないだろう。
「やはり言われたように、ぼんきゅぼん、の身体が必要なのじゃろうか……? とはいえ、今そうなってしまうと釣り合いが取れんのじゃよなぁ……折角それを考えてこのままを維持しているというのに……いや、じゃが……ふーむ。ソーマ、貴様はどう思うのじゃ?」
「とりあえずは、独り言なのか違うのかはっきりして欲しいのであるが? というか、一先ず気になるのは、言われたって誰にである?」
「うん? ああ、この前イオリが来てたじゃろ? その時に聞いたのじゃ」
「何をと言うべきか迷うところなのであるが……何となく予想はつくので敢えて聞かんのである。むしろあやつは何を言っているのであるか……」
「む? 違うのじゃ? ソーマはどっちかと言えばそういうタイプが好きだと言っていたのじゃが……」
「よし、次にあやつに会った時はぶっ飛ばすのが確定であるな。まったくあやつは、意趣返しか知らんであるが、余計なまねを……」
呟き、溜息を吐き出す横顔は、何処となくそれを向けた相手への親しみを感じさせるものであった。
それに、ヒルデガルドは目を細める。
嫉妬とかそういうことではない。
ふと、ソーマのことを初めて目にした時のことを思い出したからであった。




