◇出発
生きる水と書いて生水地方に伝わる不思議な水の話を描いていく
◇出発
『生水』。科学的解析では何の変哲もない普通の水。
しかし、生水地方では昔から病を治す水として重宝され、現実に回復もしており、それは生水に住む人に限ったことではなく他地方や縁もゆかりもない人にも有効性がある。
この生水が一躍有名になったのは、テレビ番組でのタレントの「生水の水はどんな病も治すことができる」という発言だった。このタレントは生水の生まれでもないが、あるとき重病にかかり、見舞いに来てくれた生水生まれの友人に教えられ、現地へ向かい湧き出ている水を飲むと回復したという。
そして不思議でならないのは、この生水の水は現地で飲まなければ効果がないということで、実際に何かしらの容器に入れて生水から離れた場所に持っていくと効果を失ってしまう。
生水地方の何かしらが影響していると言われ、不思議がられ、不気味がられながらも、生水を求める人は絶えなくなった。
この生水地方には、昔から語り継がれている話があった。
『病を司る神が生水に降臨し、その神は人間の女性に惚れた。女性の重病を知った神は、それを治すために生水山の湧き水のみを治癒の水に変えたが、水を変えると同時に女性は息絶えてしまった。神はその悲しさをできるだけ抑えようと水をそのままにし、生水を去った』
という話が語られているが、生水山というのがどこなのかは地元の人も誰も知らない。この地に残る古い文献や地図を見ても明確な位置は記載されていないうえに、「生水」という名前が初めて文献に出てきたのが明治であることだけが分かっている。
僕は今、生水市の生水駅前にいる。
駅に着くまでは自然豊かに感じていたが、近づくにつれ緑が薄れて近代的な建物が見え、降り立つと現代と何ら変わらない一つの中規模地方都市だった。
「変に期待したのがいけなかったかな。昔ながらの話があるから、勝手に田舎風景だと思ってた」
事前に調べなかった僕も悪いと言われればそうだが、伝承がある地をあらかじめ調べたくはなかったし、名残が絶対にあるはずだからその空気を感じたいと思っていた。僕は背負っているリュックの位置を正すと、停車しているタクシーへ歩を進めて乗り込んだ。
「どちらまで向かいますか?」
乗り込むと、優しそうなおじさんがこちらを振り向いて行き先を尋ねてくる。
「生水山まで」
僕が何の疑いもなくそう告げると、運転手はいつものこととでも言うかのように応じた。
「生水山? あぁ、池山ですね。分かりました」
運転手は自動ドアを閉め、ハンドルに手をかけて車を走らせた。
「池山ですか?」
「そうです。お客さんも生水の伝承を聞いてやってきた口でしょ? ここら辺じゃ、その地を指す山と言えば池山くらいですよ」
「そうなんですね。でも、何でも回復するってすごい水ですね」
僕の反応に、運転手は苦笑を浮かべながら答えた。
「まぁ、何でもっていうのは大袈裟すぎますけどね。話として聞くのは、軽い風邪や傷が治る程度ですよ。実際に経験したことがないので確信は持てませんが」
「……そうなんですね。だけど、軽傷を治すってだけでもすごいと思いますけど」
僕が少し落胆しながらも問いかけると、意外な言葉が返ってきた。
「そうは言いますけど、いちいちあんな所まで行くくらいなら、傷薬を塗って絆創膏を貼ったほうが早いですよ。昔はともかく、今は便利になったんですから」
運転手の話を聞いていると、その回復の水が湧き出ているのは池山にある洞窟らしい。危険というほどではないが道が整えられておらず、獣道が主になっているという。
「どうして整備しないんですか? 有名な観光地になったのに」
赤信号になりタクシーが止まると、運転手は少し間を置き、バックミラー越しに僕を見て言った。
「確かに観光地にはなりましたけど、整備の話は一度もあがったことはないですし、私も賛同はしませんね」
「祟りみたいなのがあるんですか?」
「いえいえ。そういった話は一度も聞いたことはありませんし、実際に池山には木を伐採して作った道路もありますからね。ただ、必要性を感じないと思っているだけですよ」
信号が青に変わりタクシーが再び動き出すと、僕は窓の外、都市から自然へと移り変わっていく景色をただ見つめていた。乗ってからそこまで時間は経っていなかったが、すっかり周囲は緑に囲まれていた。
「お客さん、ここですよ」
タクシーが止まり、声のするほうへ顔を向けると、獣道の先にぽっかりと開いた穴が見えた。
生水山へ向かう主人公は池山へ向かい、獣道の先に見える洞窟への入口の前に立つ。




