第五部 第三話――魔族は何を見たか
黒い大地が、静かに広がっていた。
岩盤に近い土壌。
草木はまばらで、
だが死んではいない。
魔力を含んだ風が、
地表をなぞるように流れている。
インテグ領――
魔族国家の中でも、
「共存」を選んだ者たちの土地。
中立公国から戻る一行は、
無言でその空を進んでいた。
誰も疲れてはいない。
だが、誰も軽くもなかった。
交渉官は、
馬の背で目を閉じている。
思考は、
応接の間に置き去りにされたままだ。
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巨大な石造の円卓。
天井は高く、
柱には魔力の流れが刻まれている。
玉座ではない。
対等な議論の場。
そこに集うのは、
インテグの上位魔族たち。
爵位持ち。
軍事担当。
外交官。
監察役。
そして――
中央に、交渉官が立つ。
「以上が、
中立公国アルヴァリア公爵との会談内容です」
淡々と、
事実のみを述べる。
余計な感情は挟まない。
だが、
空気は確実にざわめいた。
⸻
「……理解できんな」
重低音の声。
武闘派の上位魔族が、腕を組む。
「人族の国家など、
恐怖か利益で動くものだ」
「中立?
曖昧な立場を保つために、
あれほどの戦力を維持している?」
鼻で笑う。
「不合理だ」
別の魔族が続く。
知略担当。
冷静な瞳。
「だが、
あの領地は“整いすぎている”」
「貧困が少ない。
内乱の芽がない。
難民すら吸収している」
「人族の国としては、
異常だ」
円卓の上に、
小さな魔力の像が浮かぶ。
アルヴァリア公爵領の地図。
要衝。
資源。
人口。
――確かに、欲しい。
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「公爵本人はどうだった」
別の声。
年長の魔族。
長く戦争を見てきた者。
交渉官は、少しだけ考えてから答えた。
「……堅い」
「誇りがある。
だが、驕りはない」
「こちらを恐れてはいないが、
軽んじてもいない」
「そして――
彼は“自分が抑止力だ”と、
理解している」
ざわり、と空気が揺れる。
自覚している人族。
それは、
魔族から見ても珍しい。
⸻
「問題は、別だろう」
監察役の魔族が言った。
「応接の間に、
いないはずの気配があった」
交渉官は、ゆっくり頷く。
「はい」
「姿は見えなかった。
魔力も、ほとんど感じなかった」
「だが――
空間が“警戒していた”」
言葉を選ぶ。
「私が言葉を誤れば、
何かが起きると、
あの部屋そのものが理解していた」
沈黙。
それは、
魔族にとっても異質な感覚だ。
⸻
「調査結果を」
命が下る。
監察役が、資料を展開する。
「名は、椎名」
「年齢不詳。
魔力なし。
地位は、公爵家執事」
一瞬、失笑が起こる。
だが、
次の報告で、空気が凍る。
「単独で、
インベイ派遣部隊を壊滅させた記録あり」
「魔法未使用」
「戦闘時間、短時間」
「死体の損壊が少なすぎる」
「……斬ったというより、
“終わらせた”に近い」
誰も、言葉を挟まない。
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「人族が生んだ化け物か」
武闘派が呟く。
「いや」
知略担当が否定する。
「“人族”ではない」
「価値観が違う。
戦争を避ける者の思考だ」
「だが――
避けるために、
躊躇なく殺せる」
それは、
魔族にとっても厄介な相手だ。
恐怖で縛れない。
欲で釣れない。
「誘えないのか」
誰かが言う。
交渉官は、首を振った。
「無理だ」
「彼は、
自分の立場を選び終えている」
「忠誠ではない。
信仰でもない」
「――納得だ」
⸻
円卓の中央に、
静寂が落ちる。
やがて、
最上位の魔族が口を開いた。
「中立公国は、
今は敵ではない」
「だが――
制御不能だ」
「だからこそ、
“直接”は触れるな」
「人族の戦争を、
もう少し進ませろ」
「彼らが、
何を守るために動くのかを見極める」
誰も異論を唱えなかった。
⸻
会議が終わり、
交渉官は一人、外に出た。
赤みを帯びた空。
遠く、
人族の地平を思う。
「……あの男は」
小さく、呟く。
「戦争を止める者ではない」
「だが――
戦争を“選ばせない”者だ」
風が、
静かに吹いた。




