第四部 第二十一話――中立の名の下に
朝。
首都ヴァルアスは、いつもより静かだった。
人の数は変わらない。市場も開き、馬車も行き交っている。
だが――
空気が、違う。
誰もが、声を落として話している。
視線は自然と、城の方へ向かっていた。
「……また会議らしい」
「国境で何かあったって話だ」
噂は、すでに市井へ滲み始めていた。
⸻
アルヴァリア公国城・大広間。
長い机が整えられ、各国の使節団用の席が用意されている。
中立公国主催の「情勢確認会談」。
名目は穏やかだ。
だが、その裏にある意図を
この場に集う者で理解していない者はいなかった。
「アルスト王国からの使節、到着しました」
「続いて、カンフリークト帝国の使節団です」
到着の報告が、淡々と告げられる。
椎名は、壁際に立っていた。
執事服のまま、いつも通り静かに。
(……全員、駒を揃えてきましたね)
各国の代表は、笑顔を浮かべている。
だが、目は笑っていない。
⸻
ラルト・アルヴァリア公爵が、席に着く。
威圧でもなく、媚びでもない。
ただ、領主としての重みだけを纏った姿だった。
「本日は、お集まりいただき感謝する」
「中立公国としては、
最近の国境周辺の不穏な動きを懸念している」
その言葉に、誰も反論しない。
「先日の越境未遂については、
すでに各国へ通達した通りだ」
「我々は、誰かを非難する意図はない」
一拍。
「しかし――
中立を侵す行為は、看過できない」
静かな声。
だが、空気が引き締まる。
アルスト王国の使節が、口を開いた。
「我が国としては、
そのような行為に関与した覚えはありません」
即座に、帝国側も頷く。
「同様です。
むしろ、我々も被害者である可能性すらある」
椎名は、内心で頷いた。
(ええ、そう言うでしょう)
嘘ではない。
だが、真実でもない。
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公爵は、表情を変えずに続ける。
「承知している」
「だからこそ――
中立公国は、今後も宣戦布告を行わない」
「だが、領内への侵入があれば、
その場で排除する」
「正規軍か、偽装部隊かは問わない」
空気が、重く沈む。
それは宣言だった。
中立は、無抵抗ではない。
椎名は、その言葉を噛みしめる。
(よくぞ、ここまで明確に……)
⸻
会談が続く中、椎名はそっと席を離れた。
廊下を進み、城の裏手へ。
そこには、ガイウス騎士団長と
セリウス魔法師団長が待っていた。
「来たな」
「ええ。状況はいかがですか」
椎名の問いに、セリウスが答える。
「南西で、魔力の流れが不自然に揺れている」
「小規模だが……
人為的なものだ」
ガイウスが低く唸る。
「また“事故”を装う気だな」
椎名は、頷いた。
「間違いありません」
「表で話している間に、
裏で既成事実を作る――
よくある手でございます」
⸻
同じ頃。
城下の一角で、ファルカは
剣の素振りをしていた。
まだ幼い体。
だが、動きは以前よりも鋭い。
「……また、人が増えてる」
難民だ。
行き場を失った人々が、
少しずつ、だが確実に流れ込んでいる。
(戦争……始まるのかな)
不安が胸をよぎる。
だが、その時、思い出す。
椎名の言葉。
――「恐れる必要はございません。
備えることと、怯えることは違います」
ファルカは、剣を握り直した。
⸻
夜。
会談は、表向き穏便に終わった。
「中立を尊重する」
その言葉が、何度も交わされた。
だが――
各国の使節が城を去るその背中を、
椎名は静かに見送っていた。
(……これで、皆様お分かりになったでしょう)
中立公国は、弱くない。
そして――
利用できる場所でもない。
椎名は、剣の柄に触れる。
「……次は、もっと露骨になりますね」
それは独り言だった。
だが、その声には、迷いはなかった。
⸻
中立の名の下で、
外交は続く。
しかし同時に――
本当の戦争準備が、確実に進み始めていた。




