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第五十七話 ボクの思っていること

前回までの、七兜山無免ローヤー!

 神崎の兄に居候がバレてしまった無免ローヤー。元より異常な同居生活。許されるはずがなかったのだ。守亜は言わずもがな、水去も弁解しないまま、屈強なガードにより神崎邸を追い出されて……無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!

 ぽーい

 よろよろ……

 どがっ

 べしゃ……


 神崎邸の外で守亜帝子が見た水去は、まさにこんな感じだった。……つまり、神崎二太郎のボディーガードによって、門の外に投げ捨てられ(ぽーい)、うつ伏せの状態から腕を立ててなんとか起き上がろうとしたところ(よろよろ……)、ぼろぼろのスニーカーが背中の上に降ってきて(どがっ)、力なくまた路上に倒れ伏した(べしゃ……)、というわけである。


 め、めちゃくちゃ情けない……


「水去さまーっ、お待ちしておりましたわー!」


 守亜が彼に駆け寄る。そうして水去の肩に手を置きながら、「なに見てんですの! 見世物じゃねーですわよ!」と、ボディガードの杉浦を睨んだ。「さっさとお消えになってくださいまし!」


 杉浦はさすがに要人警護のプロらしく、身体は大きく屈強で、目つきも鋭い。ロー生二人を見下ろす表情は、あくまで冷たく、隙が無かった。


「それはこっちの台詞だろうよ。貴様ら、もう金輪際近づくんじゃない、八太郎坊ちゃまと神崎家にな。次があったら、しかるべき措置をとる。多少荒くなろうと容赦はしない」


「ふん! いーっ! ですわ! 水去さまが本気を出せば、あなたたちなんて、けちょん・けちょんの・ぱーですわよっ!」


 歯を見せて威嚇する守亜の隣で、起き上がった水去がごそごそ靴を履く。それから「いいんだ、守亜さん。これ以上迷惑かけられない」と声をかけると、立ち上がって歩き出した。神崎邸に背を向け暗闇へと進んでいく後姿に、守亜女生徒が引っ付いていく。


 山の夜風はもう、涼しくなってきていた。坂道はどこまでも、どこかへ向かって続いていた。


「ごめん、守亜さん。俺たち追い出されちゃったなあ。君に住む場所を、提供する約束だったのに」


 しばらく黙り込んで、行き先もなく歩いていた水去が、ぽつりと喋った。少しテンションが落ち着いたのか、守亜もまた、静かに彼の横を歩きながら言葉を返す。


「別にいいですわよ。わたくしは二人でいられたら楽しいですわ」


 彼女の眸は、伏せた睫毛に隠されて、眼差しが柔らかく澄んでいた。しかし水去は気づかない。


「でも、居場所はなくなってしまった……」


「夜を明かすのでしたら、大学にでも行くのが一番ですわね。屋根も支柱もありますわ。安心で、快適ですわよ」


「大学か……うん。そうだね。でも、今は、あんまり近づきたい場所じゃ、ないって気もする……不安で仕方ないんだ……ごめん……」


「ふーん? お聞きしたいのですけれど、水去さまは、何が不安なんですの?」


 守亜女生徒が、大きな目を見開いて、彼の方を見た。向けられた顔立ちを、水去はぼうっと見返す。


「ここにわたくしがおりますのに」


「ありがとう……だけど理不尽は、誰にだって襲い来るんだよ。そう、君にだって……どれだけ善良で、素適で、素晴らしい人でも、容易く奪われてしまう。それが起きた時、この世界は、誰も助けてくれないし、助けられない……」


 ぼかされた言葉を吐きつつ、水去は空を見上げた。暗い布地のような空に、月と星が出ている。声の奥で、喉頭結節すなわち成年男性の喉仏が、震えるように大きく動いた。


「奪い合いなんだ。例えば、俺が、無免ローヤーになって怪人を倒した時だって、たぶん彼らの中の大事なものを奪ってしまってるんだ。戦うってそういうことなんだ」


 守亜女生徒は小首を傾げる。じっとこちらを見る目は、何を伝えているのだろうか。水去にはそれを推し量る知恵も余裕もない。


「衝突する利益をどのように処理するのかでしたら、確かに法がいつも向き合っていることですわね。基本権ですら衝突しますもの。そしてどちらかが負けて、多かれ少なかれ圧し潰されてしまう。憲法でも民法でも刑法でも、常にあること」


「うん……確かにそうだ」


「それで、水去さまは、水去さまのやっている、無免ローヤー、でも、同じことをしようとしてるんですの? 法と同じことを?」


「……難しいな……分からない、俺は……けど、俺のやるべきことが、確かにあるから……今も……」


「酷く苦しんでいますわ、水去さまは」


「いや……そうじゃないよ、なんというか、その……」


「だって水去さまは法ではありませんもの。心も愛も欲も秘めた、一人の人間です。法になろうなんて、ちゃんちゃらおかしいんですわ。だからもっと、ご自分を解放すればよいのに。本当の水去さまを――」


「本当の俺なんて、どこにもないよ……そんな大層なもの……」


 水去はちょっと早足になって、守亜の眼差しから逃れた。そうして涙を流すかのように、小さく言葉を押し出した。


「ただ……俺は、誰も奪われない、誰からも奪わなくていい……安心して眠っていられるような場所に逃げ込んでいたいって……時々思うだけなんだ……そんな場所は、どこにもないのに。戦わなきゃ、駄目なのになあ……」


 呟くと、彼は歩を進めて、逃げるように石の階段を上り始めた。先には小さな公園があった。誰もいない、月に照らされた空間だった。水去は六段の石を上り切ったところで、ちょっと振り向く。「……なんだか柄にもないことを言った気がする。似合わないよなあ、こんな話。はは」と、照れて笑った。そのまま彼は、ふらふらと公園の中に入っていった。


 守亜帝子は笑わなかった。水去の消えた階段の先を、じっと見つめて、それから小さく呟いた。


「いいんですのよ。わたくし、与えることは得意ですのよ。わたくしが共に居て、水去さまの居場所を作って差し上げますわ。水去さまが逃げ込める場所を、安心して眠れる場所を、わたくしが……」


 無論その言葉は水去には届かなかったが、彼女はすぐに彼を追いかけて公園に入った。二人はなんとなくベンチに座り込んで、もう会話は他愛ないものになって、しばらくすると、二人は並んで座ったまま、寄り添うようにして眠ってしまった。


 〇


 ほんの数時間が経って、夜はまだ明けていない。ふとした拍子に、水去は目を覚ました。自分の肩に頬を預けて眠る守亜を、薄く開いた目で確認する。「あっ……よだれ……」自分の服に、彼女の涎が丸く染みているのを見たが、気にせず瞼を閉じてしまった。公園のベンチなんて劣悪な環境にいるのに、心地がいい。なんだか久しぶりによく眠れるような気分で、柔らかなまどろみの中へと沈んでいったのである。月もまた流れて、低く落ちようとしていた。


「……律くん」


 同じ頃、前原女生徒もまた、独り病室の窓から夜空を見つめていた。


 〇


 朝、午前七時くらいか、水去が目を覚ますと、守亜女生徒は公園の隅の草むらにしゃがみ込んで、何やら手を動かしていた。よく目を凝らせば、彼女は石で雑草を引き潰していたのである。ペースト状になった緑色の物体を平たい石の上に載せ、守亜は戻ってきた。


「おはようございますですわ水去さま。わたくし、すっかり忘れておりましたの! この時期は蚊が凄いって! 水去さまのお体、ここもあそこも、酷い虫刺されですわー」


「ん、蚊? ほんとだ、あちこち喰われてる、マジか。守亜さんは大丈夫なんすか?」


「わたくし、蚊なんか効きません。経験の賜物ですわ! 蚊に狙われにくい呼吸法と足の洗い方がありましてよ。外で寝るときの常識ですの!」


「ぶ、無事でよかったっす。ところで、その手元のやつは……」


「天然のかゆみ止めですわーっ! さ、わたくしが塗って差し上げますわよーっ!」


 守亜女生徒が指でペーストを掬い上げ、水去の頬に手を伸ばした。ヌタヌタしたものが顔に触れる。生暖かく、ううっ、草だっ、あ、青臭い……っ!「守亜さん! これを! これを塗るのか! 俺の身体に⁉」「効果はテキメンですわーっ!」しばらく格闘することとなった。アホで楽しいじゃれあいである。


 そうやって、水去が、水飲み場で顔を洗ったりしていた頃……


 ブルジョワ暮らしの神崎邸では、焼き立てのクロワッサンやら色取り取り生野菜やら、冷製スープとか高級コーヒーとか、豪華で整然とした食事が提供され、神崎八太郎はテーブルに着かされていた。真ん前に座る二太郎との口論は、既に幾度も同じ問答を繰り返している。


「八太郎、ついて来なさい。お前も私の仕事に同行させる。こんな山にかかずらうのは、いい加減終わらせなければ。分かっているな?」


「兄さんっ! だからボクはっ」


「そうすれば、お前に家に帰ってくるのだろう! 食べたらすぐに出るぞ」


 二人とも喋りながらなのに、優雅な所作で食事は進んだ。言葉と裏腹に、その手つきにブレは一切なかった。傍から見れば、とても和やかな会食に見えたに違いない。さすがの生まれ育ちである。



(――対比的に書いておくと、同時刻、水去と守亜は、食料を求めて公園を彷徨っていた。「あっ、水去さま、この草は食えますわよ!」「いや、草はもう結構です……」「あっ、水去さま、あっちの虫も食えますわよ! そいっ」「むむむ虫いっ⁉」「さあ水去さま、あーん――」「ほぁああああああっあああああっ⁉」)



 食事を終えた兄は、弟の話も聞かず、ボディガードを引き連れて動き出した。再開発事業のために、こんな時間からどんな仕事があるのだろう。庶民にはさっぱり不明であるが、とにかく、神崎財閥の経営に関わるこの神崎二太郎は、早朝から働き始めるのだ。



(「もおー、これじゃあなんにも食べられないじゃありませんの! わたくしお腹空きましたわー」「そ、そうっすね、軟弱でごめんね、はは……」「まあっ、見てくださいまし水去さま! タマムシが落ちてますわーっ」「おおっ、すっげー! 生きてる生きてる!」「食べ――」「NO!」水去と守亜は公園を出て、あてもなく坂道を下っていく)



 庭を早足で歩き、門を開けて外に出る。用意されていた黒塗りの高級車、そのドアが滑らかに開いた。耳触りのよいエンジン音に、シートや内装だけでなく、車内の空気すらも高貴。二太郎は長い脚を伸ばして後部座席に乗り込む。誰も文句のつけられない光景。


 だが、七兜山は、そんなエリート然とした態度を許さないのであるっ!


 一人の怪人が、自動車の向いた先を塞ぐように現れた。


 ユラリユラリと、大胆不敵に、醜悪な姿を晒したまま、向かってくる! ちなみに闇の肉体に覆われた頭部はリーゼントのように尖り、かなり目立ったデザインをしていた……!



(「水去さまー? そっちは神崎さまのおうちですわよー? もう帰るんですのー?」「おや本当だ、どうもいけない。つい、いつもの調子で歩いてしまうなぁ」「食べ物だけでも貰いに行きますか?」「一日も経たないうちに恵んでもらうのか、な、情けないな」「取り急ぎですわ!」やはり二人はダラダラ道を歩いているのだ。そして彼の行き着く先は――)



「止まれっ、そこの不審なやつ! なんだその着ぐるみは!」


 神崎八太郎に車へ乗るよう促していた杉浦が、不審人物に気づいて声を張り上げる。しかしリーゼント風の怪人は止まらない。ボディガードの二人が前に出た。大柄な彼らに対して、怪人は幾分小柄に見える。身長差は二十から三十センチメートルくらいか? 


 怪人を見下ろしながら、ガードの一人が言う。


「我々に近づくなら、怪しいものを持っていないかチェックする。脱げ」


「ふんゥ……」


「その着ぐるみを脱げと言ってるんだ!」


 ボディガードが怪人に触れた。しかし、その感触は着ぐるみではないようだった。もっと鋭く、冷たく、禍々しいもの。「うっ⁉」反射的に手を引っ込める。その反応を楽しむように、怪人の大きく裂けた口が、ニイィと笑うように開く。不快、不気味、不自然……明らかに作り物ではない悍ましさがあった。


「今、オレの体にィ触ったなァ?」


「なに?」 


「こりゃァ侵害だなあッ!」


 ばんっ、


 怪人の腕が動いたと同時に、目の前のガードが吹っ飛んだ。その身体は軽々と、数メートル先の塀へと、叩きつけられていた。少し遅れて重力に従い、巨体が前のめりに倒れた。もう、ピクリとも動かない。


 現実味のない、普通ではあり得ない光景だった。


「貴様っ!」


 もう一人のガードが特殊警棒を取り出して、即座に怪人を殴りつける。だが、折れたのは警棒の方である。アルミ合金は割り箸のように軽く砕けて、怪人はその場に立ったまま、身じろぎもしていない。攻撃者が狼狽える。怪人は泰然と笑う。


「あァ……、オマエは武器も使ったなァ……ならァ、オレも戦ってやろうかァ?」


 怪人の自己の頭部に手を伸ばすと、闇が集まり、「このッ、凄涛棒鋭でなァ!」現れたのは、巨大なバットか。釘が幾本も刺さったような形状……つまりは闇の釘バット! それを、リーゼントから引っこ抜くように生成した。 


 暗黒の斬打武器:凄涛棒鋭(読み方についてはまた後日)。打撃と同時に、忽ちいくつもの刺創を作って皮膚を壊す尖り。その凶悪さを、生身の人間に対して、怪人は、容赦なく振るうのだ……


「宮崎いいっ⁉」


 きいいいいいい! と地面を引っ掻く音、高級車、運転手が咄嗟にアクセルを踏んで、間へ割り込むように敵へ突っ込む。


 轢殺⁉ 


 いや! 撥ねられるどころか、怪人のスイングは止まらず車の前面、ウインカーやフロントバンパー、ボンネットを端から砕いていく!


 進行方向を強引に変えられた車体は、そのまま真横に九十度ほど転回しつつ、大きく跳ね上がった! ドンッと落ちて、タイヤの吸収できなかった振動が、また車体を揺らす。白い煙が吹きあがった。何かの焦げた臭いもした。


 割れた窓の向こう、運転手の頭はダッシュボードに落ちている。気絶しているらしい。「ゴホっ……!」後部座席のドアの陰から、神崎二太郎が転がり出た。胸を打ったのか、息が酷く重い。「兄さん!」弟が駆け寄る。「誤った判断、乗った車で……っ!」杉浦もすぐに動いて、神崎兄弟を護るように立った。


 しかし、その時には――


「なァ? 自分からァ仕掛けてきておいてよォ、本当によォ……弱えなァァァァ!」


 怪人が、掴んでいた男の巨体を、軽く投げ捨てた。こうして地面に倒れた四人の影。既に、杉浦を除いて、他のボディガードは全滅していた。


「何なんだ、これは……っ」


 神崎二太郎が胸を押さえて呻く。


「二太郎様、八太郎様、今すぐお逃げください。この杉浦では、時間稼ぎしかできそうにありません」


 ボディーガード杉浦が敵の前に立ち塞がり、雇用主らを庇う。そんな部下の存在を見ながら、神崎二太郎はスーツの埃を払い落し、尋ねた。


「お前が、そう思うのか、杉浦っ?」


「ええ、これが私の仕事でしてね。プロとしての判断ですよ、二太郎様」


「……そうかっ! 逃げるぞ八太郎!」


 行動は速く、二太郎は弟の手を掴んで駆け出す。同時に、怪人は武器を振るった。釘がバットから射出され、行く手に突き刺さる。足が止まった。牽制。「……くっ!」「二太郎様っ!」杉浦が兄弟に目を向け敵への視線を切った瞬間、凄涛棒鋭が身体に叩き刺さった。


「死ぬかあああァァァァァッ?」


「ぐううううおおおおおおっ!」


 特殊警棒をかろうじて間に挟み込み、身体へのダメージを減衰させた杉浦。しかし自動車を粉砕した一撃である。いくら鍛えていたとて……強烈な打撃に彼の身体は歪み、弾き飛ばされる……


「おッ⁉」


 瞬間に怪人の態勢が崩れた。真横に引きずられるようにして、倒れる。


「杉浦、よくやったっ!」


 二太郎が叫んだ。見れば、ワイヤーが……杉浦の手に黒鉄のワイヤー、それが怪人の武器に絡んで引きずったのだ。敵の力を利用した妨害。近くの岸壁に叩きつけられた男は、流れる血の中でにやりと笑い、気絶する。


「お前の働き、無駄にはせん!」


 手元のデバイスを操作すると同時に、オート走行の小型車が走りこんでくる。リアドアが自動で開いた。「八太郎、乗りなさいっ!」二太郎が中へ乗り込みつつ、弟へ鋭く指示した。


「……」


「八太郎、早く乗るんだっ!」


「……」


「何をしてる、乗れっ!」


「……違うよ、兄さん」


「なにっ⁉」


 神崎八太郎は、兄の命令を否定した。振り返る。そうして、一歩、二歩と歩を進め、自ら怪人の方へ進む。


「ほおおォ?」


 絡むワイヤーを引き千切り、立ち上がった怪人が驚嘆の声を漏らした。神崎八太郎は止まらず、少し(かが)んで、転がっていた特殊警棒を手で拾い上げる。


「くはははッ、オレにィ、向かって来るのかァ?」


 怪人が、挑発的に嗤う。しかし神崎八太郎は止まらない。


 兄は弟を叱責しようとする。


「八太郎! 逃げるんだ! 杉浦たちの作った刹那を無駄にする気かっ⁉」


「……二太郎兄さん。このままじゃ、みんな殺されてしまうよ。ボクらだけ逃げるなんて……」


「それが仕事なのだ八太郎! 彼らの仕事を無駄にするなっ! 分からないのか⁉」


「……違う、分かってないのは兄さんだ。こんなのは、ボクの見てきた姿じゃない……」


「八太郎っ!」


 神崎八太郎が、特殊警棒を怪人に向けた。


「今は、ボクが、戦うんだ……!」


 〇



 …………



 その時ボクは、いろんなことを考えていた。走馬灯かな、思考が影絵のようにくるくると回っていた。


 水去君のことを思った。だけど実際のところ、ボクがどうして彼に興味を持ったのか、すぐにはよく分からなかった。


 思い出していくんだ。思い出す。


 初めから無免ローヤーには興味があった。その噂を聞いた時、すごく好奇心がそそられた。もちろん仕事のためじゃなくて、研究のためだよ。あの頃のボクは、神崎家の仕事を拒否しようとしていたし、むやみやたらに何か別のことがしたかった。七兜山について、意味もなく調べていた。その中で、彼に話しかけたんだ。


 無免ローヤーがヒーローなのか、彼がヒーローなのか。


 水去君は、最初ボクにいい顔しなくて、珍しいと思った。なんだかとても暗かったように思う。ボクは気になって、彼の後を追いかけたんだ。いろんなことがあった。怪人痴漢男の時は、本当に死んでしまったと、呆然としたこともあった。でも水去君はふらっと帰ってきたんだよ。フルーツの入ったバスケットを手に持って、照れ笑いを浮かべながら。あの時、ボクは初めて、ああ水去君ってこういう人なんだ、と、腑に落ちるような、まるでずっと分からなかった難問の解法を閃いたみたいに、スッと理解できた気がしたんだ。


 そうだった、そうだったんだ。


 水去君はね、戦う人なんだよ。誰かのために。そして多分、戦う姿は見せたくない。戦いが悪いことだって、思っているから。独りで、人知れず傷ついていて、それでいいと思ってる。


 無免ローヤーの力はもちろん凄いのだけど、結局、変身して戦うのは水去君なんだよね。ヒーローって、そういうものなんだ。


 だからボクは、今まで水去君を追いかけてきた。彼を一人にしないために。その戦う姿を、傷ついた事実を、誰かが見ておかないと、彼はちっとも救われない。そうしなきゃヒーローは、悲しいことばっかりじゃないか。ボクが見ている。ボクが覚えてる。水去君のことは、ボクが知っている。たとえ彼が望んでいなかったとしても。……こんなこと言うと、きっと、水去君は恥ずかしがって、嫌がるだろうな。


 もちろん非弁ローヤー:網言正刀だって、同じ力があるんだと思う。興味はあるよ。強大な法の力を、彼がどう使っているのか。どんな風に怪人と戦っているのか。すごく知りたい。法律戦士のサンプル数が増えるんだから、研究にだって、とても役立つ存在だ。でも、ボクが一緒に居たいのは、彼じゃなかった。非弁ローヤーじゃなかった。


 ああボクは、水去君のことが、好きなんだね。


 悩んでいたんだ。


 彼のために、ボクは何もできていないって。ボクは法律が分かるわけでも、戦えるわけでもないから。ただ追いかけているだけ。何の役にも立っていない。それどころか、いつも守ってもらってばかりだ。怪人商標権行使女の時は、ボクのせいで水去君は傷ついた。もっと早く、ボクが論点というものに気づいていれば、情報を伝えられていたら、もっと、もっと彼は楽に戦えたのに。それを水去君自身も、分かっていただろうのに。昨日だって、ボクが兄さんを説得するべきだったのに。


 本当のことを言わないんだ、あの人は。怒っても、悲しんでも、笑っていることが多い。それが、ヒーローなのかもしれない。


 なら、ボクにできることは何なんだろう?


「オマエもオレにィ、向かって来るかァァァァッ?」


「……っ!」


 冷たく刺すような闇が、身体を這い上ってくる。怪人と向かい合う恐怖。これが、水去君のいつも感じていることなんだ。脚に力が入らない。ふわふわとした感覚に紛れ込む、ボクが負けたら皆が死ぬという責任。握った武器の重さ。自分の手で力を振るう覚悟。


「やめろっ、八太郎! 逃げなさい! 逃げろと言っている! 八太郎おおおお!」


 兄さんが叫んでる。できるなら、そうしたいよ。命がけで戦ったことなんてない。けど、ボクの背後には今、兄さんがいて、杉浦さんたちがいて、この町があるんだ。逃げられるわけないだろ……逃げられるわけ……


 あ、そうか、水去君の後ろには、いつもボクがいたんだ。


 こういう気持ちだったのか。


 わかった。


「ボクが止める! ボクが救う! 水去君がいないなら、ボクが代わって戦うんだっ!」


「いいぜェェェェ来いよおおおおォォォォォ!」


「うおああああああああああっ!」


 強く握って、強く踏み出す。特殊警棒を掲げて、袈裟切りに、叩きつけた。攻撃は怪人の肉体に届いて、腕に衝撃があって、その少し後に、折れて、砕けた警棒の破片が、目の前で舞うのが見えた――


「雑魚だなッ! 今すぐ死ぬかァ!」


 怪人が、闇の武器を振り上げた。あちこち尖った釘バット。痛いかな? でも、防げないし、避けられない。これで終わるのか。ボクでは、水去君の、無免ローヤーの代わりには、なれないのか。そりゃ、そうだよね――


 危機に瀕したせいか、時間は引き延ばされて、怪人がこっちに向かって武器を振り下ろす様子が、子細に、ゆっくりと見えた。でも、身体は動かないし、もうどうにもならない。目を閉じようかと思った。だけど、やめた。無免ローヤーの眼は、いつも敵を見据えてるんだから。ボクは敵を睨んだ。


 その時なんだ。


「よおっ、神崎いいいっ!」


 聞きなれた、懐かしい声が、耳に響いた。


「これ使ええっっっ!」


 水去君の声。


 左手にある崖の上から何かが飛んでくる。我武者羅に腕を伸ばし、無我夢中でそれを掴んだ時、彼の姿が見えた。やっぱり水去君だ、無免ローヤー。朝の光と、崖に立つ彼の、真剣な眼差し、作った笑み。ボクは……


 やっと思い出したよ。


 なんで今まで忘れてたんだろう。


 ああ、そうだ、ボクのなりたかったものは――

次回予告

共! 鎖! 絆! 第五十八話「無免ローヤーと立つ者」 お楽しみに!

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