プロローグ-5
[現在]
「何であの時受けちゃったんだろうな…」
数日前のことを思い返し、そして後悔する男の発言を、本を『読んでいる』少女は聞き逃さなかった。
「お兄さんは私といて、楽しくないんですか…?」
光の無い目から零れ出しそうになるのは光るもの。それを見た男は少しだけ焦った表情となる。
「…いや、楽しくなくはないけど…」
「!! それなら良かったです! 楽しいのは私だけなのかと…」
そうして今度はパッと明るい表情へと変わる。これを計算でやっていないのだから逆に恐ろしい。
数日間一緒に生活をしてきたが、この少女は本を『喰う』ということと盲目であるということ以外は本当に年相応の女の子であるのが男には分かった。
普通に笑い、普通に悲しみ、普通に怒り、普通に喜ぶ。この5年間一人であったことが考えられないくらいに。
「…!! …なんて悲しいお話なのでしょうか…。泣けてきます…」
本を『喰った』後のリアクションがその全てを示している。彼女は確かに本を『読んで』それを感じている。
「…一人じゃなかったんだな」
それを見て、男は思い直す。この盲目の少女は一人などではきっとなかった。
「え、あ、はい。ずっとこの子達と一緒でしたから!」
少女は残り数頁となった本をもう一度抱え、そして自らの記憶として残された何千冊もの本を思い返す。
彼女は一人などではなかった。ずっと彼女は、本と共に生きて本を『喰って』きた。
その本は彼女の身体の一部となり。『読まれた』本は彼女の記憶に永遠に刻まれている。
「…でも、もうここにあるのはこれが最後ですね。ラスト数頁で終わってしまう、この子で…」
今まで何千冊以上もの本を『喰らって』きた彼女にとって、それは一種の終わりでもあった。
残りの数頁を、少しだけ躊躇って表紙ごと噛み砕く。後数回の咀嚼で彼女の読書は終了することだろう。
「……………」
それを男はただただ黙って見ていた。自分が踏み行っていい領域ではないことを重々承知して。
最後の一噛みを終え、ゴクリと最後の本を飲み込んだ彼女の目には涙が一杯に溜まっていた。
それは本の内容によるものなのか、自分の目的を果たしたからなのか…。それとも、本に対しての懺悔であるのか。それは彼女以外には知ることはない。
ただ無言で盲目の少女は涙を流し…そしてひとしきり流し終えた後には笑顔が浮かんでいた。
「…もう、いいのか?」
「…はい。もう全て読み終えましたから」
あくまで彼女の本を『喰う』行為は食事ではない。その行為は誰がなんと言おうと『読書』である。
滅んだ国の、もう既に読む人がいなかったはずの本の墓場の本は全て彼女が『喰い切った』。
それは本にとっては最上の幸福であると同時に、本の終わりでもあった。
「…さて、じゃあ俺は行くわ。俺にはやらなきゃいけないことがあるからな」
瓦礫に腰掛けていた男は、置いておいた大きな荷物を背負い立ち上がる。彼がここに来たのは目的の途中でしかない。
「あ、じゃあ私も行きます」
「…えっ?」
「だから、私も行きますって」
「」
軽い感覚で言われた発言に男は驚愕の表情を浮かべて絶句する。
聞き間違いなどではなく、目の前の盲目の少女は確かに自分に着いていくという旨の発言をした。
「…お手伝いしてもらいましたし、私も何か手伝うことがあればと思って…」
「別に気にしなくてもいいんだが…。多分何も面白いことないぞ…」
「それでもここに留まるよりはマシだと思うんです。…ダメですか?」
こんな頼み方をされては断る術もなく…男は何度目か分からない大きな溜息を吐いて、また少女の頭を撫でた。
「…勝手にしろ」
「…!! ありがたいです!!」
少しだけ撫でた後には、すぐに振り向いて歩き出す。もう既に歩いていることに少女は気付くと、男の服の裾を掴んで一緒に歩き出す。
目が見えない彼女の好奇心は強く、そしてまた男への関心もここ数日で莫大に増えていたのは言うまでもない。
「…いつか、お兄さんのことも『読んで』みたいです…」
『喰った』ものの内容を余すところなく全て読み取ることが出来る盲目の少女がそう思うのも無理はなく。
「…それだけは勘弁してくれ…」
それを普通の人間の男が拒否するのもそれもまた無理はない。
これは、盲目の少女が全てを貪り喰う話の序章であった。




