IF話~もしも〇〇だったら~②「時の妖精の悪戯~前編~」
IFパラレル小話。時間軸は第二章のどこかですが、本編とはなんの関係もありません。
かなり前にリクエストをいただいたネタで、リクエスト内容は『魔法で大人になったソニア(中身は幼いまま)にふりまわされるおおかみさんが見てみたい☆』です。
リクエストしてくださった方、ありがとうございました。
ふと、身体に重みを感じた。ひとの気配がすぐ傍にある。
すっかり眠り込んでいた意識は覚醒に近づいていたが、クロードは瞼を上げなかった。怖い夢でも見たか、あるいは寝ぼけたソニアが寝台に潜り込んだのだろうと思ったからだ。
いつものことだと気にも留めず、そのまま再び眠りの世界に落ちて行こうとするが、仰向けに寝転がる身体の上を動かれてはたまらない。腹部への圧迫感に思わず腹筋に力を込めた。
相手は子どもといってもひと一人分の体重はさすがに重い。拾ったばかりの頃は痩せ細っていて枯れ木のように軽かったことを思えば、この重みも歓迎すべきことなのだが――しかし、ソニアはこんなに重かっただろうか。
そこでようやく、クロードは目を開いた。
「おきた?」
目の前にはソニア……ではなく、裸の女。
年はクロードと同じか少し下だろう。波打つ黄金色の髪が肩からこぼれ落ちている。まだ日が昇るには早い時間らしく室内が薄暗いせいでわかりにくいが、瞳の色はおそらく緑。ソニアとよく似た容姿だ。年の離れた姉だと言われたら信じてしまうかもしれない。
だが、そんなことは問題ではなく。
……くそっ、マジか。
他人にこんなに接近されても気づかないなんて大失態だ。本来ならば家に誰かが侵入した時点で気づくべきで、気配の消し方も知らないような弱そうな女に上に乗られるなんてあってはならない。いや、こう見えてこの女は手練れなのかもしれないが。
何を考えているのかはわからないが、素っ裸で武器も持っていないことからクロードの首を狙っているわけではあるまい。第一、クロードはただの剣士だ。名を揚げる目的以外で命を狙われることは少ない。相手が衣服を着ていないことから性的な意味で襲われている可能性もあるが、王都や街中ならともかく、魔の森の自宅にまで押しかけられるような覚えはなかった。
「退け」
混乱しつつも警戒を露わに冷たい声で言い放つ。
クロードの上に乗っていた女は怯えたようにびくりと肩を震わせ、悲しそうに顔を歪めた。
今にも泣き出しそうなその表情にはなぜか見覚えがあって、クロードの心を揺さぶる。見知らぬ人間のはずなのに、その顔は誰かに似ていて――。
「……まさか」
今、この家には二人の人間しかいない。一人はクロード、もう一人は目の前の女。いくら探っても他に気配はなく、誰かが潜んでいることはないと断言できる。
――なら、ソニアはどこにいった?
突然現れた女に、いなくなった少女。答えは明白で。
そこまで考えて、やっと思い至る。やはり寝起きだと頭の回転が遅いようだ。
明らかに年齢の違う二人が同一人物だなんて短絡的かもしれないが、だとしたらここまで接近されても気づかなかったことに頷ける。クロードはソニアを警戒しない。いつのまにか、眠っていているときに近づかれても目覚めないほどにその存在に慣らされてしまった。
夜が明けたと告げるように、窓から光が射し込む。
薄暗かった部屋が明るくなれば、今にも涙をこぼさんばかりの瞳の色が新緑だとわかる。それはよく見知った色で。混乱から抜け出した頭には、今クロードの目の前にいるのが誰かなんてわかりきったことだ。彼女の気配を間違えるはずもない。
手を伸ばして、ついにこぼれ落ちた一滴を指先で掬い上げる。驚いた顔に、やっぱりなと笑った。身体だけ大きくなっても表情はそのままだ。
剣士たる者、視覚にばかり頼っていてはよくない。それを再認識した。すぐに気づいてもおかしくないものを、彼女を悲しませるまで気づかなかったなんて情けない。
「お前、ソニアか」
尋ねる響きのないそれに、彼女が何度も大きく頷く。同じ年頃の女がするにはあどけない仕草だ。中身はいつもと変わらないらしい。
――彼女は姿だけ大人になったソニアだった。
裸の女が自分の養い子だということを確認したクロードは目にも留まらぬ早さでソニアにシーツをかぶせた。絶対にそこから出るなと厳命し、ソニアの衣類を漁るがさすがに今の彼女が着れそうな服はない。だが、裸のままで置くわけにもいかないだろうと自分のクローゼットを漁った。
もちろん、女物の服なんぞあるわけもなく。男物でも今のソニアと同じくらいの身長だった頃の服でもあれば渡せたのだが、残念なことにクロードは不要になった物はすぐに捨ててしまうタイプだ。使わなくなった衣類なんてものはこの家にない。
下は……駄目か。なら、せめて上だけでも羽織らせるか。
シャツを一枚取り出す。なるべく厚手のしっかりした生地のものを選んだ。
短い間とはいえさすがにシーツをかぶせただけではまずいだろう。ソニアの中身は幼い子どものままのようだが、今の外見は年頃の女性だ。色々とまずい。まずい、気がする。
ちらりと寝台の方に目を向けると、白いシーツの山が何やらもぞもぞと動いている。
ソニアが自分の言いつけを守っていることに満足し、今度は作業机に向かった。
「あいつに連絡しとくか……」
能天気な顔をしたとんがり帽子の男を思い浮かべ、連絡を取る相手が彼でいいのだろうかと一瞬悩んだ。
あの相棒が来たらこの状況を面白がるに決まっている。遠慮なくクロードをからかってきそうで、それを想像しただけで不快になった。自然と眉間に皺が寄る。しかし、他に当てはなく、頼れる相手があのふざけた男しかいないという事実に嘆息した。
今の状況から考えると、来てもらうのは女性の方がいいのだが、思いつく知り合いはいない。ギルドマスターなんて呼んでも場が混乱するだけだ。あのひとを呼ぶくらいなら男のサブマスターを頼った方がマシだろう。
自分の交友関係を狭いと感じたことはないが、こういうときに頼れる相手が少ないのはいささか不便なものである。……禄でもない知り合いしかいないことに軽く落ち込んだ。
クロードは引き出しから取り出した小さな紙片に簡単に事の次第を――といっても、クロードにも詳細はわかっていないのだが――書き、それを二つに折って窓から投げ捨てる。連絡用に所持している使い捨ての魔導具はまるで鳥か蝶のように羽ばたいて空に消えていった。
それを見送った後、頼まなければいけないことがあったのを思い出して、失敗したと舌打ちする。仕方なく、さっきと同じ紙片に女物の服を一式揃えて持ってくるように書いてさっきと同じように窓の外へ投げた。完全に二度手間である。混乱からまだ抜け切れていないらしい。
「おおかみさん」
呼び声に振り向くと、白い塊が手を振っている。シーツから出るなというクロードの言葉は守ったようだが、寝台からも出ないでじっとしていてほしかった。シーツが大きいからか、少し足が出ているだけなのが救いだ。
「ソニア、これを着ろ」
クロードがそう言うと、ソニアが服を受け取ろうともがいてシーツから抜け出そうとしたので慌てて寝台の方へ連れて行った。そして、寝台に座らせ、シーツをぐるぐるに巻き付けた状態で手だけ伸ばしてきたソニアにシャツを渡す。
「これ、おおかみさんの?」
「ああ。上だけだが、ないよりマシだろう」
「おっきくなったのに、まだおおきい」
「今のお前に合うサイズの服はさすがにない。いいから、さっさと着ろ」
言うが早いか、ソニアはいそいそと着替えを始める。
慌てて視線を逸らすが、勢いよくシーツを脱いだソニアの肌が見えてしまって――なんか色々とやばかったクロードは近くの壁に思いきり頭をぶつけた。ちょっと落ち着こう。ごんごんと壁に頭突きを喰らわせていると、クロードの奇行に驚いたらしいソニアから声がかかった。
「なんでもない。気にするな」
「……いたくないの?」
「痛くないし、なんでもないから気にするな」
ソニアが着替え終わるまで壁と格闘していたクロードの額は赤くなっていたらしく、ソニアにずいぶんと心配される。軽くぶつけただけのつもりだったが、勢いをつけすぎたようだ。まあ、気分は落ち着いたので良しとしよう。
「それで、いったいどうしてそんな姿になったんだ?」
シャツを身に付けたソニアに向き直り、マルセルの来訪までに事情を聞こうと問いかけた。
「えっと、あの、ようせいさんが……」
「ちょっと待て」
「え?」
言いながらシーツを畳もうとするソニアの言葉を遮ると、彼女は不思議そうな顔でクロードを見つめる。とにかくシーツは畳まなくていいから膝に掛けておくように言い含め、話の続きを促した。
ソニアの顔が“なんで?”と言っていたが、理由は口にしない。見た目だけ成長していても相手はまだ六歳だ。子どもと言っても羞恥心はあるだろうし、服を着なければいけないことくらいわかっているだろうが、年頃の娘が男の前で肌を晒してはいけない理由を上手く説明できる気がしなかった。
「なんで?」
思ったことを口にするその素直さを好ましいとは思うが、今だけは控えてほしいと思うのは我儘だろうか。ソニアは他人に気を遣いすぎる性格なので、こうして尋ねてくるのは彼女がクロードに気を許している証拠なのだろうけれど、喜ばしいはずのそれが今はちっとも嬉しくない。
「なんでも、だ」
理由を訊くなと言えば、訝しげにしつつも頷く。
そんなソニアに内心ホッとしつつ、クロードは彼女が姿だけ大人になったときのことを聞くことにした。
こういうことを求められてるんだと思ったんですが、違ったかも。ちょっと本編とは違う雰囲気のクロードを楽しんでいただけたら幸いです。
ちなみに、これを相方に読んでもらったとき「おおかみさん、枯れてなかったんだね」って言われたんですが、クロードはまだ十八歳なんで。お年頃ですから、一応。
でも、彼は男女問わず他人を強いか弱いかで判断する節があります。動物的。警戒心が強いので懐に入れた相手とじゃないと関係が発展しないという……。