海上の影
朝食を終えた三人は、港会長と約束していた桟橋へ向かった。
桟橋にはいくつもの船が並んでいる。大きな帆船、小回りの利きそうな小型船、荷運び用の船。朝の潮風を受け、帆や縄が小さく揺れていた。
その中に、港会長の姿があった。
「おっ、来たな」
「おはようございます」
ティアが丁寧に挨拶する。
会長のそばには、三人の船乗りが立っていた。昨日酒場で飲んでいた者たちではない。どの顔にも、海で生きてきた者特有の落ち着きがある。
「おう。こいつらが船を動かす」
会長が顎で示す。
まず、左にいた筋肉質な三十代ほどの男が前に出た。
「ライドだ。よろしく頼む」
続いて、元気のよさそうな若い船乗りが明るく笑う。
「シップっす! 今日はよろしくっす!」
最後に、シップより少し年上に見える二十代の男が軽く頭を下げた。
「シンドです。操舵を担当します」
ガルウィンたちも、それぞれ名乗って挨拶を返した。
会長は三人の船乗りを見て、胸を張る。
「こいつらは、うちの港でも精鋭だ」
だが次の瞬間、その表情が真剣なものに変わった。
会長はガルウィンの肩に手を置く。
「絶対に、生きて帰らせてくれよ?」
その声には、昨日までの豪快さとは違う重みがあった。
ガルウィンは会長の目を見て、静かに頷く。
「ああ。任せろ」
会長は一度だけ深く頷くと、桟橋の先に停まる船を指差した。
「よしっ! じゃあ、あんたらが乗る船はあいつだ!」
その先にあったのは、大型船ではなく小型の帆船だった。
ただし、戦闘を想定しているのか、船体の両側には大砲が三門ずつ備えられている。
「小さいが、この人数なら十分に動かせる。あまりデカすぎると小回りが利かねぇからな。タコを倒すなら、動けた方が戦いやすいだろ?」
「ああ、そうだな。これで十分だ」
ガルウィンは満足そうに頷く。
その後ろで――
「……あぁ〜、もうすぐタコと戦うのか〜。う〜、いやだ〜……」
ジオが現実を思い出したように、その場にへたり込んだ。
ガルウィンも内心ではまったく同じ気持ちだった。
しかし、それを他の者たちの前で見せるわけにはいかない。
彼は静かにジオのそばへ歩み寄り、ぽんと肩に手を置いた。
「……覚悟を決めろ。人生には、いくつもの試練が待っているものだ」
「重いんだよ……」
ジオがげんなりと呟く。
その横で、ティアも少し身を震わせた。
「わたしも、船の上だから怖いんだけど……」
するとジオが、まるで仲間ではないとでも言うように冷たく返す。
「ティアはタコ好きだから別にいいだろ」
ガルウィンも深く頷く。
「……そうだな」
「えぇ〜……女の子なのに……」
ティアは少し傷ついたように肩を落とした。
どうやら男二人は“タコが怖い”ことで強く結託してしまったらしい。
ティアが怖がっているのは、船上で戦うことなのだが、その不安はあまり共有されなかった。
そうこうしているうちに、船乗りたちが船へ乗り込み、出航の準備を始めた。
「おい、あんたら。早く乗り込まねぇと行っちまうぞ」
会長が声をかける。
「さっ、行くよ!」
ティアはジオの手を引き、桟橋を走り出した。
ガルウィンもジオの背中をばんっと叩く。
「さっさと倒して、南大陸へ行くぞ」
ジオは何も答えなかった。
だが、その目には少しだけ気合いが戻っていた。
⸻
三人が船に乗り込むと、ライドが錨を引き上げ、シップが帆を張る。
シンドが舵を握り、船はゆっくりと桟橋を離れていった。
港会長は桟橋から大きく手を振る。
「頼んだぞ!」
その声を背に、六人を乗せた小型帆船は海へと出た。
⸻
海に出てから、二時間ほどが経った。
今のところ海は穏やかだった。
風はちょうどよく、帆が静かに膨らんでいる。船体が波を切る音だけが、心地よく耳に届いた。
船乗りたちはそれぞれの仕事についている。
ライドはマストの上で見張り。
シップは甲板で大砲の整備やロープの点検。
シンドは舵を握り、船を安定して進めている。
三人も最初はシップの作業を手伝っていたが、一通り終わると彼に止められた。
「もうすぐ戦いが始まるかもしれないんで、三人は休んでてくださいっす!」
それでジオは甲板に寝転がり、空を眺めている。
ティアはというと、ほとんど初めての船旅に目を輝かせていた。
「わ〜! ガルウィン! あそこ、何か跳ねたよ!?」
海面を指差し、身を乗り出す。
すぐ横にいたガルウィンは、慌てず彼女の腕を掴んで船側へ引き戻した。
「ティア、危ない。そんなに身を乗り出すな」
「あっ……ご、ごめんなさい……」
ティアは申し訳なさそうに肩をすぼめる。
「気にするな。だが、できればもう少し離れて見てほしい。船が揺れたら危ない」
「うん、わかった」
ティアは素直に頷く。
それでも好奇心は抑えきれないらしく、今度は甲板をゆっくり歩きながら周囲を眺め始めた。
やがて、操舵をしているシンドのそばへ行く。
「どこでタコの魔物が出るんですか?」
シンドは前方を見たまま、丁寧に答えた。
「ここからもう一時間ほど進んだ海域によく出没します。周囲に魚の死骸や、奴が吐き出した墨が見えるので、近くまで行けばすぐ分かります」
「そうなんですね。ありがとうございます」
ティアは礼を言うと、ジオのそばまで戻って座った。
ガルウィンもその後を追い、隣に腰を下ろす。
「もうすぐだね」
「そうだな」
ジオは横で、ぐぅ、と寝息を立てている。
ほんのしばらく、穏やかな時間が流れた。
海風。
波音。
帆の軋む音。
このまま何事もなければいい。
そう思ってしまうほど、海は静かだった。
だが――
「いたぞ! アイツだ!」
マストの上から、ライドの大声が響いた。
次の瞬間。
海面が大きく盛り上がった。
巨大な影が、水中から浮かび上がる。
そして――
海を割るように、巨大なタコが姿を現した。
水しぶきが空へ跳ね上がり、大きな波が船を揺らす。
「きゃっ!」
ティアが体勢を崩す。
ガルウィンは即座に身体を掴み、支えた。
ジオも飛び起きる。
「うおっ!? 来たのか!?」
海面に現れた巨大なタコは、まるで新たな食糧がやって来たとでも言うように、無数の足をばたつかせていた。
普通のタコとは比べ物にならない。
足の数も太さも、異様だった。吸盤のひとつひとつすら、人の頭ほどもありそうに見える。
ガルウィンとジオの顔色が、一瞬で悪くなる。
「……」
「……」
恐怖と嫌悪が、二人の背筋を同時に走った。
海上戦が、ついに始まろうとしていた。




