「白黒マントの暗黒舞踏」
No.6と死んだ村の住人、看板娘のパヌは村の散策を続ける。
「ところでどうして私の記憶の村にあなたがいるの? あとは、レイジさん…」
まだこの村の構造についてはよくわからないところがあった。
歩いていると自分の中にある疑問について深く考えずにはいられない、看板娘とは気が合ったので尚更語ることも少なかったから疑問の答えは一向に出ない。コミュニケーションの下手なNo.6はどうしても自分から話あぐねてしまうのだった。
「あなたきっとレイジってやつと運命的なものがあるのよ。総て姫様に会えたとしたらそっちで聞いたほうがいいと思うけど、あたしにとってはあたしの世界にあなたが入り込んできたって考えになるし。私とあなたもお互いものすごーく共通したものがあったか、どこかで会ったことがあるかだワ。」
そう言われてもNo.6はパヌに会ったことがあると思える節が全くない。
現世では看板では決してなかっただろうが、パヌ自身が名前や性別まで忘れているのだから致し方ない。そうして記憶を探っていることを見てとったのか、パヌもなんとか助け舟を添えようとしてくれる。
「でも多分パヌはここで、ずぅっと一人でいたから現世でも一人で死んだはずなの。なんなのかしらね、裏切りとか自殺とか… 現世のパヌは想像もできないほどお人好しだったみたいね。」
そう言うパヌは少し寂しそうに話していた。
誰にも読まれない看板でいた時は本当に寂しかったのだろう。
この世界では、現世の面倒なしがらみの数々から解放されて「かわいそう」と思ってもいいなと思ったけれど、同情心を厄介の元として敬遠してきたNo.6にとってそれはどう扱っていいのかわからなかった。
それを表してしまえば、時を間違えて自分が下賤なものになったりパヌを傷つけたりするということを察した。それで素知らぬ顔で歩き続けた。
そうして歩いて散策を続ける二人だ。歩き続けるに連れてこの世界の異様さがますます露呈してくる。
こちら側は三つの区間に分けられている。
誰でも入ることのできる繁華街「サンタ・マリア」に、自身と深く関係のある人間だけが入ることのできる「ニーニャ」の村は各々にとって一つだけで死者の数だけ存在する。
もう一つ区間があるらしいのだがここに限ってはパヌも全く知らないとのことだった。どうしてあると言われているのかすらわからない場所だという。
「だから新参に伝えるのも無粋だけど、あるって思わないとここにいられない気がするのよ」と、パヌはその土地について話してくれた。
市民の干渉できない一種の行政地区なのかもしれない。
「そういえばさっき川の浅瀬を、踊りながら渡っていた人々って? それにあそこの、家の中でなにか織っている窓辺の黒い人は?」
先ほどパヌと出会った場所から離れようとした時「キィ…キィ…」とか言いながら大きな松明を持った一人の者を中心にして、起き上がりこぶしになった土偶のような動きで踊りながら歩いている集団があった。
もう一つは村の家の窓辺に見えていてこの世界にある白い鞠を集めて黒く塗りつぶしたような姿の者。しきりに機織をしているが音もしないし何を織っているのか分からないし何かが出来上がっていく様子もない。
「あら、見覚えないの?目の効く人だといつも見ている類のものだわ、心象風景ぢゃない。ちなみに白いふわふわしてるのは思い出の塊。この村にだけあって、思い出が一つ一つ詰まってるの。ちゃんと自分の心に根付いてるものを見極めて割ればどんな思い出なのかわかるワ。」
それでは、割ってもわけのわからない音しか聞き取れなかったNo.6に思い出と呼べるだけの思い出がないということだろう。
「あ、でもあのヘンテコな踊りを踊ってる集団はあんたのじゃないはずよ、町で聞くと誰の村にも入ってくることがあるっていうぢゃない。結局あいつらが本当になんなのかは分からないけれど、みんな風の民って呼ぶのよ。踊ってるのは暗黒舞踏なんだって。変な意味じゃないわよ。あの踊りの記憶ってなぜか誰も持ってるのよ、人の名前は忘れてるのにね。」
暗黒舞踏の名前には聞き覚えがあった。
見たことはないが、太古の昔に細々と続いていた舞踏派閥の一つでいつか誰かに異端とされ弾圧されてしまったらしい。
文献によるとそれが争いを滅ぼすから。「絶世の美女が病床に臥せっていてそれを見守るかのような心」と書いてあった。ひどく呪術的で宗教的なものだった。
古代の人間にとって暗黒舞踏を見るのはポルコの拷問を見るようなものだったのだろう。それを消し去ってしまいたいというのは、可能であれば否定できない考えだ。
しかしどうして現代の死者が集まる場所に太古の記憶があるのだろうか。
「火を持ってるのに風の民なの、不思議でしょ。人が現世で悲しかったり、誰かを憎いと強く思った時に風に吹かれたみたくあの火が燃え上がるんですって。それを鎮めるためにこの世界を回りながらずぅーと踊り続けているんだワ。昔は現世にも存在した種族の亡霊らしいの。」
死んでも自分の使命を全うしようとするなんて不憫な民だと思える。
パヌの案内で村を一周してみたものの、話を聞いているうちに二人はあっという間に元いた場所へ戻ってきた。
村を出ることも可能なようだったが今はむやみに歩き回るより「サンタ・マリア」の町の方へ行ってるのがいいだろう
戻ってくるとレイジがじっと川の向こうにいる風の民をじっと見つめている、その横へ行ってNo.6はそっと話しかける。
「興味あるの? あれ。 暗黒舞踏って言うんだって。」
「ああ、知ってる。見てるとなんだか瞼が熱くなって、さ。眺めてるとお前に会えた理由も妹が危険な目にあわされてる理由も、何もかも理解できる気がするんだ。」
◆
彼らは嫌なほどまでに官能的な表情をしていた。
笑、笑顔、その表情は歓喜に満ちている。
彼らが帳尻を合わせたように「お母さん!」と叫んで自分の身を守るような動作を取る。
彼らは完全な調和の中で踊っている、パフォーマンスを見ているようだ。
手取り足取り、全て脆そうで、風が吹いてしまえば消えてしまうような体を彼らはしていた。よく見ると全員裸体。体は骨ばっていて、あたかも一つの糸が立って踊っているようだ。
どこかへ流れてしまいそう。何かを求めているよう。どこかへ行こうとしているよう。
人が美しいと思う感情、動作、言葉、全ての本質が踊りの動作に組み込まれているようである。
例えば何かの思想に感動するとか、どういう結末が待っているのだからいいとか、そういう掃き溜めのような臭いものは脱ぎ捨てて、本当に美しかった。人間の甘えや醜さを超越している。
踊りを見ながら人の言葉を思い出せば、やりきれない怒りが自分の中に湧き上がってくる。
怒り…? 憎しみ…? 思えば愛する人の言葉ですら、憎いものであったかもしれない。
しかしそれを許していかなければ、すべて許していかなければ。
この世界は醜い。
あたかも「粒子」とすれば粒子。「波」とすれば波である量子力学的な実験の世界。だからきっとこの世界も…
だから身を任せてしまおう、この愛に。全ての世界というものを脱ぎ捨てて。言葉なんて糞食らえだ。
人が恋をするとか、好きだっていうとか、みんな馬鹿げていてくだらないものだ。酷く醜い。拷問をするポルコの匂いよりも。
でもきっと許せるよ。と、彼らは震えた手を空へ伸ばしていくのだった。
◆
No.6とレイジは踊りの芸術性に酔いしれていた。
「レイジさん危ないっ!」
しかしその時黒いマントと白いマントを纏った二人の風の民が忽然と現れ、レイジたちに襲いかかったのである。その者らは一人は風の刃、一人は火の刃を持っており振り下ろしてくるが早々に気づいたNo.6はレイジを抱えそれを回避する。
『アンタ誰だがや?』と黒マント。
『私アンタだがや。私醜いがそりゃアンタも同じで溝に顔移しゃお互いさまに怖いのヨ。アンタ私だがや。しかしもうあの憎しみの渦には戻りたくないなあ… だから手さ離すな、しっかり握ってな。離すんじゃねえぞ。』と白マント。
黒マントと白マントはあたかも今初めて出会ったようにお互いを見て話し、手をつなぐとカタカタと首を鳴らし踊りだす。
『でも怖いんだよ僕…』と黒マント。
『しっかりしろ、億万年前だって夏の空は人見知りだし、旅立つ時は寂し。』と白マント。
彼らは確実に調整を保っていたが、側から見るとどこかぎこちない。
二人は「共にある」には自分のどこかを修正しなければならないともう悟っていたのだろう。絶対に全ての者が満足していられる世界はないのだから。
彼らは急速に成長する胎児のように見える。
『憂いの醜さそれを消し、死の心、世情世界にばら撒かん!』と言った白マントは黒マントをぎゅっと抱きしめ、彼らは一つの体に収まった。それがNo.6たちの方へ襲いかかってくる。
抱きしめていたレイジを捨てNo.6もまたそれに襲いかかっていった。彼女は魔法の糸を纏めて刀代わりに鋭く変化させ「白黒マント」に応戦していく。
まず一つの火の刃はNo.6の体をすり抜けていく。ここでもう一方の風の刃も同じものかと思ったNo.6は一気に白黒マントへ肉薄するが自分の刃もまた幽霊のようにすり抜けていった。
次の瞬間レイジが立ち上がり決死の思いで拳を叩き込むと白黒マントの顔にそれは埋まり、白黒マントはジタバタしている。
『ふべっ! ふべっ?』
抜け出した白黒マントと叫ぶレイジ。
「6番! こいつらは波長だ、魔力の波長そのものなんだ!」
No.6はなんとか理解した。白黒マントは倒す者ではなく、自分の中に取り込んで消さなければならない者だと。
暴力性では消しえない「何か」
優しく、優しく。自分の中にある母性をありったけに詰め込んでNo.6は佇んでみる。白黒マントの刃が彼女の体に二つ突き刺さった。
そこへNo.6が自分の刃を突き立てる。
形容しがたい空が頭上に、グレープフルーツ色の月と共に浮かんでいる。今は黄昏時だ。
その中で白黒マントは分離し青みを帯びていった。
『憎しみの渦が覗ける…』と黒マント。
『戦争も心の崩れも皆一緒…』と白マント。
『恋の話も皆一緒… 誰がどうというわけでない、くれてやれ!』と黒マント。
『自分のせいだから…』と白マント。
彼らは青みを帯びるがままそっと消えていった。
「おい6番! 大丈夫か!?」
「あ、うん。大丈夫。傷口ももう塞がったみたい。」
驚くべきことにNo.6にできたと思われた傷はすでに癒えている、どこを探しても血痕が見つからない。
「あいつら何だったんだ…」
「多分レイジさんと私の心の形… それが暗黒舞踏に触れたことによって顕現し、襲いかかってきたのよ。でもあいつらと違って私たちは二人だったから倒せた。」
そうか、白黒マントは「決して一つになてはいけないよ」とレイジたちに伝えに来たのだ。若者の恋に「決して焦ってはならない」と伝えに来たようなものだろう。
形容しがたい微笑みを浮かべたNo.6の顔にもう奴隷時代の名残は見えず、ただ目に刺さったアンティーク調の時計が動いているだけだとレイジは悟った。
ぐしゃぐしゃになってはいない普通の女の子の顔が眼前に迫る。
「お、おいお前…? 目、見えて…?」
「え?」
No.6の目にはレイジの顔が映ったように思えて、彼女は川の方へ走って行き自分の顔を確かめようとした。しかし目の中は暗闇のまま。
どうして自分はパヌが看板だとわかった…?
この世界においてよくわからないまま視界に映ってくるものがある。ついに彼女は自分の目が見えるのか見えないのか分からない。
ただ一つずっと見えないものはレイジの顔。だから彼の顔を確かめないことには、自分が生きているのだと確かめられない。
レイジに見えているのはただ可愛い女の子の顔。でもNo.6は醜いから美しかったのではないか、という矛盾が彼の世界を不安定にさせていく。
二つの世界は仄かな感覚だけを頼りに交錯している。
それでもNo.6は今しがたレイジの顔が見えた気がして、それをとても温かく優しい顔だなと思っていたのである。
だってここは「死」の村なのだから。