↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魔力ゼロの武術家 ~異世界を修練空間(トレーニングモード)で攻略する~』  作者: いなる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/84

プロローグ 終わりの戦場

 戦いは、終わろうとしていた。


 幾重にも築かれていた巨大な土壁は無惨に砕け、抉れた大地には深い亀裂が走っている。折れた武器や砕けた岩が散乱するその間には、人間と魔族の区別なく大勢の者たちが倒れ伏し、少し前まで響き渡っていた剣戟も怒号も、今では嘘のように消えていた。


 残っているのは、負傷者たちの荒い呼吸と、戦場を吹き抜ける風の音だけだった。


 その中央で、二人の男が向かい合っている。


 一人は、人類最強と謳われる勇者。


 金色の髪は土と血に汚れ、白銀の鎧にはいくつもの傷が刻まれている。手にした聖剣も無傷ではなかったが、その刀身には今なお膨大な魔力が宿り、淡い光を失ってはいない。


 それでも勇者は、片膝をついていた。


「……っ」


 聖剣を地面へ突き立て、震える脚へ力を込める。


 何度も斬った。


 何度も魔法を叩き込んだ。


 それでも、目の前の男を倒すことはできなかった。


 魔王軍四天王――ブロン。


 二メートルを遥かに超える巨体は、首も肩も腕も異様なほど太く、その全身を黒い何かが覆っていた。


 一見すれば、漆黒の鎧。


 だが金属ではない。


 魔力だった。


 勇者の知る魔力防壁は淡く透け、薄い膜のように展開される。だが、ブロンを覆うそれは違う。膨大な魔力が極限まで圧縮され、光すら通さない黒い外殻となって、その巨体へ張り付いていた。


 魔装。


 勇者の聖剣をもってしても、完全には破れなかった。


「まだ……」


 勇者は歯を食いしばり、再び立ち上がろうとする。


「まだ、終わってない」


 その姿を見下ろしていたブロンは、しばらく何も言わなかった。


 やがて、低く告げる。


「終わりだ」


 右拳を握る。


 黒い魔装が僅かに波打った。


「お前は強かった。だが――ここまでだ!」


 地面が爆ぜた。


 巨体からは想像できない速度で間合いを潰し、拳を振り下ろす。


 勇者は咄嗟に聖剣を構えた。


 拳と刀身が激突した瞬間、轟音とともに大気が震え、勇者の足元が大きく沈み込んだ。


「ぐっ……!」


 押される。


 聖剣にはまだ魔力がある。


 勇者自身にも。


 それでも、押し返せない。


 腕が震え、身体が少しずつ地面へ沈んでいく。仲間たちはすでに倒れ、魔族側もほとんどが戦闘を続けられる状態ではなかった。


 この場で、まだ戦える者は――。


「……遅かったか」


 静かな声がした。


 ブロンの拳が止まり、勇者も顔を上げる。


 崩れた土壁の向こうから、三つの人影が現れた。


 先頭を歩くのは、黒髪の青年だった。


 勇者よりやや低いほどの背丈に、戦場へ出るにはあまりにも軽い装い。目立った鎧はなく、腰に一本の剣を提げているだけだった。


 その後ろには、青年より背の高い男が続く。濃い色の外套に身を包み、腰元には短刀らしきものが見える。外套の内側にも何かを隠しているようだった。


 もう一人は、小柄な少女。


 紺色の外套に丸眼鏡。手には先端に結晶を備えた杖を持ち、魔法使いらしい装いをしている。


 三人。


 それだけだった。


 援軍と呼ぶには、あまりにも少ない。


 そして勇者は、先頭の青年を見て眉を寄せた。


 魔力が。


 感じられない。


「……誰だ」


 ブロンが低く問う。


 青年は答えず、荒れ果てた戦場を一度見渡してから、そのまま勇者の方へ歩いてくる。


「……逃げろ」


 勇者が言った。


 青年がこちらを見る。


「こいつは強い。三人とも今すぐ――」


「少し下がってて」


「……何?」


「危ないから」


「いや、だから危ないのはお前たちの方で――」


 青年はそれ以上聞かず、勇者の前へ出た。


 後ろにいる二人も、止めようとはしない。


 ブロンの眉間に皺が寄る。


「お前、俺が誰か分かってんのか?」


「知らない」


「……」


「誰?」


 ブロンのこめかみに青筋が浮いた。


「いい度胸だ!」


 地面が爆ぜる。


 ブロンの巨体が一気に距離を潰した。


 右拳。


 先ほど勇者を正面から押し潰した拳が、今度は青年の顔面へ向かって放たれる。


「避けろ!」


 勇者が叫んだ。


 だが、その拳が届く頃には、青年の身体はすでに半歩だけ横へずれていた。


 ブォン――!


 轟音とともに拳が空を切る。


「――な」


 かわされたと見るや、ブロンは間髪入れず左拳を下から突き上げた。


 アッパーカット。


 青年の顎を砕く軌道。


 それも当たらない。


 身体が滑る。


 地面を強く蹴った様子もなく、上半身だけを反らしたわけでもない。頭から足元までが一つの塊のように位置を変え、その動く過程だけが抜け落ちたように見える。


 まるで。


 一瞬だけ映像がコマ落ちしたような動きだった。


「……なんだ、あの動きは?」


 勇者が思わず呟く。


「気持ち悪いよな、あれ」


 すぐ横から声が返ってきた。


「!?」


 勇者が振り向くと、先ほど後ろにいた外套の男が、いつの間にか近くまで来ていた。


「止めなくていいのか?」


「今のところは」


「今のところ?」


「本当にまずくなったら行く」


「いや、もう十分まずいだろう」


 男は答えず、再び青年へ視線を戻した。


 杖を持った少女も静かに戦いを見ている。


 ブロンが拳を放つ。


 青年が滑る。


 追えば離れ、離れたと思えばまた懐へ戻る。


 攻め続けているのは間違いなくブロンなのに、二人の距離だけを見ていると、不思議なほど動きが滑らかだった。


「……なんでお前たち、そんなに落ち着いてるんだ?」


 勇者が問う。


「慣れたからじゃないですか?」


 少女が答えた。


「慣れるのか、あれに?」


「多少は」


「俺はいまだに気持ち悪いと思うけどな」


「聞こえてる」


 戦っている青年から声が飛ぶ。


「聞こえてんのかよ!」


 外套の男が思わず叫んだ。


「よそ見すんな!」


 ブロンの怒声とともに拳が飛ぶ。


 青年はそれもかわした。


 だが、ブロンも同じことを繰り返すつもりはない。


「いつまでも避けられると思うな!」


 右、左、蹴り。


 青年が動く先へ先回りするように拳を置き、逃げ道を少しずつ潰していく。


 青年の位置が後ろへ下がっていくのを見て、勇者が眉を寄せた。


「……追い詰めてる」


「いや」


 外套の男が目を細める。


「違うな」


 勇者も青年の足取りへ目を向けた。


 一見すればブロンの猛攻に押されているようにしか見えない。だが、その後退する方向には妙な規則性がある。


 青年は自分から、ある場所へ向かっている。


 その先には戦闘で荒れ、大きな亀裂が走った地面があった。


「誘ってる……?」


 ブロンの右足が、その亀裂の縁へ乗った。


 同時に右拳が振り抜かれる。


 青年は拳の軌道から外れながら、すれ違うように左手をブロンの前腕へ添えた。


「またそれか!」


 ブロンは構わず押し切ろうとする。


 触れられたところで、踏ん張ればいい。


 右脚へ力を込めた。


 その瞬間。


 ズッ。


「――!」


 亀裂の縁が崩れ、右足がほんの僅かに沈んだ。


 それだけなら、普段のブロンなら何の問題にもならない。


 だが、拳にはすでに全身の力が乗っている。その行き先を僅かに逸らされたところへ、身体を支える足の位置までずれた。


 腰が流れ、肩が開く。


 ブロンはすぐに左足を踏み出して体勢を戻そうとした。


 その瞬間。


 黒い魔装が僅かに波打った。


 青年の目が変わった。


 大きく見開かれた目は、ブロンだけを見てはいない。足、腰、肩、そして黒い魔装までを同時に捉えているようだった。


 ブロンが立て直すより早く、青年はすでに懐へ入っている。


 それまでの滑るような動きとは違った。


 踏み込んだ足が地面を捉え、そこから生まれた力に押し返されるように腰が回る。その回転は胴を抜けて肩へ伝わり、身体全体が一本の螺旋を描くように沈み込んだ。


 その終着点に。


 右肘があった。


 ――ドッ。


 短い一撃。


 ブロンの巨体は吹き飛ばない。


 地面も砕けない。


 先ほどまでの激しい攻防に比べれば、あまりにも地味だった。


「……それだけか?」


 ブロンが青年を見下ろす。


 その時。


 ピシ。


 小さな音がした。


「……あ?」


 黒い魔装の表面に、細い亀裂が走っている。


 もう一本。


 さらに。


 亀裂が枝分かれし、腹から脇腹、胸へと這い上がっていく。


「待て……」


 ブロンが魔力を込める。


 黒い外殻が激しく揺れた。


 それでも亀裂は消えない。


「何しやがった!」


「身体が崩れた時だけ、それも揺れてたから」


 青年はブロンの身体と魔装を見る。


「その時に打った」


「……それだけか?」


「うん」


「魔装を理解したのか?」


「いや」


「は?」


「魔法、よく分かんないし」


「……」


 ブロンの顔が引きつった。


 次の瞬間。


 バキッ。


 亀裂が一気に走った。


 腹から胸へ、胸から肩へ、肩から腕へと黒い外殻が崩れ始め、弾け飛んだ破片は身体から離れた瞬間に黒さを失い、淡く透き通った魔力へ戻りながら空気へ溶けていく。


「……魔装が」


 勇者は聖剣を握ったまま、その光景を見ていた。


「壊れた……?」


 何度斬っても。


 魔力を込めても。


 破り切れなかったものが。


 目の前で砕けていく。


 やがてブロンを覆っていた魔装は完全に消えた。


 ブロンはしばらく自分の身体を見下ろしていたが、やがてゆっくりと顔を上げる。


「……貴様」


「?」


「何者だ」


 青年は答えず、自分の右肘を軽く擦った。


「……痛っ」


「……」


「硬かった」


 ブロンの顔がまた引きつる。


「お前、人の魔装ぶっ壊して最初に言うことがそれか?」


「だって痛かったし」


「ふざけんな!」


 怒声が戦場へ響いた。


 勇者は、その青年を見ていた。


 魔力は感じない。


 ブロンを上回るような身体能力もない。


 なのに。


 自分が破れなかったものを。


 この青年は崩した。


「……何なんだ、あいつ」


 誰に聞かせるでもなく、言葉が漏れる。


 答える者はいなかった。


 そして。


 目の前の青年自身もまだ。


 この世界のことを、ほとんど知らなかった。


 ――あの時の俺は、まだ魔法を知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。