誤解かもしれない、という思いを捨てきれない
庭の木々が風に吹かれて窓辺にゆらゆらとその影を揺らしていた。
クロエはカーテン越しにそれを眺めながら、手元の紅茶にそっと口をつける。
静かな部屋に時計の針が時を刻む音だけがかすかに響く。クロエは窓の外を眺めながら小さく息を吐いた。
「さて……どうしたものかしら」
最悪な未来を防ぐための構想が、彼女の頭の中を幾通りも巡っていた。
最も適した案はなにか……指先で紅茶のカップをゆっくりと回しながら、彼女はようやく二つの案に辿り着く。
一つは『どうにかしてあちら有責で婚約破棄までもっていくこと』。
婚約段階であればレオナルドに毒殺される未来は確実に回避できる。
もう一つは『結婚後にすぐ離縁すること』。
結婚さえすれば父から当主の座を譲られ、クロエがカレンデュラ女公爵となる。当主の地位さえ手に入れたなら、離縁の決定権もクロエの手に委ねられる。そうすれば、たとえ父が反対しようともそれを聞く必要はなく、簡単にレオナルドと離縁できる。
「前者をとるか、後者をとるか……」
出来ることなら前者を選びたい。婚約段階でなら毒を盛られる可能性は低いはずだから。
レオナルドから贈られる食品や、彼の家でのお茶会で提供される飲食物にさえ気をつけていれば毒を口にすることもない。
だが、そうなると障害として立ちはだかってくるのが父の存在だ。
現時点でレオナルドには平民の恋人がいるという瑕疵しかない。それも家庭によっては十分婚約破棄となるものなのだが、クロエの父にとってはそうではないのだ。お家乗っ取りを画策しているといっても、それはまだ可能性でしかない。彼が密かに毒を仕入れたことも、それをクロエに対して使用しない限りは責め立てることは出来ない。
そうなると後者の選択肢しか残されていないが、それは危険性が高いうえに恋人のいる男と結婚するというのは生理的に嫌過ぎる。
「……そもそも、彼等は本当に恋人関係にあるのかしら? 誤解という可能性も……いや、それは無理があるわね」
一瞬、実は彼等の関係が恋人というのは誤解で、何か理由があって一緒に過ごしているのではないかという考えが浮かんだ。だが、それには無理があると察し、すぐにその考えを振り払う。
貴族の、しかも公爵家の令息がわざわざ市井に足繁く通い、パン屋の売り娘に会いに行くなど”恋”以外に理由があるだろうか。少なくともクロエには思いつかない。
それでも、もしかすると誤解かもしれないと、心のどこかで思ってしまう。
無駄な希望ほど残酷なものはない。期待した分だけ裏切られたときの痛みは自分に返ってくる。
それは十分にわかっている。だが、それでも己の目で直接確認したかった。婚約者とシェリーの関係性を。
その姿と見て傷つくだろうと容易に想像できるが、それでもこの目で確かめたい。
調査報告書によると、二人はいつも決まったレストランで食事をするらしい。
つまり、このレストランに行けば彼らの様子を確かめることができる。
「そうと決まれば……善は急げ、ね」
クロエは前世の記憶にあることわざを呟きつつ、卓上にある銀色のベルを手に取った。
一振りすると、それはリーン……と澄んだ音を立て、周囲に響き渡る。
すると、侍女がクロエの部屋にやってきた。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「ええ。これから命じることを、必ず本日中に成し遂げてほしいの」
「畏まりました。仰せのままに、如何なる御用も今日中に遂行いたします」
クロエの命令に異を唱えることなく、侍女は静かに深く一礼した。
ここ、カレンデュラ家において主人の命令は絶対だ。仕える使用人もそれを遂行できるほどの能力を有した者ばかり。主人に忠実で有能な者だけが誰もが羨むカレンデュラ家の制服を着ることが許される。そう言われるほど彼らは優秀で忠義深い。
前世の自分には無かった、命令を何でも聞いてくれる優秀な使用人。そして莫大な富とカレンデュラ家の権威。
たとえ将来悲惨な未来が待ち受けているという運命にあるとしても、これだけのカードが揃っていれば、抗うことが出来るだろう。




