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物語の幕は上がらない  作者: わらびもち


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招かれざる客

 その日、クロエは執務室で仕事をしていた。サラサラとペンの音だけが満ちる静寂を、突然、外からの喧騒が破る。


「…………?」


 窓の外から聞こえる喧噪にクロエは不思議そうに顔を向けた。

 普段は静かな門前がまるで争いごとが起きたかのようにざわついている。


「……何の騒ぎかしら?」


 控えていた侍女が「確認して参ります」と一礼し、部屋を出る。

 しばらく経つと困惑した様子の侍女が戻ってきて、ためらうように告げた。


「……どうやら、門のところで見知らぬ娘が騒いでいるようです。恰好からして平民の娘のようですが、どうやらおかしなことをわめいておりまして……」

「見知らぬ平民の娘?」


 その言葉を聞いたクロエは眉を寄せた。脳裏に浮かぶのはレオナルドの愛人、シェリーの姿。


「……おかしなこと、とは?」


 そう尋ねるクロエに侍女は言いづらそうに視線を逸らした。


「それが……お嬢様の婚約者様の恋人だと名乗っております。……きっと頭のおかしい娘なのでしょう。すぐに追い返すよう門番に伝えて参ります」


 外では、いまだ娘の叫ぶ声が響いている。何を言っているかまでは分からないが、おそらくはその手の小説などでありがちな台詞を吐いているのだろうな、とクロエはやたら冷静にそんなことを考えていた。


「いえ、それには及ばないわ。わたくしが直接話します。応接室に案内して差し上げて」

「お嬢様!? いけません、そんな! 素性の知れぬ者を近づけるなど、危険でございます」

「近くにエーリヒを控えさせるから大丈夫よ。それに……とっても気になるの。その娘の言うことが……」


 主人にそう言われては侍女もそれ以上拒むことは出来ず、不安そうにしながらも落ち着いた声で「畏まりました」と一礼する。


 招かれざる客人を迎えるために身支度を整えたクロエは、執事服姿のエーリヒを連れ、応接室へと向かう。


「……ご主人様、やはり危険かと存じます。相手は礼儀を知らない猿も同然。ご主人様に危害を加えてくる恐れがあります」

「あら、あなたがいるから大丈夫よ。その時は守ってくれるのでしょう?」


 さらりと告げられたクロエの言葉にエーリヒは少しだけ頬を染め「……勿論です」と返す。

 応接間の扉の前に着くと、彼はそっと扉を開けた。中には平民とは思えないほど上質な服を着た少女が落ち着かない様子で座っている。


 その前へ、クロエはまっすぐに歩み出た。所作は優雅で少しの乱れもない。


「ようこそ、我が屋敷へ」


 クロエはドレスの裾をつまみ、完璧な淑女の礼をとった。

 一分の隙もない優美な礼に圧倒された少女は目を見開き、言葉を失ったように口をもごもごと動かす。


「な、なんで……そんな落ち着いているのよ! 私は、私はあんたの婚約者の……」


 怒りと困惑で震える声を片手で制したクロエは少女を静かな瞳で見つめ、花が綻ぶような笑みを浮かべた。


「あなたこそ落ち着いてくださいな。ご安心を、あなたが何を話しに来たのか──きちんと伺いますわ。まずはお名前を伺ってもよろしいかしら?」


 その優雅な美しさは少女の怒りすら吸い込んでしまうほど圧倒的だった。

 悠然と背筋を伸ばし、クロエは場の空気を完全に掌握する。これぞ幼い頃から徹底的に教育を施された淑女の手腕。場の主導権を握られてしまった少女は完全に出端をくじかれたようで、哀れなほど小刻みに震えていた。


「わ、わたしの名はシェリーよ。わたし達は愛し合っているの……」

「わたし達? それは貴女とどなたのこと?」


 クロエはシェリーの向かいに優雅に腰掛け、穏やかに尋ねた。


「わたしとレオに決まっているでしょう!? あんたの婚約者のレオナルド!」

「まあ、そうなの。……で? わたくしの婚約者と愛し合っているシェリーさんが、何の御用なのかしら?」


 動揺ひとつせず、あっさりと告げるクロエの態度にシェリーは面食らってしまった。

 感情を読み取れない淑女の微笑みが癇に障り、衝動のままに立ち上がり叫ぶ。


「はあ!? なんでそんな余裕ぶってんの! 婚約者が別の女と愛し合っているのよ!?」

「それは分かりましたので、何度も言わずとも結構です。早くご用件をお話しください」


 怒りも嘲りも浮かべない淡々とした態度で促されたシェリーは勢いを失くし、しどろもどろになりながら答えた。


「え、あ……その、レオは……あんたといると窮屈だって、それでわたしといると癒されるって……」


 シェリーの言葉に静かに耳を傾けつつ、クロエは運ばれてきたお茶のカップへそっと唇を寄せる。

 一切音を立てない飲み方、カップを傾ける所作すら優雅で、そこがシェリーには妙に癇に障った。


「……そうやって! 上品ぶったところが嫌だってレオは言ってたわよ! 完璧すぎて可愛げが無いのよ!」


 指をさして喚くシェリーにクロエは「あら、そう」と一瞥し、再びお茶を飲み始めた。

 その「お前など歯牙にもかけない」と言わんばかりの余裕にシェリーは悔しそうに歯を食いしばる。


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