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静かな水面だ。
湖の中央。小さな船が一つ、プカプカと浮かんでいる。
空は薄曇り。太陽の光は雲を通してぼんやりと差し込んでいる。
波はほとんど無い。水面は鏡のように静まり返り、時折、小さな波紋だけがゆっくりと広がっていく。
その上で、この俺――ソロモンは座っていた。
釣り竿は持っていない。
餌もない。
網を投げるわけでもない。
ただ、水面を見ている。
「……」
普通の人間から見れば、意味のわからない光景だろう。船の上でぼんやり湖を眺めているだけの男。しかも釣り道具すら持っていない。
暇人か、変人か。あるいは頭のおかしい奴に見えていても不思議じゃない。
だが、俺にとっては無意味な時間ではなかった。むしろ、こういう時間は嫌いじゃない。
静かで。余計な音もなく。誰にも邪魔されない。
湖の下。深い水の中に沈められた大きな籠。その内部で、淡い光がゆっくりと漂っている。
青白く。柔らかい。だが、それは自然の光ではない。俺が魔法で生み出した光だ。
「……さて」
水面を見つめながら、小さく呟く。
しばらく待つ。
すると、水の奥に影が現れ始めた。
最初は小さい。だが、一つではない。影はゆっくりと増え、光へ引き寄せられるように近づいてくる。
ミニクラーケン。
名前だけ聞けば大層だが、要するにイカだ。
もちろん普通のイカではない。この湖に生息する魔物で、半透明の身体と異様に発達した発光器官を持っている。
暗い水中で青く光る姿は綺麗だが、群れ始めると少し不気味でもある。
ミニクラーケン達は迷いもなく、まっすぐ籠へ向かっていく。
警戒する様子はない。むしろ、自分から吸い寄せられているようだった。
光に集まる習性。それを利用しているだけだ。
一匹が籠の入口を通る。すると、続くように二匹、三匹。狭い入口を抜け、中へ入り込んでいく。
そして――。
バシャッ。
中に入った一匹が、ようやく違和感に気づいたのか暴れ始めた。
触手を激しく振り回し、墨を撒き散らしながら出口を探している。
だが遅い。構造上、一度入ると簡単には出られない。
俺はその様子を一度だけ確認し、すぐに水面へ視線を戻した。
「……」
別に残酷だとは思わない。魚を釣るのと大差ない。こいつらは美味いし、ギルドでもそれなりの値段で売れる。
何より、光への反応を観察していて面白い。
見ていて飽きないのだ。
そのまま、俺は静かに待機を続ける。
風が吹く。船がゆっくり揺れる。
水面に細い波紋が広がった。
一匹。また一匹。ミニクラーケンが順番に籠へ入り込んでいく。
数は少しずつ増えていた。焦る必要はない。こういうのは待った奴が勝つ。
急いだところで魚は逃げるし、魔物も警戒する。静かに。気配を消して。水の流れに紛れる。それが一番効率がいい。
「……今日は当たりかもな」
小さく呟く。
だが、その瞬間だった。探知魔法に反応が走る。
「……っ」
俺はわずかに目を細めた。
森の入口付近。複数の気配。おそらくは人間だ。
一人ではない。二人……いや、三人か。見つかると面倒だ。
以前は見つかって、道具を持っていないのにミニクラーケンを大量に船に積んでいたためかなり訝しい目で見られてしまったのだ。
「……バレる前に、さっさと退散するか」
俺は小さく息を吐いた。立ち上がり、ゆっくりと籠を引き上げ始めた。中では大量のミニクラーケンが暴れている。
墨で水が黒く染まり、籠全体がガタガタ揺れていた…




