20 今際の際
眼前に広がるその圧倒的な光景に一瞬思考がフリーズしかけた。が、1つの命を背負っていることを思い出してなんとか脳を再稼働させる。
「走れユウ!!右!!足跡!!!」
「…!ごめん…!!」
数秒というあまりにも手痛い代償を払いながら止まっていた俺達の足が再び動き出す。徐々に迫るヒュウウウウウという隕石の落ちる風切り音が掻き立てる不安に押しつぶされまいと足に力を込めた。
足跡をたどって道を走る。ユウの走るスピードは今までよりも更に速く、さっきまでは俺のためにかなり加減してくれていたことを思い知った。喋る余裕もない。ついていくので精一杯だ。いや、正直ついていくのすらもう限界だろう。
「ユウ、俺置いて、逃げろ」
息も絶え絶えでしか喋れない。情けないな俺。
「なんで…!?それじゃメイが!!」
「足で、まといになる、こっから、俺。だから、置いてけ」
「嫌だ!!」
顔は見えないが声でユウが涙ぐんでいるのがわかった。俺は身体が限界だが、死が目前に迫るこの状況でユウは心が限界なのかもしれない。
「わがまま、言うな。お前、だけでも、逃げろ…!」
広範囲に隕石が迫っている以上どこへ逃げても隕石の直撃は免れない。だが、この先にあるかもしれない避難場所にはそれを凌ぐ手立てがあるかもしれない。
ユウ一人でなら絶対今より速く走れるんだからその避難所にたどり着く確率が上が―――
「メイだけだった!!!」
突然聞こえた嗚咽の混じったユウの叫び声が俺の思考を切り裂く。
「閉じ籠ってた僕に話しかけてくれたのも!助けるって言ってくれたのも!!見捨てないでくれたのも!!!メイだけだった!!!」
だから俺を置いていけないってこと?それは嬉しいな…って違う!!
「だから…!なんだよ!!手を、離せ!!」
「嫌だあぁぁあ!!」
あぁ…泣いてるじゃん。もうめちゃくちゃだ。手を握る力も強くなってるし…多分これ以上何言っても聞かないな。
はあ~。
…まぁ、隕石に潰される前にユウ一人が走って着ける位近い場所に避難場所があるかつ、避難場所に隕石を凌げる手段が無いと結局ユウを逃がしても俺たち二人とも死ぬしな。助かる確率なんてたかが知れてるだろうし、このまま二人で心中も悪くないか。
ユウには生きてて欲しかったんだけどな。
半ば諦めながら、ユウに引っ張られる左手に体を預ける。研究所の外周にそって曲がり角を曲がった。
その先にはもちろん避難場所があるはずもなく、かなり遠くで大体百人規模の人間が集まっているのが見えただけだった。
え?人間の集まり?
ならあそこは、避難場所…!!!
「よかったあぁああぁ!!メイぃい!!人がいっぱいいるううぅう!!!」
「うんよかった!!!よかったな!!よかったから、まじで…!!手を、離せ!!!」
見たところあの集団は統率が取れてる。パニックになっていない。それはつまり隕石に対して恐怖していないってことだ。ただ潔く諦めているだけかもしれないが、十中八九あの集まりは隕石に対して何かしら対抗手段を持ってる。
あそこに行けさえずれば助かる…!それに、ユウ一人で走れば絶対に隕石が来る前にあそこまで行ける…!!
なのに…なのになんで……!
「早く俺を置いて逃げろよ!!!死にたいのか!!!」
「メイに死んでほしくないよぉおおおぉ!!」
くそが!こいつまじでバカだろ!!!このままじゃ共倒れなんだぞ!!俺に死んで欲しくないとか言ってる場合じゃないだろ…!
タイムリミットを確認するために夜空を見上げる。隕石はすぐそこまで迫ってきていた。
だが、思っているより遠い。
…もしかしてこのまま二人で走っても間に合うか?
いやでも駄目だ!明らかに走るスピードが落ちてきてる…!俺のせいだ。俺が速く走れないせいで、ユウの足を遅くしてる…!このペースで間に合うかわからない!!てか間に合うわけがない!!
あーもう!!最初からユウにおんぶでもして貰えばよかったか!?いや今からでも…!!いやそんなことするより普通に走った方が速いか!?
どうする!!
どうする…!!
いや…無駄なこと考えてないで走れ!!!ユウが死ぬだろ!!!
「ユウ!!!もっと速く走れ!!」
「でもぉおお!!メイがぁああぁ!」
「死んでもついてくから!!俺を信じろ!!!」
「…!わかったぁぁああぁ!!」
瞬間、ユウがとんでもない速さに加速していく。まだこんなに余力を残していたことに驚きながら、そのスピードについていくために使い切った体力の代わりに命を燃やして足を全力で動かした。全身が、主に左手の関節が悲鳴をあげているがそんなの関係ない。
俺のすべてを犠牲にしても、ユウだけは生きて返す。
歩幅を合わせろ。踏み込むペースも。体の動かし方全て観察しろ。
こいつのやってることそのまま真似すれば、俺だってこいつと同じ速さで走れるはずだ…!!
ズレていた俺とユウの足音が、少しずつ合わさっていく。
やがて地面を蹴る音、隕石の落ちてくる音がだんだんと消えていって、もう俺とユウの呼吸の音だけしか聞こえない。
思考がままならない。さっきまで感じた身体の痛みも感じない。視界にユウの後ろ姿しか入らない。
なんだ?この感覚は?
時間がゆっくりと進んでいるような……すごく落ち着いているような……でも頭はボーっとしてる…
いや、そんなことより、あと何mであの集団の元へたどり着ける…?
確認し…
…無駄か、そんな事考えたって。
ただ…
間に合うことを祈るしか…
その時、突然目線がユウの後ろ姿から外れた。
地面に落ちた大きな黒い影が反射的に俺の視線を上へと向けさせたからだ。
そしてそこには夜空を完全に覆うってしまう程目前に迫った、巨大な隕石があった。
あ…これもう無理だ。
あと何秒でこの隕石が俺たちに直撃するかはわからないが、少なくとも走ってその範囲外へ逃げることはできないことを悟った。
相も変わらず前を見て走り続けているユウはそれに気づいているだろうか。表情が見えないから何とも言えない。
ふとユウの向こう側を見ると、人が集まっているところまでかなり近づいているのがわかった。
あと2、30m位か。惜しいところまでは来たんだな。
もうじき死ぬというのに、あまりにも落ち着いている自分が意外だ。
なんというか、後悔が無いというか……もう成仏できる…というか…割と満足している感覚。
でも……
ユウが死ぬのは…
やっぱりちょっと嫌だな。
「誰か受け止めてください!!!!」
すぐ前方から聞こえた突然の怒号と共に左腕と左肩に強烈な負荷がかかる。
事態を認識する前に、瞬間、体が超高速で宙を舞っていた。
「え?」
頭上に地面、足元に隕石が迫る上下が反転した世界で呆けた声を出す。
「受け止めるから丸まれ!!黒髪!!死ぬ気で腹に力込めろ!!」
後方から聞こえた野太い男性の声に咄嗟に反応して目を瞑って膝を抱えて丸まる。体が空中でゆっくりと回転し続けていて三半規管がおかしくなりそうだった。
すると前方からとてつもない突風がぶつかってきて、次いで大きな衝撃が体の前面に伝わる。
「大丈夫か!?」
再び野太い声が聞こえる。目を開くとそこには三人の大人がいて、俺はこの人たちに抱きかかえられていた。
「…大丈夫です。降ろしてください」
考える間も挟まずにそう言って地面に降ろしてもらい、さっきまで俺がいたはずの方を見る。
遠く、隕石の下で、泣いているのか笑っているのかわからない顔でただ俺のことを見つめるユウの姿が見えた。
俺はユウに投げ飛ばされたのだということをその時にようやく理解した。




