チケット
いつものようにチャイムを鳴らそうとしたが、手が震えてしまう。その場を行ったり来たりしたあげく、やっと決心をしてチャイムを鳴らした。
しばらく待つとチャイムが止まり、無言のままエントランスが開いた。
やっぱり怒っているんだ。
怖かったが、エントランスを抜けてエレベーターに乗り込む。隼人の部屋の階で止まり、外へ出た。部屋の前に来てチャイムを再度鳴らし、ドアノブに手をかけると開いていた。
「隼人?」
恐る恐る声をかけると、のっそりと隼人が現れて、陸はびくっとした。
いつもならきちんとした格好なのに、彼はまだパジャマ姿だった。髪はぼさぼさで目は起きたばかりなのかうつろに見えた。
「あ……」
言葉を失うと、くるりと背中を向けられる。陸は小さい声でお邪魔します、と言って中に入った。
「で? 何か用か……?」
リビングに入るなり、軽蔑したような口調でどっかりとソファに座りこんだ。陸が黙っていると、ふんと鼻で笑われた。
「ずいぶん、久しぶりだな。仕事が忙しかったのか?」
「あ、うん……」
陸は、内心、心臓が止まりそうなほどおびえていた。こんなに怒っている隼人を見るのは初めてだった。何から話せばいいのか分からなくなった。
「ご、ごめん…隼人。仕事……下ろされたって聞いた」
とにかく謝りたい一心で言うと、隼人がじろりと陸を睨んだ。
「それで……?」
「ごめんなさい…」
「何しに来たんだ?」
陸は震える手をぎゅっと握りしめた。
「謝りたくて」
「何を」
隼人は今にも何かを蹴飛ばしそうな勢いだ。長い足をもてあましている。
「お、俺、実は……お金が欲しかったんだ」
「金?」
隼人がぴくりと眉をひそめる。
「あっ、あの、変な意味じゃないんだ。隼人に誕生日プレゼントを買いたくって」
「え?」
瞬間、隼人が拍子抜けした顔をする。
「誕生日?」
「うん。ほら、旅行に行きたいって言ったろ? 俺、バイトしていないし、お金なかったから、それで……」
陸はバッグから旅行券を取り出し、隼人に差し出そうとしたら、その手を払われた。
「あ……っ」
陸はびくっと手を引いた。旅行券が絨毯に落ちる。
「兄貴と寝てもらった金か」
吐き出された言葉に目を見開く。
今聞いた言葉が信じられなかった。
隼人は床に落ちた旅行券を取るなりびりっと破った。
「隼人っ」
床にばらまいたチケットを陸は慌てて拾いあげた。
「なんで……っ、なんて事するんだよっ」
隼人につかみかかり、陸は怒鳴った。
どんな思いでオーディションを受けたか。
あの時、カメラマンに罵られたのはなんだったのか。
隼人と会う時間を割いて、一生懸命がんばったのに。
吐き出したい事が山ほどあったのに、言ってはならない事は、頭の片隅で分かっていた。
陸は、シャツをつかんだまま言葉を呑みこんだ。すると、隼人は陸の手を振り払った。
「悪いが余計なお世話だ。旅行くらい一人で行く」
吐き捨てた言葉に涙が出そうになった。
陸は歯を食いしばった。
「……別れよう…。隼人」
「え……?」
言いたくなかったのに。今はまだ言いたくなかったのに。
陸の目から涙が溢れた。
「もう……一緒にはいられない」
涙で視界がぼやけていた。隼人の顔が見えない。彼はどんな顔をして自分を見ていたのか。
分からないが、隼人は低い声でぼそりと言った。
「そんなに嫌とは知らなかったな」
陸が黙っていると、隼人の声はますます低い声で、
「もっと早くに言えよ…」
と言った。
陸は我慢ができなくて手を振り上げた。
「バカやろうっ」
ばちんと隼人の頬を思い切り殴った。
隼人が目を吊り上げたが、もうどうでもよかった。
「お前なんかっ。もうっ、お前の事なんか、知らないっ」
陸はぐちゃぐちゃになったチケットを投げつけ、ついでに財布から合鍵を抜き取った。バシッと投げると部屋を飛び出した。
呼び止めてもくれなかった。
終わった。終わってしまったんだ。
めちゃくちゃな気持ちのまま階段を駆け下り、エントランスを飛び出すと車が止まっていた。
はっとして見ると、真っ青な高級スポーツカーの前で、秀一が手を振っていた。
「乗って」
言われるままに陸は車に乗った。
秀一が車を走らせる。
陸は嗚咽を洩らしながら、助手席で泣いた。




