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第64話 断固たる決意

「もう一杯、注文してきまーす」


 早々にカフェラテを飲み干した加賀崎は再びカウンターに向かって行った。

 その背中を見送りながら考える。


 加賀崎の琴線に触れることができた点は僥倖というべきか。神楽坂がキラーワードであるとわかっただけでも大きな進歩だ。誰もが認めるナンバーワンとの比較でないと、加賀崎の心は動かせないということなのだろう。

 なんとなくだけれど、そのあたりにあいつの企みも隠されていそうな、そんな気がする。

 ……いや、なんとなくといっても根拠が全くないというわけでもないけれど。


 いずれにせよ、ここはもう一歩踏み込んでいくべきだろう。


「どうしました? 珍しく真剣な顔しちゃって」

「加賀崎に聞きたいことがある」

「はい、なんでしょう」

「お前って、神楽坂のこと、好きだったりする?」

「はぁ?」


 素っ頓狂な声を上げる加賀崎。


「ちょっと、質問の意図がよくわからないです」

「字面通りの意味だよ」

「その字面の意味がわからないんですけど……えっと、別に好きでも何でもないですよ。というか接点もないですし。まあ、有名人さんですからね、こっちが勝手に知ってるってだけです」

「じゃあ、逆に嫌いだったりするか?」

「……余計に意味が解りませんよ。接点がないって言ってるじゃないですか」

「そうだよなぁ」


 なおも困惑した表情の加賀崎。

 その回答が心からのものかはわからない。そもそも、そう簡単に本心を素直に話してくれるとも思っていない。

 これはあくまでジャブだ。


「ただ知っているだけの人間を好いたりも嫌ったりもしない。お前はそういうやつだよ。というかそれが普通だ。加賀崎とはまだ出会って二週間くらいだし、今日を除けば普段は朝のランニングくらいでしか会ってないから、あんまりわかったようなことを言うつもりはないけどさ。お前って、結構()()()()()()人間なんだって、そう思うんだよね」


 出会いの経緯こそあんな感じだったが、この短い付き合いの中で見てきたものを思い返せば、加賀崎のパーソナリティに疑問を挟む余地はない。

 元より全国レベルと評されるほどの実力者だ。そんなことはたとえ毎朝のランニングがなくとも、最初から自明の理だった。


 加賀崎佳乃という人間は、何よりも自分の誇りを大切にしている。


「だからさぁ――お前、俺と杠葉のことを言い触らす気なんて最初からなかっただろ?」


 俺はそうカマをかけてみる。


「……さあ、どうでしょうね」


 加賀崎は否定も肯定もせず、曖昧に濁した。


「実行する気もない脅しを仕掛けて、俺に何をさせたかったんだよ。ほれ、言ってみ」

「実行する気がなかったかはわかりませんよ。それに、本当は何にも企んでなくて、ただせんぱいで遊んでいるだけかもしれません」

「んな面倒なことするかね。大して音の出ないおもちゃを自分から買いに行くほど、お前も暇じゃねえだろ。もう回りくどい言い方はしないぜ。加賀崎、何をしたいのか教えてくれ。それがどんなことかはわからないけれど、たぶん、俺が協力してあげられることもあると思うんだよ」


 俺と加賀崎の間に流れる透明な時間。

 何かを思案するようにむっつりと黙り込んだ加賀崎は、しばしの静寂を飲み込んで、再び口を開いた。


「……言えません」


 加賀崎は目線を逸らし、繰り返す。


「せんぱいだけには――言えません」



 その日は、そこで解散となった。

 結局、加賀崎の企みを暴くまでには至らず。それでも幾何(いくばく)かの本音を引き出すことは出来た。


 その夜のこと。

 帰宅した俺が自室のベッドに寝転がっていると、コンコンという聴き慣れない音が響く。

 俺の部屋の戸を叩く音だ。我が家には、誰かの居室へ進入する際にわざわざノックをする様なデリカシーのある人間は存在しない。そのため、俺の脳内マニュアルにはノックを受けた際の正しい応対方法に関する記載は存在せず、「はあん?」という言語になりかけくらいの音声で入室の許可を与える。


「お邪魔いたします」


 妙に恭しい態度で入室してきたのは月子だった。静々と歩みを進めると、椅子に腰掛け、真面目な表情でこちらに向き直る。

 いつもなら蹴破らんばかりに勢いよく扉を開き、そのままベッドにダイブしてくるというのに、なんとも気味の悪い居住まいである。


「なんだよ、わざわざノックなんかして。ついに正しい人間としての在り方に目覚めたか?」

「いえ、お兄様があたくしの知っているお兄様ではなくなってしまったので、礼儀作法を改めたのでございます」

「あ? 何言ってんだお前」

「あたくしの知ってるお兄様は一度家に戻ってきたら二度と外には出ない、そんな断固たる決意を秘めた方でした。敬虔(けいけん)な妹であるあたくしに用事も告げぬまま二度外出するような方では、断じてございませんでしたことよ」

「そんなカッコ悪い決意を固めた覚えはねーよ。単にそうする用事がなかっただけだっつーの」

「その通りです。あたくしの知っているお兄様はそんな用事などないお方なのです。デフォルトでインストールされているはずのカレンダーアプリすら勝手に姿を消してしまうような、そんな可哀想な方こそがあたくしのお兄様なのです」

「はっ倒すぞ」


 カレンダーアプリくらいあるわ!

 使ったことはないが。

 俺の脳内記憶で十分だもんね。


「なんだよ、仮に俺が可哀想なお兄様だったとして、用事が出来たってんなら、敬虔な妹であるところのお前はむしろ喜ぶべきなんじゃないのか?」

「お兄様が構ってくれなくなるのは寂しゅうございます」

「随分と身勝手な妹野郎だ」

「して、どのようなご用事でお出かけなされたのでしょうか?」

「……」


 真面目くさった表情の月子。

 どうするかなぁ。

 このテンションの月子には真面目に付き合っても損しかないんだよなあ。


「……友だちと出かけてたんだよ」

「嘘でございます。お兄様に友だちと呼べる人間は存在しません。そこらの猫を友だちと呼んでいるのでしたら悲しすぎるのでおやめください」

「うるせえよ。お前こそ、そのキモい口調やめろ」


 月子は椅子から飛び退いて、勢いそのまま、寝転んだ状態の俺の足元に飛び乗ってきた。


「ねえ陽ちゃん、本当のことを言ってよ! いいの? 言わないとこのまま少しずつ陽ちゃんの身体の上を登って行っちゃうよ?」

「どういうタイプの脅しだよ」

「一番上までたどり着いてしまったら、なんと陽ちゃんの唇はあたしに奪われます」

「唇なんざ寝ぼけたお前にとっくに奪われてるわ」

「え、つまりあたしの初キスは陽ちゃんに奪われたってこと!? もぉ、陽ちゃんのえっち!」

「バカガキが」

「そしたら一回目も二回目も変わらないので、いっそ唇がふやけるほどの濃厚なキッスを差し上げます」

「キモいなあ」


 ちなみに言っておくと俺の中での自認初キス(半分)は神楽坂である。

 妹とのキスをキスとカウントすることはしない。それが兄というものである。


「さあ、正直に言ってよ。女の子と出かけたんでしょう? じゃないとあたしの選んだ『夏をマンキツ!爆モテメロコーデ』で外出なんてしないもんね」


 あのコーデそんなクソだせえ名前ついてたのかよ。


「で、どうなの!」

「……ああうん、まあそうだよ」


 観念した俺に畳みかけてくる月子。


「やっぱり……! 相手は杠葉さん!? それとも神楽坂さん!? もしかして……大穴で会長さん!?」


 月子は驚いているんだか、興味津々なんだかよくわからない、妙にオーバーなリアクションを取りながら、じわりじわりと、芋虫のように少しずつにじり寄ってくる。


 極狭い交友関係を網羅されていることに妙にイラっとしながら俺は返す。


「違うよ。お前が知らない全然別のやつ。一個下の後輩だよ」

「えっ!?」


 月子は何やらショックを受けたように俺の体の上で固まる。


「うわん。知らぬ間に兄がプレイボーイになっちゃった……」

「なってないなってない。そういうのじゃないって。お前の愛する兄は今でもノンプレイボーイだ」

「しかも実妹であるあたしだけに飽き足らず、新たに妹キャラを開拓しに行くなんて……あたし悲しいよ」

「別に妹キャラってわけでもないけどな、そいつ」

「そもそも、何が起きたらあの陽ちゃんが普段接点がないはずの後輩と知り合いになって、あまつさえ一緒に出掛ける仲にまで発展するんだよ!」

「まあ、成り行きでな」

「むきー!」


 奇声をあげながら、ずりずりと這うようにして胸の辺りまで登ってきた月子が、急にすんと落ち着きを取り戻し、真剣な表情でこちらに迫る。


「……ふうん、まあいいや。いろんな偶然が世の中にはあるものね。そういうこともあると一先ず落着させましょう」

「急に聞き分けよくなったな」

「では、重要なことを聞きます。ずばり、陽ちゃんはその中で誰が本命なの?」

「……なんだその恋愛ボケしたみたいな質問は」

「すっとぼけちゃって。新メンバーさんのことはよく知らないけどさ、あんな美人な人たちが周りにいて、それでいて陽ちゃんの方を向いてくれてるんだよ? いくら孤高を気取ってる陽ちゃんでも気にならないわけがないんだよ。あたしにはちゃあんとわかってるんだ。妹歴14年の歴史を舐めないでほしいねっ!」


 そう言われてもな、という感じだ。


「んなこと考えたことねーよ。そりゃ、神楽坂に対してはどこかで結論を出さなきゃいけないってのはわかってるけど、今はまだそこまで考えられないっつーか。杠葉や加賀崎――今日会ってた後輩だけど、そいつらと付き合うなんてのは、考える考えない以前に起こり得ない話だと思うし」


 相手が誰であろうと、俺が誰かと深く通じ合う未来が想像できない、というのが偽らざる本音だ。

 神楽坂や杠葉、会長や加賀崎と手を繋いで歩く世界が、俺には思い描けない。

 思い描いてはいけないとすら思ってしまう。


 俺の答えが不満だったのか、月子はふんすと鼻を鳴らした。


「もぉ、そういうことを聞きたいんじゃないんだよ。起こり得るかどうかじゃなくて、()()()()()()っていう陽ちゃんの意思が大切なんじゃないの? 陽ちゃん、自分に言い訳しちゃってない?」


 月子はとうとう俺の眼前に迫る。全身余す所なく俺の身体の上にのしかかっている格好だ。小柄な月子は年相応の軽さ(30キロ台かそこらだろう)なのだけれど、さすがに全体重預けられた状態だと重みを感じる。巨大なゴールデンレトリバーに戯れつかれてる感じとでも言えばいいのだろうか。ゴールデンレトリバーなんて飼ったことないけれど。


「知ったような口利いてるけど、お前だって別に経験があるわけじゃないんだろう」

「いいんだよ、あたしには陽ちゃんがいるから。ま、告白自体はよくされるけどさっ」


 月子はどうやら学校じゃそれなりにモテるらしい。整った顔の造形に加えて、コミュ障が転じてクラスでは大人しくしているらしく、結果清楚系美人として人気を博しているんだとか。あくまで本人談ではあるが、話の端々に妙なリアリティを感じるのでたぶん本当のことなんだと思う。


「あたしは心配なんだよぅ。将来、あたしのお姉ちゃんになるかもしれない人なんだからね。どんな人なのか――というか、()になるのか気になるのも当然でしょう?」

「余計なお世話だっつーの。つーかいい加減降りろ。重たいんだよ」

「陽ちゃんがつめたぁい……ま、いっか。あたしに陽ちゃんがいるように、陽ちゃんにもあたしがいるしね。変に彼女を作って構ってもらえなくなるよりは、あたし的にもプラスかも」

「お前もいい加減、兄離れすべきだと思うけどね」

「そんなことしないもん。陽ちゃんがあたしのお兄ちゃんである限り、あたしは陽ちゃんの妹だもん」


 そんな当たり前のことを言って、月子は俺の首元に顔を埋め、しがみついてくる。

 まったく、可愛い奴め。俺は月子の背中をポンポンと叩き、髪を梳くようにして優しく頭を撫でた。


「……ね、今日デートした女の子とあたし、どっちが可愛い?」


 月子は伏せたまま、そんなことを言う。

 普通、妹から飛んでくる質問ではねぇよな。


「知らねえよ。どうでもいいわ」

「どうでもよくないよ! あたしのアイデンティティに関わることなんだよ! ねぇ、ちゃんと答えて! じゃないとこのままキスマークつけちゃうよ!」

「ことあるごとに脅しにかかるんじゃない。ロクな大人にならねぇぞ。それにな、俺は月とスッポンを比べてどっちが好きかだなんて不毛な議論するつもりはないんだ」

「……そっか、そうだよねぇ。あたしほど可愛い子ってそうそういないもんね。たまたま物凄い美人が三人も陽ちゃんを取り巻いてるけど、四人目まで可愛いだなんて、まさかそんな偶然あるわけないもんね」

「ああ、そうだよ。そういうことだ。わかったらとっとと部屋に帰れよスッ子」

「まさかスッポンから取ったあだ名じゃないよね!?」

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