第63話 自己肯定感マシマシ大作戦
俺の作戦は単純――加賀崎を褒めて褒めて褒めまくる。言葉によって加賀崎の心の扉を懐柔するのだ。
俺はこれを『自己肯定感マシマシ大作戦』と名づけた。
「えぇ……なんですか急に」
加賀崎は目を瞬かせる。
今のところ、その表情には照れよりも困惑の色が目立つ。
「いやあ、今日の加賀崎、いつにも増して可愛いなと思ってよ。ランニングウェアに見慣れてるからかな。普通の私服が逆に新鮮っつーか」
「え、え、こわいこわい」
「なんでだよ。どこに怖がる要素があるってんだ。俺、なんか変なこと言ってるか?」
「むしろ変じゃないところがないですよぅ。そんなこと、いつもは言わないじゃないですか。私、いつでも可愛いんですけどー?」
「……確かにな。それは俺が悪かった。や、常々思ってはいたんだが、真正面から言うのはどうにも恥ずかしくてな。すまなかった、未熟な俺を許してほしい」
「許すも何もないですけどぉ……一体全体、どういう心変わりでそんなことになったんですか」
「どうだろうな。陽射しで心が洗われたのかもしれん」
「つまり熱中症ですね」
バカなこと言ってないで行きますよ、とスタスタ歩き去る加賀崎。
先制パンチはそれほど効果は見られずと言ったところ。うーむ、単純な誉め言葉はさすがに言われ慣れているか。
しかしデートは始まったばかり。
勝負は、これからだ。
*
――と、息巻いたまでは良かったのだが、残念ながらこの後の俺は苦戦が続いた。
近場の大型ショッピングモールをぶらつくことした俺たち(無論決めたのは加賀崎だ)。
モールの中は、頭上から所々柔らかい日差しが降り注ぎながらも一定の温度が保たれており、のれんを潜りかけていた汗が引き返していくのを感じる。
俺たちはのんびりと並び歩き、あちこちの店を覗いて回る。
そんな中でも、俺は褒めるためのタイミングを常に見計らっていた。
わざとらしすぎず、さりげなく。
けれども褒めていることがしっかり伝わるように。
杠葉から授かった必勝法を携えて、獲物を狙う獣のように、その時を逃さぬよう、俺はじっと待ち構えていた。
幾度かのチャンスが巡る。
店内に女子の姿しか見えないようなファンシーな小物ショップに立ち寄った際には、
「せんぱい、これとかどうです? 似合ってますかね?」
そう言って可愛らしいヘアピンを手に取った加賀崎に対し、俺は豪速球を叩きこむ。
「ああ、すっげえ似合ってる。これ以上ないくらい似合ってるぜ。むしろ加賀崎に似合わないヘアピンなんて存在しないんじゃないか? これが素材の良さってやつなのかな。あらゆる環境に適応できるのってほんと、すげえよ。テトリスで言えば凸ブロック、競馬で言えばイクイノックス、式神で言えば魔虚羅! お前には誰も敵わねえ。すごいぞ加賀崎、おまえがナンバー1だ」
加賀崎は静かにヘアピンをもとの場所に戻した。
また、オシャレなレディースファッション店に立ち寄った際には、
「んー、この洋服はちょっと地味ですかねー?」
夏らしいすらっとしたワンピースを試着した加賀崎に対して、俺はフルスイング。
「いや、そんなことはねえよ。すっげえ似合ってる。なんでだろうな、加賀崎が着るとどんな服でも10割マシでオシャレに見えてくるんだよ。まったく、ブランド泣かせの罪深い女だぜ。そこにある広告のモデルだって、少しでも服をよく見せるためにいろんな努力をしてるってのに、素材が良すぎるってのも考え物だよな。いろんな人たちの努力の結晶が雪でできてるみたいに溶けていっちまう。でもこんな風に着こなしてもらえて、服はきっと幸せだと思う。俺が服だったらお前に着られたいよ」
加賀崎は無言で試着室の中に戻っていった。
――と、まあこんな風に俺の渾身の褒めの数々は、いずれも十分な反応を回収できぬまま、悲しく宙に浮いて消えていったのである。
暖簾に腕押し。
糠に釘。
効果がないどころか、手応えのカケラすら感じられない有様であった。
無論、加賀崎が俺の誉め言葉たちに照れて無反応だったという可能性もナノ単位では存在するが、試着室から出てきたときの加賀崎の白けた表情を見るに望み薄といったところだろう。
俺としては思ったこと、感じたことを素直に口に出しただけだし、そこに欺瞞や媚態の気持ちはないと断言できる。
やはり加賀崎は褒められ慣れているのだろう。俺程度の語彙力では彼女の心には響かないのかもしれない。
いや、俺からの攻撃が届かないだけならまだいい。
むしろ問題は、加賀崎からの攻撃だけをモロに喰らってしまっていることにあった。
――たとえば、何もないところでわざと俺の二の腕あたりに肩を触れさせ、ちょっかいを出してきた後、
「えへへ、ぶつかっちゃいました」
と言って、柔らかく微笑んだり。
――あるいは、購入したソフトクリームを並んで食べていると、不意に俺の手を掴み、
「隙ありです」
と言って自分の口元に引き寄せ、俺が食べかけた部分にかぶりついたり。
まあそんな具合で、とにかく要所要所にあざとさを織り交ぜてくるのである。
織り交ぜるというか、押し付けるというか。
あざとさの押し売りって感じ。
それが彼女の自然体なのか、あるいは狙ってのことなのかはわからない。
……いやまあ、加賀崎のことなのでほぼ確実に後者なのだろうが、仮にそれが演技だとしても並大抵の男子には抗いようがない必殺のスキルであると言える。俺が鋼の理性の持ち主でなければ都合三回は惚れていたことだろう。危ない危ない。
「カフェでも寄りましょうか」
「賛成寄りの賛成」
全会一致(定員2名)でティータイムを決める。加賀崎の攻めに翻弄されて疲弊しきった俺に異議を唱える余地などなかった。
加賀崎はカフェラテ、俺はアイスコーヒーを注文する。
店内は混雑していたが、どうにか2人がけの席を見つけ、腰を下ろす。
「――で、いったいどういうつもりなんですか」
苦々しい思いを冷たくほろ苦いコーヒーで上書きしようと一気に喉の奥に流し込んでいると、対面に座った加賀崎がちゅーとカフェラテを吸い上げながらジト目を寄越す。
「あん? なんだよ」
「今日一日せんぱいが繰り返してきた、あのよくわからない謎の褒め方のことですよぅ。正直、不気味でしかないというか」
「よくわからないってなんだよ」
「どこの世界にテトリスやお馬さんで例えられて喜ぶ女子がいるんですかぁ」
百理ある。
「それにですね、さすがに『めっちゃ』とか『すっげえ』ってワード使い過ぎです。そういう言葉が入ると途端に薄っぺらく感じちゃうんです。せんぱいが何を思って私をおだててきたのか知りませんけど、やるならやるでもっと上手に相手の琴線に触れていかないと。素材が良いというコメントも、私のようにある程度完成されたタイプにとっては実はそれほど誉め言葉でもなかったりします」
「さいですか……」
「なので、次に私を褒めたたえるときは、もっと懇切丁寧かつ詩的な表現をふんだんに織り交ぜて、私が気持ちよくなれるように意識してみてください」
「よく真顔でそんな発言が出来るな」
「その言葉はそっくりそのまませんぱいに返します」
「ありがたく受け取るぜ」
「何を言っているんですかこの人は」
「言っておくけどな、俺は別に適当なおべっかを使ってお前に取り入ろうとしたわけじゃないからな。ちゃんと本心からの言葉でお前の機嫌を取ろうとしただけなんだからな」
「機嫌を取ろうとしたってことは隠さないんですね」
「当たり前だ。俺はいつでも誰かの顔色を窺いながら、日陰で静かに生きてきた」
「顔色を窺ってきたのにぼっちなんですか」
「顔色を窺ってきたからこそ、あえてな。栄光ある孤立と言ってくれたまえ」
加賀崎は「ブリカス……」と呟いてストローに口をつける。
「いずれにせよ俺は嘘はつかないからさ、俺からの褒め言葉はそのまま素直に受け取ってくれて構わない」
「はあ、なんだか釈然としませんけど。というかせんぱい、女子を煽てるのに躊躇ないですね。下心を感じるというか……なんか、やらしーです」
「失敬な。そもそもデートで親睦を深めようって言いだしたのはお前の方だろうが。俺はあくまでフォーマットに則ったまでだ」
「むう」
納得していなさそうな表情の加賀崎。
「でもでも、それにしたって妙な小慣れ感があってビミョーにムカつきます。なんで可愛い私とデートしてるのに大して緊張もしてないんですかぁ」
「そう言われてもなぁ」
別に緊張してないわけではないんだが。
自分を律する術を知っているというだけで。
「やっぱり神楽坂先輩の影響なんですかねー」
加賀崎がぼそっと呟いた。
「あ? なんで急に神楽坂が出てくるんだよ」
「だってぇ……そりゃあ、あんなに可愛い先輩が身近にいたら私なんかじゃ興奮しませんよねえ。普段からA5ランクのお肉を食べ慣れていたら、A4ランクのお肉程度じゃ満足できませんもんね」
半ば拗ねたような言い方だった。
先日から思っていたが、こいつ、どうにも神楽坂のことを意識してるような感じがする。
「お前なぁ、そんな嫌な言い方するもんじゃないよ。つーか、変な謙遜してるみたいだけど、あれだぞ、客観的に見て神楽坂よりお前の方が可愛いからな。少なくとも、俺はそう思ってる」
神楽坂の容姿はずば抜けている。目鼻立ちから輪郭まですべてが完璧な造形で、そこに比肩する者は、少なくともそこらの高校には存在しない。彼女が一般人のレベルにないということは明々白々で、そのことを疑う者は存在しないだろう。
けれど、以前にも言ったように、美の極致に達した神楽坂の場合には、可愛いよりも綺麗という感想が先に出てきてしまう。ミロのヴィーナスやモナリザを見て、そこに美しさや儚さを感じることはあっても、可愛いと捉える人間はそれほど多くないはずだ。
可愛らしさという基準で容姿のレベルを測るのであれば、少なくとも俺の知る限りにおいては、加賀崎の右に出る者はそれほどいないのではと思う。戦えるとすれば、コンディションばっちりな日の杠葉くらいなものだろう。
「……へえ、そう、ですか」
加賀崎は何でもないような顔をして、グラスの縁を指でなぞった。満更でもなさそうな仕草である。
今日一日、色々な誉め言葉を投げかけてきたけれど、間違いなく一番の手応えだった。
なるほど、加賀崎の琴線はここにあったか。
「もぅ、困るなぁ……せんぱい、私のことめっちゃ好きじゃないですか」
「どうしてそうなる」
「ごめんなさい、付き合ってあげることはできないけれど……でも好きになること自体は罪ではないです。これからも私のことを好きでいていいですよ」
「アイドルかお前は」
「よかったですね、私とデートが出来て。いい思い出になりましたね」
「あぁうんそうだねそうだね」
やたら上機嫌の加賀崎。
とりあえず好きに言わせておこう。




