第59話 天性の才能
「……はい?」
「デートですよ、でぇと」
加賀崎は聞き分けのない子どもをあやすように、ゆっくりとした口調で繰り返した。
「私たち、もっとお互いのことをよく知る必要があると思いません? 私はせんぱいのこと、ほとんどよく知らないし、せんぱいは私が美少女であること以外には何も知らないですよね。さっきも言った通り、ディテールには拘らないとじゃないですか? ね、どうせ暇なんでしょうし、楽しく遊んで親睦を深めましょ」
「……」
あまりにも話の脈絡がなさすぎて、思わず表情の作り方を忘れる。
なるほど、真顔というのは感情を全部削ぎ落とした後に残る顔らしい。
「んん、せんぱいの言いたいこともわかりますよ。私みたいな美少女と二人きりで遊ぶのなんて緊張しちゃいますよねぇ。そりゃそうです」
「ちげーよアホ」
「大丈夫ですよ。私、意外と度量は広いタイプなので。万が一私のことを好きになっちゃったとしても、私はそれを笑顔で受け流しましょう」
「受け止めねえのかよ」
「ベルトコンベアのように受け流しましょう」
「幼気な感情を機械的に処理すな」
穏やかな店内BGMが時間の流れを緩やかに鈍らせる。
冷房の効いた空気が肌の表面をなぞる。窓の向こうで揺らめく真夏の陽炎だけが、別世界のように、やけに遠く感じた。
俺はペースを取り戻すように、頭を振る。
「話を逸らすなっての。まずは俺の質問に答えろよ」
「もぅ、ノリが悪いですねぇ。加賀崎ポイント的にはマイナスです」
加賀崎はやれやれと肩を竦めた。
「確かに考えていることはありますよ。それは否定しません。でも――せんぱいに教えてあげるにはまだ早いかな」
「早いって、でもお前」
「そういうのは、お互いのことをよく知ってから、です」
そう言って、加賀崎はふっと表情を緩めた。
「ま、心配せずともそのうちわかりますよ。一先ずは私の言うとおりに動いてくれたら問題ありませんから。せんぱいが私に協力してくれる限りにおいては、私も口を堅く閉ざしましょう」
有無を言わさぬといった加賀崎の口調に、俺は言葉を見つけられずにいた。
年下の女の子に圧倒される高校二年男子。そんな男がこの世に一人くらいは居てもいいだろう。居てもいいはずだ。
「ちなみに今日はこれから用事があるので、遊ぶのはまた今度にしましょう。あとで連絡するので十秒以内に返信してくださいね」
「なんで激重彼女ムーブ?」
「あ、それと朝練がある日は私より早く寝てはいけないし、私より後に起きてもいけない」
「思いついたみたいに関白宣言を付け足すな」
呆れ半分で、肺の底に溜まっていた空気を吐き出す。文字通り、ようやく一呼吸置けたといった具合であった。
加賀崎はどこ吹く風といった様子でストローを弄びながら、小さく首を傾げる。
「せんぱい、私と遊ぶの、イヤだったりします?」
「あ? いや、別にそんなことはないが。なんだよ急に」
「いえ、冷房の利いた部屋で過ごす時間を奪っちゃうのは申し訳ないなぁと思いまして」
「朝練に来いと命令している奴が今さら何を言っていやがる。つーか、お前こそ嫌じゃないのかよ」
「私は楽しみにしていますよ? せんぱいが女の子をどうエスコートするのか、実に興味深いです」
「あまり健全な楽しみ方とは言えねぇな……」
なんだか実験みたいだ。
俺がそうぼやくと、加賀崎は肩を揺らして笑う。
店内BGMに紛れるくらい小さな笑い声なのに、不思議と耳にはよく残った。
「ま、予定なんてどれだけ増えたって構わないんですよ。だって――」
にこりと微笑む。
それは見慣れた、加賀崎なりの営業スマイル。
窓の外では、未だ夕暮れを知らない夏空が白く光っていた。
「――夏休みですしね、せんぱい?」
*
「それにしても、キミはほんと歩けば女の子を引っかけてくるよねぇ。なんなのかな、特殊なフェロモンでも出てるのかな」
カラオケボックス特有のビニールレザーのソファに、杠葉はどっかりと腰を沈めていた。
ふんぞり返らんばかりに上体を反らし、背もたれの頂点に肘を引っかける。その居丈高な姿勢のせいで、ただでさえ目立つそれらがこれ以上ないほど存在感を主張していた。狭いカラオケルームの圧迫感が、さらに数段増した気さえする。
明るいところで歌うのは恥ずかしいからと杠葉が生娘のようなことを言うので照明は落としているのだが、これがまたよろしくない。薄暗さのせいで輪郭が曖昧になり、そのぶんそれらの存在感だけがやけに際立っていた。視界に入れまいと意識するほど逆に目についてしまい、視線の置き場に困るとはまさにこのことだった。
杠葉本人がそれを意識してやっているのかはわからない。
だがもし無自覚ならそれはそれで恐ろしいし、仮に計算ずくだとしたら、それはもはや天性の才能と言うほかない。
「……コロンとかは付けたことないけどな」
「そんなことは知ってるよ。比喩に決まってるでしょ」
杠葉は呆れたように小さく息を吐きだした。
テーブルの上では、飲みかけのメロンソーダの氷が小さく音を立てる。隣室からは、どこかで聞いた流行りのラブソングが壁越しに漏れていた。妙に気合いの入ったビブラートが耳につく。
俺たちはカラオケに来ていた。
夏休み初日のことである。
午前中、死にそうになりながら加賀崎の地獄のルーティーン(ちなみに10キロから5キロに短縮してもらった)を約束通りこなした俺は、ボロボロの身体を引き摺り、ようやくベッドに辿り着いたところで杠葉の呼び出しを喰らったのだった。
ちなみに、加賀崎の件は、最初にあいつとファミレスで遭遇したその日のうちに杠葉へ共有済みだ。
杠葉は「変な話に付き合う必要はない」と言っていたが、そういうわけにもいかない。加賀崎を野放しにして、何を企んでいるのかわからないまま好き勝手動かれるのも困る。なので、一先ずは様子見という形になっていた。
「毎日代わる代わるいろんな女の子に取り囲まれてさぁ、天ヶ瀬くんからしたら役得でしかないよね。あーあ、やらしー」
「そう思うなら毎朝のランニング、俺と変わってくれ」
ランニング初日にして、早くも心が折れかけていた。
自慢じゃないが、メンタル的な体力は人並み以上だと自負している。12時間、机にかじりついて勉強する生活を一ヵ月続けたときもこれほどの苦痛と疲弊は感じなかった。
そんな俺でも、炎天下の10キロ走がが毎日続くという事実だけで胃に疼痛を感じる。
「大体、言うほど取り囲まれてなんかいないだろ。俺の身近にいる女子なんて、杠葉に神楽坂、それに加賀崎の3人くらいだし」
「あと例の会長さんと妹さん」
「妹を女扱いでカウントする兄はいない」
確かにここ数ヵ月で女子の話し相手は増えたが、別にそれで役得と思ったことはないな。どいつもこいつも、なんというか、俺には荷が重いやつらばかりだ。
いやまあ、そもそも荷が重くない女子はいないのだけれど。
「ランニングはまだいいとしてもさ。ファミレスで奢らされたり、女子陸上部に混ぜられたり……そろそろキャパシティが追い付かないんだよ。マジで勘弁してほしい」
ぐったりと背もたれへ身体を預ける。
運動後だからというのもあるが、精神的な疲労が大きいことも否めない。
「だから放っとけばいいって言ったのに。どうせわたしたちのことなんて吹聴したところで、加賀崎さんには得がないわけでしょ?」
「まぁそうだけどさ。でも、穏便に収められるならそれに越したことはないだろ?」
杠葉は少しだけ視線を伏せた。
「……ありがとね」
ヤンキースタイルから居住まいを正した杠葉が穏やかな声色でそう言った。
謝るんじゃなく、感謝を口にするあたりが実に杠葉らしい。
「俺が勝手にやってることだから気にするなよ。むしろ気にされると俺が気になっちまう。俺が気にするとさらに杠葉も気になるだろ。だからお互い気にならないように気にしないようにする気を持とうぜ」
「……あはっ、何言ってるかわかんないよ」
神妙な面持ちだった杠葉が小さく噴き出す。その笑い声に釣られるように、張っていた空気が少しだけ緩んだ。
隣室から壁越しに漏れてくる音程の外れたバラードが部屋の空気に溶け込んで、なぜだか心地よく感じた。
この油断がよろしくなかった――のかもしれない。
「とはいっても対策は考えないといけないよなぁ」
「対策?」
「ああ。どうしたもんかな、加賀崎とのデート」
「…………デート?」
ぴたり、と。
杠葉の動きが止まった。
「うん。あれ、言わなかったっけか」
「……いや、聞いてないかな」
杠葉はマイクのスイッチ部分をカチカチと弄びながら、そっけなく視線を逸らす。
モニターの映像では、南国のビーチをバックにどこかで見たことのあるアイドルグループが爽やかに踊っている。夏だなぁ、なんてことを呑気に考える。
「ふぅん、そうなんだ。加賀崎さんとデートに行くんだ」
「そうそう。デートっていうか、まあ、二人で遊びに行くってだけなんだけどな」
「……へぇ、天ヶ瀬くん的には二人で遊びに行くのはデートになるんだね」
「? そりゃ、男女二人で遊びに行くなら、世間的にはそういう扱いになるだろ」
俺がそう返すと、杠葉は頬杖をついてこちらに視線を寄越す。
「で、なに? 緊張してるの?」
「そりゃするだろ。女子と二人で出かけるとか慣れてないし。なぁ、何かアドバイスとかないか? 杠葉なら女子側の意見もわかるだろ」
「…………」
「…………あれ?」
しらーっとした冷めた表情の杠葉。言葉の端から感じる小さな棘。
あれ。俺、またなんかやっちゃいました?
「天ヶ瀬くんって、女子と二人で遊ぶのに慣れてなくて緊張するんだぁ。初耳だなぁ」
「いや、そうだろ。お前、今まで俺の何を見てきたんだ。つーか、女子どころか友だちと二人で遊ぶこと自体ほとんど経験なくて――うおぉっ!」
不意にマイクが飛来する。
より正確に言えば杠葉の手元から発射されてきたわけであるが、投げつけられたというよりは放り込まれたに近い形で、俺の運動神経でもなんなくキャッチできるほどの緩いスピード感だった。
「あぶねぇな、なにすんだよ」
「ここはカラオケだよ。歌えばいいんじゃないかな」
「はぁ? いや、そうじゃなくて。女子目線で何かアドバイスとか――」
「ないよ、そんなもの。キミはキミの好きなようにやればいいんじゃないかな。知らないよもうっ」
ぷい、と顔を逸らす杠葉。なぜだか虫の居所が悪いらしい。
一度は俺に投げつけたマイクを引っ手繰ると、何も言わずデンモクを操作し始める。
次々に追加されていく曲。
やがてイントロが流れ始めると、杠葉はさっきまでの不機嫌を振り払うみたいに歌い出した。
抑揚の利いたリズム感。伸びやかな高音。
気づけば、完全に杠葉のワンマンショーになっていた。
……しばらく歌わせておくか。




