7 神様が決めた?
1階部分の工事が終わって、2階の子ども室から荷物を引っ越すその前日、輝子先生はアミダくじを作った。
「それじゃあ、子どもたちぃ。部屋決めるわよぉ。」
下半分をくるくると折りたたんだ紙を増築されたリビングの床に置いて、輝子先生は子どもたちを周りに集めた。
「ゴールに書いてある数字は部屋番号じゃなくて、どこを取りたいかを言う順番よぉ。1番目の人が言うまでは、2番目以降の人は何も言っちゃダメ。2番目の人が言うまでは、3番目の人は何も言っちゃダメ。それがルールだからねぇー。」
部屋をアミダで決める。というのは初めに言ってあったから、今沙良さん夫婦も子どもたちにそう言って一切「誰がどこ」というような予断は入れなかった。
「その方が公平ですものねぇえ。親ではなく、神様に決めてもらいましょう。」
輝子先生のそんな提案に、今沙良さんたちもうなずいていた。当日にアミダやるだけでも、子どもたちはワクワクドキドキで楽しいだろう。
子どもたちがそれぞれ3本の縦線の上に名前を書き終わると、輝子先生はわたしを呼んだ。
「輪兎ちゃん。横線1本、好きなところに入れてぇ。」
それから輝子先生も2本横線を入れた。
「それじゃあ、開くわよぉ。じゃかじゃぁん。」
アミダの結果は聡くんが1番、碧ちゃんが2番で真里ちゃんは3番だった。
「う〜〜。残り物かあ・・・。」
長女の真里ちゃんがちょっと苦い表情をする。
「こぉら、ルール違反。」
輝子先生が真里ちゃんを軽く睨んで、口に人差し指を当てた。真里ちゃんも口を両手で押さえる。
「じゃあ、聡くんから。取りたい部屋、言って。」
「え? え・・・と・・・」
聡くんはちょっと戸惑ったように妹やお姉ちゃんの方をチラ見していたが、やがて、意を結したように口を開いた。
「じゃあ、いちばん左。」
朝日の入る東の部屋だ。いい部屋だよ。もっとも、全部いい部屋だけどね。(^^)
真ん中のはトップライトがあるし、西の部屋は広い庭に面して窓がある。
「えーっと。みどりはねぇ・・・。お空が見える部屋!」
結局、お姉ちゃんは庭が見える西の部屋になった。
「まあ、いっか。外、広いしなぁ。」
その後の今沙良さんの話では、広くなったリビングはすっかり子どもたちの遊び場になっているそうだ。
* * *
2階のピアノ室の工事も終わったある朝、輝子先生は出勤してきたわたしを2階に誘った。
事務所の2階は輝子先生のプライベートの居間だけど、暖炉がある。そこに火が入っていた。
「子どもたち追い出してから、火をつけたのぉ。だって、寒いんだもぉん。」
灰の上のファイヤードッグに置かれた薪がチロチロと炎を上げて燃えている。
うわあ! かっこいい——! おっしゃれー!
「煙突短いから、引きが悪くてちょっと煙たくなるかもだけどぉ。」
暖炉前の床にお盆が置いてあって、そこにいつものカモミールティーのポットとカップが2つ置いてあった。
初めからここで少し雑談するつもりだったみたいだ。
「床に直に座っちゃって。」
先生は小さなクッションをわたしに渡して言った。言われたとおり、わたしは床に腰をおろして、お盆の上のポットを手に取って2人分のカップにティーを注ぐ。
たぶん、あの話だな。と、わたしは推理する。
「何が危険だったのか——の種明かしですよね? あの建物のどこに問題があったんですか? それほどの構造的欠陥があったようには見えなかったんですけど・・・。」
わたしは暖炉の炎を見つめながら、カモミールティーを1口飲んで訊いてみた。
「建物の構造の問題じゃないのよ。」
先生はそう言って、薪をもう1本足した。
「開放型暖炉って、けっこうマメに面倒見てやらないとダメなのよねぇ。まあ、家ン中でする焚き火みたいなものだからぁ。」
さすがにやり慣れてるのか、先生が火かき棒で薪をちょいちょいといじると、炎が大きくなった。
「ねぇえ、輪兎ちゃん。『14歳の吊り橋』の話は知ってる?」
輝子先生は火かき棒を置いてから、わたしに話しかけた。
「いえ・・・。何ですか、それ?」
「心理学者の河合隼雄によれば、子どもは大人に向けて脱皮する段階の1つとして、14歳頃、谷川に架かった吊り橋を渡るんですって。もちろん1つの比喩だけど。たいていは本人も気づかないまま、なんとなく渡ってしまえるんだけど、中には深い谷底を覗き込んでしまって、そのまま魅入られたみたいに落ちてしまう子がいるんだって。」
「?」
「あと2〜3年。あのままじゃあの子、渡れなくなってしまうんじゃないか、って思ったの。」
何の話?
「聡くんよぉ。良い子だったでしょ。」
「あ・・・、はい。しっかりしてて、妹の面倒もみてるみたいで・・・。」
「それが問題なの。特別に『良い子』でいようとしているように見えなかった?」
「あ、そういえば・・・。まわり、特に親に気を使いすぎてるような・・・。でもそれって、そんなに危険なことなんですか?」
「そうね。それだけなら、思い過ごしかもと思ったんだけど・・・2階を見て確信したの。しかも間取りの問題だから、わたしたちにもできることがあったのよ。」
「輪兎ちゃん、2階の聡くんの部屋にあったもの見たでしょ?」
そういえば、まだ半分納戸みたいに使われてた。聡くんは「気にしてない」って言ってたけど・・・。
「タンスはまあ、聡くんの洋服を入れるからいいとしても・・・。その他に置いてあったのは扇風機などの夏物だったわ。」
わたしは、そこまで見ていなかった。
「今の季節、夏物っていうのは『要らないモノ』なのよ。おそらく時期ではない季節モノをあそこに置いてるんだと思うわ。聡くんの部屋は他の2人に比べて窓も小さくて、居室としての快適性が劣るだけじゃなくて、『要らないモノ置き場』になってたのよ。」
それから輝子先生は、ちょっと恐ろしいようなことを口にした。
「あの部屋は、聡くんに対しても『あなたは要らないモノです』っていうメッセージを発し続けていたのよ。」
「そ・・・それは、少し考えすぎなんじゃないですか? だいたい、聡くんだってそこまで意識してたのかどうか・・・。」
「ご両親も聡くんも意識はしていなかったと思う。だから危ないのよ。家の空間はそこに住む人の無意識の中にじわじわ影響を与えていくものなの。特に子どもの場合は——。
凶悪犯罪を犯した若者が育った家の間取りを研究した人もいるわ。」
「どうしてそのことを今まで言わなかったんです? 先生。」
「説明が難しいのよぉ。それと、他の2人の女の子も聞いてるでしょ?」
輝子先生はそう言って、情けなさそうに、ほにゃ、と笑った。
「聡くんが『良い子』なのは、自己主張ができるお姉ちゃんと妹の間に挟まれて、無意識にバランスをとろうとしちゃってるんじゃないかと思ったの。それと親に対する『僕は必要だよね?』っていう無意識の確認でもあると——。」
輝子先生は炎を見つめながら続けた。
「だから急ぐ必要があったの、輪兎ちゃん。このままだと聡くんは14歳の谷を越えられなくなるかもしれない。1日でも早く、女の子2人と同じクオリティのスペースに置いてあげないと——。」
輝子先生は火かき棒で、少し薪を動かした。また暖炉の火勢が強くなって、炎が大きくなった。
「輪兎ちゃんも変だって思ってたかもしれないけど、吹き抜け塞いで床作るのはそんなにお金かかるわけじゃないのよ。やり方もいろいろあるから——。
でもそれで部屋を作ってしまったら、きっと聡くんはずっと北側の部屋で『良い子』のままになっちゃうわ。」
わたしは輝子先生の深慮遠謀に舌を巻いた。
「それで、アミダで決めさせたんですね? 好きなように言わせたら、聡くんはまたお姉ちゃんと妹が取った残りで『いいよ』ってなっちゃうからですね? でも聡くん、1番が取れてよかったですよね。神様の采配かな?」
わたしがそう言うと、先生は、ほにゃ、と笑って、小さく舌を出した。
「あれは手品なのよ。どうやっても聡くんの線が1番のところに行くように、わたしが横線を引いたの。あの子に最初に自分の希望を言わせてみたかったの。だってそれで、やっとバランスが取れそうなんだものぉ。」
輝子先生はカップに残ったカモミールティーの残りを飲み干すと、わたしの方を見てサバサバした表情で言った。
「でもねえ、建築でできることなんて知れてるのよ。まだまだハードルがいっぱい。これからあの子たちは——聡くんだけじゃあなくってね——あのデキるお父さんとお母さんを乗り越えていかなきゃならないのよ。それ、簡単な話じゃあないわぁ。壁、高いもん。」
暖炉の中にはもう炎はなく、燃え残った薪が赤い熾火になっていた。
「でも、その足掛かりくらいは作っておいたつもりよ。」
輝子先生は暖炉の火口に、そこの形に合わせて作られたネットを立てかけた。
「こうしておけば、はじけて床の方に出てくることはないし、火も自然に消えるわ。さて、輪兎ちゃん。仕事に戻りましょ。」
了
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どの辺でネタバレしたかな?
それとも最後まで「謎」を楽しんでいただけましたでしょうか。
また何か思いついたら、3作目も書くかもしれません。