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秋雨・1

 空に誰かが転がした輝く球を、拾って投げ返せば、一日。見えざる手の動きを、暦として成り立たせた、古人の罪作りな知恵に振り回され続けて……。


 目の前のキャビネットには、その時、最も新しかったはずのものが眠っている。ふたたび取り出される機もなく、一度読んで、しまい込んだものばかりだ。手入れの行き届いた石倉海運社長室で、埃をかぶる可能性の高いものといったら、それらに違いあるまい。


 椅子のうしろに秋の雨をみとめて、立ち上がる。そこから、過去を指でなぞって探した。この辺りか、と見当をつけて取り出した、二冊目。崩れたように折れ曲がった付箋が、少しだけ頭を覗かせていたのでわかった。どこか湿気を帯びた紙が手に重い。


 鳴り物入りで海運事業へ乗り出す男の、提灯記事がある。五百旗頭慶彦……かれの携わる事柄は、現在ならば、半分以上は着手されてあるべきだった。


 目を閉じる。どこか冷たい表情の方俊のことを思い浮かべる。本当のところはもっと残酷だ。おそらくかれは、何もしていない。


 しばらくすれば、あの島のホテルも開業する。それまでに、新たな航路を実現する……どうあっても、間に合わせることなどできない。ため息をついた。確認できたものだけでも、ただのひとつも、イオグループの新部門は、実績をあげていないのだ。


 そのとき、スマートフォンが鳴った。


「はい。石倉です」


 息をのむものが、一拍、たしかに挟まれている。

「東です。いま、いいかな」


 どうぞ、と決して不機嫌な声色にならないよう気をつけた。


「明日か明後日どちらでもいいんだ。時間を午後から取れないだろうか。どうしても付き合ってもらいたいところがあって」


 東はどこか不躾なところがあるとわかってはいた。それが、かれの飾らぬ魅力だと思うのも事実だった。

「ぼくが迎えに行く……会社へ。何とかお願いして、お越しいただくより他がなくて」


 珍しく歯切れが悪い。


「余程のことがおありですね。いいですよ、ご一緒しましょう。しかし、そのあとは、保証できかねます。着いた先でわたしがどうするか、というぶんです」


「ありがとう……」


 ため息の漏れるような、切羽詰まった様子だった。


 会話を終えるなり、デスクから、内線を押した。


 ほどなくして現れた団一馬は、もう、先の尖った靴を履いていなかった。ゆとりあるズボンには、気取りはなく、自然な動きがみとめられる。


「明後日の午後から、お願いしたいことがあります」


 団の目が光った。かれはこうしたとき、勇む類らしい。


「行く先がわからないまま、連れて行かれることになりました。あなたはそれに、気づかれないよう、隠れてついてきてくれませんか。……ときに、あなたは、自家用車は持っていますか」


 あります、と団は答え、車種まで伝えてきた。


「くれぐれも、直前に洗車などしないように。汚れているならそのままで。燃料だけ、満タンにして備えておいてください」


 もうかれには、目的はわかっている。


 妙に目はらんらんと輝き、うずうずしている。


「わたしは東さんの車に乗っていきます。あなたはそれと知られずついてきて、いつでも動けるように、近くで待っていてください。服装も、スーツではない、プライベートそのもので。わたしが乗るからと、あちこちきれいにしたりしないように。いつも通りで。いいですね?」


「はい!」


 団の返事は、おれでも驚いてしまうほど、力がこもっていた。


 誰だろう、かれを秘書室にすえようと決めたのは……。


 約束の日、迎えは来た。運転手との間は硬い仕切りがあって、お互いの姿を把握することはできない。


 乗り込むと、いささか痩せた様子の東がいた。何か言いかけて、飲み込み、いつもの朗らかさをどこかに忘れてきたようだった。


 窓の外は去りきれぬ雨の気配をたたえて、曇りの色。


 風はいま、止んでいる。おれにはわかっている。それが、時化の合図なのだと。これからふたたび吹き始めれば、たちまち波は暴れだす。


「許してほしい。どうにか、ついてきて、中には入ってきてほしい。お願いだ」


 この一台の後ろには、団の車がついてきている。何かあったとしても、どうにかなる。


 目の前の金属の門には見覚えがある。案の定、そこで、一旦止まった。


「翔太郎の、先のことが……何とかここは、まげて、お願いします」


 おれは、東の肩に手を置いた。


「きみを、連れてくるだけが、精一杯だと。それだけならと……」


 車は、五百旗頭欣二の屋敷へと入っていった。

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