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17.恋の始まり 【最終話】

最終話です。

トビアスは意気込みを視線に籠めて、マクシミリアンを睨みつけている。


マクシミリアンは静かな表情で彼の言葉を待った。

クラリッサは何が起こるのかハラハラして思わず手を握りしめた。




「こっ今度お前と話したい事があるっ……!お前の家に―――ど、道場に行っても……構わないか?」




クラリッサはガックリと肩を落とした。

また憎まれ口を聞くかと思えば―――要するにトビアスが言いたいのは『マクシミリアンの屋敷に遊びに行きたい』と言う事だった。


そんな事を言い出すのに一々大上段に構えて偉そうに人を指差す必要があるだろうか……?

呆れてしまいクラリッサは小さく溜息を吐いた。


一方のマクシミリアンはと言うと、キョトンとして首を傾げ―――それからニッコリとトビアスに向かって笑いかけたのだった。


「いつでも、どうぞ。……見学ですね?」

「あ、えと……うん、まぁ…そ、そうだ……」


図星を突かれ、トビアスはシドロモドロになった。


マクシミリアンには彼が何を恥ずかしがっているのか全く理解できなかったが―――トビアスがとにかく必死だと言う事だけは感じ取れた。


「お……俺もその―――武術に興味があって……強くなりたいんだっ」


トビアスは真っ赤になって目を瞑り叫んだ。


「お、お前みたいにっ……!」


マクシミリアンはトビアスの台詞に一瞬目を丸くし―――それから大きく頷いた。


「大歓迎です。いつでもどうぞ」


それを聞いてトビアスがパッと明るい表情になった。

マクシミリアンには、その時初めて彼が年相応の十三の子供に見えた。

そんな素直な様子が可愛らしくて、思わず不敬にも声を上げて笑ってしまう。


トビアスが真っ赤なまま恨みがましい目で彼を睨みつけたので―――「失礼しました」と言って口を塞いで目を逸らした。


「では、クラリッサ様の事……お願いしますね」


そう言って彼は、クラリッサにももう一度頭を下げて颯爽と去って行った。







クラリッサとトビアスはその背中が消えた後も、暫く彼が去った後の……その開かれた扉の向こうを見つめていた。


「……クラリッサ」


トビアスが彼女に向き直った。

クラリッサはゆっくりとトビアスを見上げる。


見上げるその表情が……ひどく幼く不安げに見えて、トビアスの胸は痛んだ。


こんな気持ちは―――初めてだ。そう、彼は思った。


認めて貰えない苛々も、上手く伝えられないもどかしさも、色々な気持ちをクラリッサはトビアスに味合わせて来た。

だけどこんなに切ない気持ちになったのは―――いつも強かで凛とした彼女のこんな儚げな表情を見たのは―――彼にとって初めての事だった。


この女を助けたい。

強くなって支えてやりたい。


トビアスはそう、強く思った。


「……今までの事を謝りたい」

「今までの……?」


拳を握りしめて俯くトビアスと視線が離れ、クラリッサは彼に問い返した。

クラリッサもこのようなトビアスを目にするのは初めてだった。

いつも彼は……傲慢で乱暴な、自分の気持ちを力任せにぶつけるばかりの子供だったから。


「俺は―――子供だった。お前に正直に話すのが……怖かったんだ」


クラリッサが今まさに心の中で考えていた事をトビアスが口にしたので、タイミングのよさに思わず彼女はギクリとした。

そんな彼女に気付かず、トビアスは噛み締めるようにその決意を口にした。


「もうお前を……俺は傷つけたりしない。俺は―――俺はお前を支える事のできる、お前に相応しい男になる。そしたら―――お前に改めて求婚するつもりだ」

「トビアス―――私あの……」


戸惑ったクラリッサは、直ぐにトビアスの決意を留めようとした。

彼女はどうしてもトビアスを結婚相手とは考えられなった。

結局最後にはアドラー家の方針に沿って、何処かに嫁ぐ事になるのだとしても―――少なくとも自分の意志ではそう頷く事は出来ない。


いや『トビアスを』と言うよりは他の誰であろうと……是と頷くのは彼女には躊躇われた。

だから咄嗟に拒絶の言葉が口を突こうとする。


「待ってくれ……!今はまだ返事はいらない。正直自分に足りない物が、今分かったばかりなんだ。俺がお前に釣り合うものは……悔しいが今のところ身分しかない。それまで俺は背や年がちょっと足りないだけだと―――己惚うぬぼれていたんだ」


顔を上げたトビアスは、もう我儘な子供では無かった。

青年になろうとする―――意志を籠めた瞳を持つ……成長途上の少年が其処にいた。


「俺は強くなって足場を固め、身の処し方も身に着け―――それからお前に改めて申し込みたい」

「でも……」

「クラリッサ」


トビアスは跪き、クラリッサの手を取った。

彼が自ら素直にクラリッサの前に跪いたのは初めての事だった。公の場所で父や祖父に支持され嫌々そう振る舞った事はあったが。


「どうか子供の戯言たわごとだと……一笑に付しないでくれ。その気持ちは……君が一番、よく分かっている筈だ」


クラリッサは自分を子ども扱いしたままの初恋の相手を思い浮かべた。

足掻いても背伸びしても……彼の目にまるで映らなかった自分を。


クラリッサは頷いた。




「わかったわ」




そして悄然とした態度を改め、背筋をピンと伸ばし胸を張った。

彼女の瞳に強い光が戻る。

其処にいるのは俯いた儚げな少女では無い。

―――アドラー家の至宝、銀髪銀目のプライドの高い公爵令嬢だった。




「でも私……理想がとっても高いの。後で泣いても知らないから。それでもいいなら―――よろしくてよ」




高飛車に言うクラリッサに、トビアスは笑った。




「望むところだ」




その笑顔はもはや『子供』のものでは無く、完全に少年と青年の狭間にいる成長しつつある男性の表情ものであった。




クラリッサは再びゆっくりと目を伏せる。


その瞼に映るのは―――赤毛の騎士。

しなやかで凛として……優し過ぎる悪戯っ子のような茶色い瞳の、凛々しい眉の青年。




自分だけのお気に入りだと思っていた。

けれども彼は、そんな小さな器の人間では無い。


クラリッサの庭にある木に一旦羽を休めに来ただけの―――野性の鷹。

すぐに遠い空へ飛んで行ってしまうのだろう。


そして彼に相応しい女性は―――同じ巣に帰る権利を持つ者は―――きっと自分では……無い。




叶わない恋。




その存在に気付いたからと言って、何になるのだろう。

ただ自分の胸を突きさし、痛みを与えるためだけに存在する想いなど……。




もう戻れない心の迷路に―――自分が嵌り込んだ事を彼女は知ってしまった。







** ** **







使用人に侍医がもうすぐ到着する事を確認した後、ペトロネラをカーに預けてから既にかなりの時間が経過していた事に気が付いてマクシミリアンはクラリッサのいる客室に戻る事を諦めた。彼等にエスコートの為部屋には戻らない旨の伝言を残し、マクシミリアンは広間を目指して歩き出す。




瞼を閉じると浮かんで来る、彼のシャツを掴んで見上げる銀色の瞳。

思い出すだけで心臓の辺りがザワリと騒いだ。


トビアスが現れた時は、正直ホッとした。

あのまま二人で過ごしていたら―――手を伸ばさないではいられなかっただろう。


叶わない恋だと……分かっているのに。


金髪の、幼さが残る体格の良い十三歳のトビアス。あと三年―――いや一、二年もすれば……しっかりと青年としての風貌と所作、意識を身に着けるだろう。

意志の強い整った柳眉に―――将来性が伺えた。




(そしてアイツはおそらくクラリッサの事を―――)




マクシミリアンは頭を振って広間へ向かう歩みを速めた。

今日の自分のエスコート相手、ペトロネラを迎えに行く為に。





【女神様と赤毛の騎士・完】

『女神様と赤毛の騎士』はこれにて完結です。


ブックマークや評価、感想など上げて下さった方、とても励みになりました。時間を割いて読んでくれた方にも感謝感謝!です。


それでは、お読みいただき本当に有難うございました。

またこのシリーズでお会い出来れば嬉しく思います。


※2016.05.14 説明文修正(杉やん様へ感謝)

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