17・エピローグ
あれから、約二ヶ月が経った。
シンシアやセシルとクレア、それからエミリーの今後の身の振り方や、シルヴェスターの祖父の突然の引退など、魔女と精霊術師と魔術師の力関係の調整も、ようやく一通り落ち着いてきた。
アントニア・ウォーレイは、捕縛されたわけではないが、表舞台は去ったらしい。精霊術師の尊大な庇護に縋ろうとしていた魔女たちは、マーガレットたち抵抗軍の手引きで都市から出た者と、シルヴェスターの父の権限で用意された新しい保護権を受ける者とに分かれたそうだ。
シンシアは、引き続き在学できることになったパルマケイア魔導高等学校の廊下を歩いていた。今日は休日だが、魔女の薬草学に興味を持っていたラスボーン先生に、休学中の補習代わりに頼まれていた資料集めの成果を届けにいくところだった。
廊下の窓から差し込む光は、清々しく眩しい。春の陽気が近づいている。けれど見える二月の山は、まだまだ白い雪に埋もれている。
ロマンス・パターソンの捜索は、ほんの数日で打ち切られた。雷の妖精ケラウノスは彼の本来の領域である北の高山に戻っていた。山に近づくための山道すらも、未だ深い冬に閉ざされている。その高山の山頂は、ケラウノスの怒りがまだ鎮まっていないことを示すかのように、酷く天候が荒れていて、上空から近づくことも不可能だった。
シンシアは抱えた資料を胸の前で握り直した。
……彼が極悪人だったとは思わない。けれど、アイビー・エインセルに似た、憐れな人間だったのだろうとは思う。命懸けで助けたいと思えるような関わり方でもなかった。むしろ、許してはいけないことをされたはずだ。わざと見捨てたつもりもない。それでも、助かってほしかったとは思う。
もやもやと胸のうちにわだかまるものを吐き出すように、ため息をつく。その直後、不意に強く背後から何かにぶつかられた。
「わっ……!」
勢いで壁にも軽くぶつかりながら、なんとか転倒は免れる。手にしていた資料がバラバラとこぼれ落ちた。その横を、グスタフ・スレイドが、不貞腐れた顔で睨みつけながら去っていく。
「おい、何してんだよ、スレイド! ……大丈夫?」
近くから駆け寄ってきた別の男子生徒が、彼に向かって怒鳴り、落ちた資料を拾い集めてくれた。
「あ、ありがとうございます」
なんなんだろう、あれ。という気持ちを後回しにして、シンシアは礼を言って資料を受け取った。両肩と二の腕がじんじんと痛い。
ついでに今さっき、グスタフが去った方向からドタンッ! と大きな音が聞こえたが、本当になんだろう? 壁でも蹴ったんだろうか。
「アイツ、この間からずっと荒れてるんだよな。なるべく関わらないように気をつけて。といっても、後ろからぶつかってくる奴は難しいか。ごめん」
男子生徒は呆れたように肩を竦めた。魔女狩りを強行していた精霊術師や魔術師の一派が失墜して、この学校の副会長であるエイデン――セシルも魔術師に利用されていた魔女の血筋だったと公表されたことで、最近は一部の生徒から、魔女を理由に遠巻きにされなくなってきた。この男子生徒もそうなのだろうか。黄色のネクタイの上で、緑色のネクタイピンがキラリと輝く。
シンシアはそれを見て、ようやく気づいた。錬金術師男子寮の寮長、サルマン・ストーンである。入学翌日にはコンラッドと決闘をしていたけれど、実技演習では普通にコンラッドを可愛がっているらしい、シルヴェスターには風船を譲ってもらっていた人だ。
「あ、そういえばさ。アッシュフォード先生がどこに行ったのか、君も知らないの?」
「なにも知りません。退職届は間違いなくアッシュフォード先生の魔力が込められたインクと筆跡だったそうですから、事件性はないんだと思います」
「そっか、そうだよな。俺、アッシュフォード先生のこと、結構好きだったんだけどなー。機械いじりも結構上手かったし。精霊術師なのに、錬金術師にも理解があったというか」
「ああ……そうでしたね」
「せっかく魔女の血のことでとやかく言われなくなったのに、なんで今さら居なくなっちゃったんだろう。残念だよ」
そう呟くと、サルマンは片手を上げて「じゃあ気をつけて」と言って廊下を曲がっていった。
「シンシア、大丈夫ですの?」
サルマンがいなくなった途端、ヴェルディアナが姿を現した。二月の最初になって早めに冬眠から起きてきたヴェルディアナは、シンシアとセシルの名前が変わっていることに驚き、冬眠中にシンシアたちがいなくなる悪夢を見たと訴えながら、シンシアにくっついて散々泣いていた。
それでもセシルが魔女だったと判明したおかげか、最近は少し大きくなっていた。そもそもシンシアが入学してすぐに芽が出たのも、一年前にセシルが入学していたからかもしれない。
「……あ、ヴェナちゃん、さっき何かした?」
ふと先ほどの大きな音の理由に思い当たって、ヴェルディアナを見る。
「ええ、もちろん。シンシアの代わりに転ばせてやりましたわよ!」
先程の音は、グスタフが何かを蹴ったのではなく、転んだ音だったらしい。
「……ありがとう。でも危ないから止めようね?」
思わずそう言うと、ヴェルディアナは拗ねたように呟いた。
「……だって、あの人が、思ったよりも鈍臭かったんですのよ?」
「うん。大抵の人間は、ヴェナちゃんほど俊敏じゃないんだよ。でも……ちょっとスッキリしちゃったかも。あの人、大怪我はしてないよね?」
「すぐに立ち上がって、転んだ自分にキレていましたわよ」
「そうなんだ。じゃあ……今回はありがとう、ヴェナちゃん」
小声でお礼を言って、ヴェルディアナに手を振って別れる。
もうラスボーン先生の研究室に着いていた。
「シンシア・ヘイズです。約束した資料を持ってきました」
「ああ、入って」
ノックをして入室すると、ラスボーン先生は直前まで何か作業をしていたらしく、手を洗っていた。
「ありがとう。休日なのに届けてもらって悪いね」
「いいえ。むしろ休日に見ていただいてありがとうございます」
「はは、僕は庭が恋人だからね。平日も休日も変わらないんだよ」
ラスボーン先生は戯けたように笑うと、タオルで手を拭きながら肩を竦めた。
「理事長が代替わりしたり、アッシュフォード先生が学年の途中でいなくなっちゃったりして、最近は教員もちょっと忙しいし」
シンシアは苦笑した。その増えた仕事の中には、シンシアやセシルの名前や所属等の変更手続きも含まれていたことだろう。
その様子に気づいたラスボーン先生が、タオルを戻して片目を瞑る。
「ああ、嫌味のつもりはないんだよ。ただ、アッシュフォード先生も、今からなら出世できたかもしれないのにってね。ずっと座学で魔女狩りの歴史なんて教えさせられてるよりも、実技向きの良い先生だった。精霊術師で妖精に好かれていて、錬金術師にも造詣が深くて本来の歴史を知っている人なんて、相当貴重だったんだよ」
そう言いながら手を差し出してきたラスボーン先生に、資料を渡す。ラスボーン先生は資料を軽く確かめて頷いた。
「ああ、いや。魔術師の生徒によく突っかかられていたから、たぶん魔術師の癖にも詳しかったな……」
シンシアは目を逸らして研究室を見回した。けして、アッシュフォード先生がいなくなったのは、自分が車を壊したせいじゃないか、などとは思っていないけれど。
「あの、ラスボーン先生も、精霊術師ですよね?」
「そうだよ。魔女史や薬学は、魔女時代の先祖からそこそこ引き継いでいる、そういう家はやっぱり精霊術師が多いよね。ちなみに僕は機械関係は全然駄目だし、妖精にもあんまり好かれないよ」
「……花の妖精は、その、基本的に研究されるのは好きじゃないようなので」
「だよね……片思いだなぁ」
そう言いながら、ラスボーン先生は洗ったらしい枝切り鋏を丁寧に拭いて片付けた。残念ながら花の妖精は気分屋で、花を大切にすれば好かれるとは限らず、植物を戦わせていても好かれる人は好かれたりする。
「そちらはなんですか?」
シンシアは話を逸らそうと、大机の上に置かれている、幾つもの箱を示した。
「これ? 詩狼祭の用意だよ。皆が花を欲しがるからね」
「ああ……」
近づいて覗き込むと中身は、茎の切り口を保存液に浸けた紫と白のクロッカスと、色とりどりのリボンだった。
そういえば、ラスボーン先生が生徒に人気がある理由の一つがこれだった。イベントに必要な花を格安で譲ってくれるのだ。
「君も必要?」
「あ……はい! 欲しいです」
シンシアは頷いた。生徒の交友関係に詳しいラスボーン先生は、にこにこと頷いた。
「じゃあ、ちょっと待ってね」
そう言って、ラスボーン先生は近くにあったアイビーの葉に近づいた。先端を少し切り取ると、一本ずつ選んだ紫と白のクロッカスとアイビーを手早く纏めて、枯れにくくなる魔術をかける。
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
赤と白の細いリボンを巻かれたクロッカスを受け取り、シンシアは礼を言って退室した。
「えっと、セシル、お待たせ」
校門前で待ち合わせたセシルを見つけて駆け寄ったシンシアは、さっそくクロッカスの花束を渡した。
「これ、さっきラスボーン先生に巻いてもらったばかりだけど、良かったら」
「ありがとう。困ったな、冷静に考えるとシンシアが持っていた時間より、ラスボーン先生が持っていた時間のほうが長い気がするんだけど……すごく嬉しい」
「そんなに喜んでもらえるなんて、私も嬉しい」
詩狼祭は、若者たちが冬の積雪で離れ離れになった恋人に会うために、雪解けが始まってすぐに狼の毛皮を纏って駆けつけたことが由来のお祭りである。いろいろあって上品に詩を贈るようになったり、それでもまだ不埒だと禁じられた時代もあったそうだが、とりあえず今は慎ましくクロッカスの花を恋人に贈ってみたりする行事ということになっている。
「クレアが、来年からエミリーと同じ学校に受け入れが決まったよ」
高架列車から長距離列車に乗り換えて、空いていたコンパートメントに入ってから、セシルが言う。
「といっても、入学試験で相応の得点は必要みたいだけど。あそこ、実技試験の配点がすごく少ない代わりに、筆記試験の偏差値はけっこう高いんだよな……」
かなり年齢を詐称していたクレアだが、この国では十六歳から三年以上は、必ず学園都市の学校に入学して学生寮で暮らすことが義務教育として決まっている。もちろん魔女は長年その限りではなかったのだが、エミリーとシルヴェスターの強烈な後押しと、既にセシルとシンシアが魔女として学校に入学してしまっていた実績から、クレアも可能なら入るべきと結論付けられたようだった。
「クレアちゃん、社会情勢と言語学と魔導具関連と実技は問題ないらしいから、点数は取れると思うんだけど……」
十歳までは森の村でセシルと一緒に勉強していて、どんどん先に進みたがるセシルに対抗意識を燃やして基準年齢よりも上の学年の内容を勉強していたようだが、その後は劇団で暮らしていたため、ほとんど学べていなかったようだった。
また、劇団員等の全寮制には入りづらい生徒向けの特例通信教育もあるにはあるのだが、クレアは既に斜陽となっているトワイライト・パラゴンを退団しているため、その手は使えなかったらしい。
「理系科目が、高校の学習課程の範囲外の劇薬しか知らないらしいから、心配かな……」
セシルが兄っぽくため息をつく。完全に劇団の影響である。あとは裏金と賄賂の微妙な時事問題は、それなりに詳しかったらしい。
「まあ、シルヴェスターとエミリーが張り切っているから、とりあえずは大丈夫そうかな」
確かに、エイデンの入れ替わりやエイデン暗殺未遂の全責任は既に亡くなっている祖父に負わせた代わりに、本来セシルを見捨てた父親には魔女への支援を約束させてしまったエミリーと、祖父が自分の将来に魔女という禍根を遺さないために魔女を絶滅させようとしていたと知って、冬休み期間中に祖父に引退を迫り父親に代替わりを迫る大暴れをしたらしいシルヴェスターがクレアについていれば、大抵のことは問題なくなるに違いない。
それでも、とシンシアはセシルを見上げて苦笑した。
「複雑そうだね?」
「うん。クレアが大事にされているのは嬉しいんだけど……嬉しいんだけど……シルヴェスターかぁ……」
「あはは……」
セシルが友人として慕っているだけあって、シルヴェスター個人は、あの立場と才能で生まれ育っておいて人格に問題が無さすぎることしか問題はない。でも彼の家の名前は、普通の人間には荷が重すぎるのだ。苛烈なクレアなら何とかするのかもしれないが、兄としては心配だろう。
「でも、シルヴェスター先輩のおかげで、セシルの栞もちゃんと返せたし、ドレスも返ってきたし……クレアちゃんのことも、個人的になら応援したいかも」
「恩が大きいな……」
そんな話をしているあいだに、長距離列車は学習都市から一時間の、ある山岳地方に到着した。
夏の避暑地として人気のこの都市は、今はケラウノスが暴れる高山に連なる冬の山脈として忌避されて、ほとんど地元住民しかいそうにない。
「ヴィオラ先輩が言っていたのは、ここかな?」
「そうだね」
駅前の商店街の隅にある店の看板を見て、中に入る。今日の旅の目的の一つは、この天然石屋だった。中には品質の良さそうな色石が、所狭しと並べられている。その中に埋もれるようにして、老女が座っていた。
「何をお探しだい?」
「ローズクォーツを、これくらいの大きさに加工したいんです」
シンシアは、自分が身に付けていたブレスレットを老女に見せた。
魔女狩り過激派の捜査が終了したあと、シンシアと母のもとに、小さな箱が届けられた。
けれど、その中に入っていた三本あるはずのブレスレットは、シンシアとルカの物を残して、妹のリリアの物が無くなっていた。母コーデリアは「あなたたちの物だけでもあって良かった」と微笑んでくれたけれど、リリアのブレスレットの行方に心当たりがあったシンシアは、悲しくて情けなかった。
だからせめて、新しく同じ物を作ろうと思ったのだ。
「数はないけど、質は良いのがあるよ」
「ありがとうございます」
老女は希望通り、シンシアのブレスレットのボタンと同じ大きさに加工できそうなローズクォーツを出してくれた。その中から一番記憶の中のリリアらしい物を選び、購入する。
礼を言って店を出るときになって、老女はふいに問いかけた。
「お嬢ちゃん、魔女なのかい?」
シンシアは一瞬戸惑ったが、老女は懐かしそうに微笑んだ。
「昔、魔女の友達が付けていたんだよね、そういうの」
それから少し歩いて、山が近くに望める湖に向かう。
「あの山、だと思うんだ」
セシルは明るい冬の陽光に照らされた雪山を、眩しそうに見つめる。
「村が燃えて、何もなくなったから。エリオスに、道案内をしてもらいながら、山を下りたんだ。守られたから、生きなきゃいけないんだって、思って……散々泣いたら、お腹は空くし、喉も渇いたからね。木の実や果物を探しながら、エリオスと一緒に、村がたまに物資の補給に行っていた場所を探して、山を下りて……助けてくれる大人を探したんだ」
それが、おそらくこの街なのだろうと、セシルは考えているようだった。かつて村で冬場に着せてもらったウールの防寒具のチェック柄が、この地方特有のものだったと、セシルとクレアの記憶が一致していたからだ。
「それで、気づいたら、フラムスティード家の先代当主に拾われていたんだ。あの頃の記憶は、ほとんどないけれど……覚えていたくないことだらけだったから」
セシルの手は、心臓に触れていた。エリオスのことを思い出しているのだろう。
「……大変でしたね」
「うん。……大変だった」
セシルは素直に頷いた。それから、急に明るい声で言い出した。
「そういえば、シルヴェスターから聞いたんだけど。星霜祭でショコラ・ショーとブラウニーを売りつけてきた店員さん、覚えてる? あの人、シルヴェスターの従叔父だったんだって」
「へ?」
シンシアは困惑した。
そもそも従叔父ってどこだったっけ。再従兄弟の親あたりだろうか。
「オーデン家を出奔して、ショコラティエの修業をしている人らしくて。道理で、なんか既視感があったはずだよ……」
「ええ……?」
ない。既視感なんて。全然似てなかったはずだ。
シンシアが動揺しているあいだも、セシルは話を続ける。
「それで、その人が修行している店が、この街にあるって聞いて――」
しかしふいに立ち止まって、セシルは不思議そうに首を傾げた。
「……あの子、なにをしているんだろう?」
「え?」
シンシアもセシルの見ている山のほうを見た。淡いグレージュの髪を纏めた小柄な少女らしき人影が、大荷物を背負ってまだ雪の積もる山道に踏み込もうとしていた。
「わ、私、あの子のこと、見覚えがある!」
シンシアは思わず駆け出した。星霜祭の日に、ロマンスと一緒にいた従者の少女だ。
セシルが慌てて追ってきたので、そのままシンシアは少女を見失わないように走り続けた。
「……あ、あのっ、待ってください! なにをされているんですか? 冬の登山は危ないですよ!」
必死に山道のほうまで橋を探して渡り、既に山道に踏み込んでいる少女に叫ぶ。
少女は不思議そうに振り返ってシンシアを見ると、ことりと首を傾げた。
「あら……私のことですか?」
ミルクティーのような瞳が柔らかに細まって、少女は可憐に微笑んだ。
「ご心配くださり、ありがとうございます。もちろん雪山の危険性は重々理解しております。ですが私は使用人として、どうしても主をお迎えに上がりたいのです」
そう言って一礼した少女は、笑みを深くして呟いた。
「……ロマンス様は、まだ生きていらっしゃいますから」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
『スノードロップは不死鳥を殺せない ―暗殺対象と両片思いになりました、任務継続の危機です―』はこれで一旦完結となります。
続編の構想はあり、まだまだシンシアやセシルたちの話はこれから書いていくつもりです。 ただ、現状かなりブックマークや評価数が少なく、反応の少ない中で投稿を続けることには、正直なところ少し心理的な厳しさもあります。
もしも「シンシアやセシルたちの話をまだ見たい」や「ここまでけっこう面白かった」と思っていただけたなら、応援していただければ嬉しいです。
連載中にブックマークや評価をくださった方、本当にありがとうございました。投稿し続ける気力になりました。
2026年9月6日 鶴川 紫野




