16-4
しかしその横で、セシルがふらりと身体を横たえる。
「っ、大丈夫ですか?」
「……うん……ごめん。急に動いたから、ちょっと目眩がするだけ……」
セシルは目を閉じて、胸の上に手を置いた。
「……エリオスは、ここ……?」
それから、ぼんやりとアイビーを見上げる。
「君が、起こしてくれたんだね。エリオスが言っていた……目が覚める前に、会ったんだ。まだ永遠の夢の中で生きるには早いって……」
悲しそうに微笑みながら、セシルは記憶を辿るように呟いた。その目に涙が浮かび、流れ落ちていく。
「僕が死ぬまで、エリオスはこの中にいる。僕が死んだら、またエリオスは転生して、元の鳥の姿で生まれ変わる。……僕は、二度とエリオスには会えないけれど……先にそういうことをしたのはお前だって、夢の中で怒られた」
「……ごめんなさい……」
アイビーも涙が止まらなくなって、謝った。
「ごめんなさい……っ」
最初に間違えたのはアイビーなのに、結局犠牲になったのは妖精のエリオスだ。彼はセシルに会いたかったはずなのに、アイビーが無力なせいで、ずっとセシルを見守ってきたエリオスに、セシルを返せなかったのだ。
セシルがアイビーの手を掴み、自分の胸元に乗せた。
「……心臓、動いてる……温かい……っ」
「うん。ありがとう」
「なんでお礼を言うんですか! わ、私がっ、殺したようなものなのに!」
「違うよ。僕が勝手にやったことだ。……でも、ごめん」
「なんで謝るんですか……!」
「置いていかれるのは、すごく悲しいってわかったから」
アイビーは目を閉じて頷いた。そうだ、悲しかった。セシルがいない世界は、悲しくて嫌で堪らなかった。
「ええと、セシルさん」
コンラッドが近づいてきて、ストローを挿した紙パックを渡す。
「体調に問題は? 喉は動いてそうだけど、一回唾を飲み込んでみて。大丈夫そうなら、少しだけ水飲むか?」
「ありがとう」
コンラッドから紙パックを受け取ったセシルが、言われたとおりにする。
「アイビーは、落ち着いたか?」
「全然、だめ……! 全然落ち着かない……」
嬉しいのに、目の前で失ったものが頭に残って、悲しくなる。けれどセシルが生きていることが、堪らなく嬉しい。
紙パックを置いたセシルの指が、労るようにアイビーの頬を撫でてくれる。それから困ったように、アイビーの白さが増した毛先に触れた。
「……これ、大丈夫なの?」
「それどころじゃないので大丈夫ですっ……」
「そ、そっか、ごめん。えっと……ごめん」
セシルが若干気まずそうに首を傾げた。
「あ……そういえば、どうして僕の名前を知ってるの?」
そのとき、再び扉が激しく開いた。またシルヴェスターかと思ったが、まったく見たことのない女性だった。
「えっ? えっと……」
……どちら様ですか? アイビーはそう言いかけたが、女性は「……お兄ちゃん」と泣きそうな声を発した。クレアらしい。
「……あ。モルフェアリス、さっさと私の姿を元に戻して。でないとこれが幻覚だと思って、私、川に飛び込んで溺れてしまいそう」
アイビーたちの怪訝な顔で気づいたのか、洒落にならない脅しのあとに、セシルより少し明るい赤髪の美少女がふわりとその姿を取り戻す。
「……お兄ちゃん」
「え……クレア……?」
やり直された呼びかけに、セシルはようやく自分に向かってくる少女の名前を当てた。
アイビーは、そっと離れようとして、またぎゅっと手を掴まれた。ここにいてもいいらしい。
クレアが近づいてきて、起き上がったセシルの前で微笑む。
「なんだか幽霊でも見たみたい。私のことは、もう切り替えちゃった?」
「……わからない」
セシルは困ったように首を横に振った。
「……諦めて、しまっていたんだ。あの日、クレアが川に落ちたところを、僕は見たから……」
「あれは、私だって絶対に死んだと思ったわね。それに、私もお兄ちゃんを諦めていたの。だって、たかだか十歳前後の魔女が、術師の社会で生き残るのはすごく難しかったもの。優しくて温厚でのんびりして競争嫌いなお兄ちゃんが、生き残れているとは思わなかった」
さすがにセシルが苦笑する。
「……言い過ぎだよ、クレア。でも……大きくなれたんだな」
「それはお兄ちゃんもだよ」
「……それもそうだね。生きていて、よかった。二人とも」
そう言ったセシルに、クレアは遠慮なく抱き締めた。かなり、遠慮はなかった。アイビーが引くくらいに頑張って締めている。
「……クレア、ごめん、ちょっと苦しいかな」
セシルが苦笑いしながらクレアの背を撫でた。肩口への頭突きが始まった。
「わ、私も怒るんだから。すごく怒っているんだから」
「痛い、痛いよクレア。おでこを痛めるから止めよう……ごめんってば」
「そうよ! 死んじゃったらっ、妹に抱き締められても、もう痛くなかったんだから! ちゃんと痛がって! 私は胸が張り裂けそうなんだから! ちゃんと生きて私の心配もするべきでしょ! お兄ちゃんのバカ!」
怒声が追加されてしまった。クレアの甘え方は、なかなかに過激らしい。
戻ってきたシルヴェスターが、なんとも言えない表情でクレアとセシルを見てから、気を取り直すように咳払いした。
「セシル。これからは、俺もそう呼んで構わないか?」
セシルはクレアの額に手のひらを当てながら頷いた。
「うん。……シルヴェスター。すまない。迷惑をかけたようだ」
「許さん」
「えっ」
セシルが驚いたように目を瞬かせる。シルヴェスターは、憮然とした顔で言い放つ。
「そう簡単に許したら、お前、またやるだろう? 今回の件は、俺もかなり怒っている。どうして生きて俺を頼らなかった。何のために俺が力を持っていると思っていたんだ……!」
シルヴェスターは、驚いたことに青い瞳を潤ませていた。
「お前たちに頼ってもらうためだぞ……死後じゃなくて、生きて俺を巻き込んでくれ……これは、この場の全員に言っている」
そう言って、シルヴェスターは自分を落ち着かせるように、深く息を吐いた。
「……とはいえ、よく帰ってきてくれた。俺たちに友を失わせないでくれて、ありがとう」
そう言ってセシルを見たシルヴェスターは、若干気の毒そうな顔になって、クレアに告げた。
「……クレアは、そろそろ兄を潰すのは止めたほうがよくないか?」
クレアはもはや完全にセシルの上に伸し掛かっていた。それでもシルヴェスターに諭されると、おとなしく頷いてセシルの拘束をほどいた。
「うん……」
自分から離れてシルヴェスターのほうに行ったクレアに、セシルがさすがに動揺した声で呟く。
「いつの間に、そんな仲良く……?」
「……クレアちゃんが、オフィーリア・ローズでした」
「……えっ」
アイビーは、驚愕しているセシルに、気まずくなりながら付け加えた。
「モルフェアリスっていう妖精と契約して、姿を変えて女優をしていたらしいんですけど、オーデン先輩は魔力が高すぎて、ずっとクレアちゃん本人の姿が見えていたみたいで……」
「……それで、オフィーリアのことを可愛いって言ってたのか、シルヴェスターは……僕が兄なのに」
セシルは、先ほどクレアに頭突きされていたときよりも、よほど痛そうに頭を抱えた。
「クレアちゃんのことについては、私もまだたくさん謝らなきゃいけないことがあるんですけれど」
「そうなの? じゃあその後は、クレアと友達になってあげてくれる? あの子は、君と同い年だから」
「もうなってる! お兄ちゃんが起きるの遅いから!」
「ごめん」
すかさず怒ってきたクレアは、そのまま泣きそうな顔になると、シルヴェスターの胸に顔を押し付けて泣き出してしまった。
セシルは気まずそうに目を逸らして、視線を彷徨わせた。
「……コンラッドも、ありがとう。その……騙していて、ごめん」
散々な復活現場で、アステルと二人でキトリニタスや聖杯の片付けをしていたコンラッドが、セシルに近づく。
「少し前に、本当の幼馴染みのエイデンだった奴に会ったんだ。えっと、アイビーの友人のエミリーな。セシルさんも知ってるだろ? アイツが元々フラムスティード家に生まれて、勘当されたって言ってた。俺は、アイツのこと好きなんだよ。でも、エイデン……えっと、セシルのほうが、やっぱり人間ができてる、っていうか、まともだと思う! 絶対に、俺も性癖以外では、セシルさんのほうがいいと思う!」
それは、エミリーに言ってもいいんだろうか。大喜びしそうだ。アイビーはそんなことを考えたが、コンラッドはにっこりと爽やかに笑ってセシルに握手した。
「だから、これからも良い感じの先輩でいてくれよな!」
「う、うん。それは頑張るけど、ちょっと待ってくれる? 起きたばかりなんだけど、さすがに情報が多い」
セシルは困惑しながらコンラッドに腕を振られていた。なのでアイビーは、こそっとセシルが整理すべき情報を上乗せした。
「……私の本名、シンシア・ヘイズです」
しかしセシルは嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱりそうだったんだ」
「え?」
アイビーは、思わず胸元のムーンストーンのネックレスを押さえた。
「旧校舎で、僕の本名の後に、シンシアって呼ばれていたから。それが君の本名なのかもって思っていたんだ。君の銀ボタンにもムーンストーンが飾ってあったと言っていたし」
「え……じゃあこれ、わかっていて月を選んでくれたんですか?」
「うん。確証はなかったけれど。……でも、君の後にクレアの名前が呼ばれたときは、死んだ魔女の名前も含めているんだと思っていたんだ。もしかして、あれはいま生きている魔女の名前だったのかな」
「たぶん、そうだったんだと思います。私たちのあとにも、何人かいましたね」
妹のリリアや弟のルカの名前は呼ばれなかった。それでも。きっと二人と同じ年頃の子も、まだどこかでは生きているのだ。
「うん。多くはなかったけれど……思っていたよりも、少なくなかった。僕は一族の村から出たことがなかったから、他の魔女の集落のことも全然知らなくて、魔女の血筋がどれだけ生き残っているのか、全然わからなかったんだ」
そう言って、セシルは台座から足を下ろして座り直すと、照れたようにアイビーを見上げて微笑んだ。
「せっかく生き返ったから、ちゃんと自己紹介してもいい? 僕はセシル・セイン。……司書の魔女で、不死鳥の妖精エリオスの永き友人であるセイン家の末裔、セシルだよ」




