3-6
演練場からほど近い、薬草園に隣接した場所に医務室はあった。そこに運ばれたアイビーは、保健医に体調を診てもらい、ひとまず治癒魔術を付与した苦い薬草茶を飲まされたあとは、一時間ほど半強制的にベッドの中で安静にするよう言いつけられた。
それから栄養面を考慮された夕食をいただき(コンラッドなら絶望していそうなアイビー好みの美味しい薬膳スープだった)体調が戻ったことを確認されてから、ようやく医務室のベッドから釈放されたアイビーは、ブルースターとの面会に来ていた。
エイデンとシルヴェスターだけよりも、アイビーもいたほうが良いだろうと、コンラッドに誘われたのだ。
学校監理局のほうに収容されていたブルースターは、一見落ち着いているように見えた。無機質な机と椅子があるだけの面会場所で、アイビーはブルースターに向き合って座った。隣には審判だったエイデンが座っている。シルヴェスターとコンラッドは背後に控えていた。決闘の重大な規定違反を犯したネリリンとは、もう会わせることはないらしい。
だからアイビーは、薄々思っていたことを、最初に問うことにした。
「あの、あなたは、ブルースターの花の妖精ではないですよね?」
後ろにいたコンラッドが、「えっ?」と驚いた声を出した。青い花の妖精は、ぱちりと瞳を瞬かせた。
「……どうしてわかったんですか?」
「髪の色もブルースターの花とは違うし、それに香りも……」アイビーはためらいながら自分の答えを口にした。
「たぶん、ブルーベルの香りだったと思う」
少なくとも彼女は力を使おうとするときに、いつも甘い香りがふわりと強くなる。あまり香りが強いほうではないブルースターではありえない。
「……はい。私は、ブルーベルの人工妖精です。わかっていただけて、嬉しいです」
彼女は頷いて微笑んだ。しかしそれを聞いたシルヴェスターが眉を顰める。
「人工妖精? 人型が流通していたのか?」
エイデンも表情を険しくする。
「噂にはなっていたけれど、まさか堂々と学校に持ち込んでいたとはね。……道理で術師の実力に見合わない強さなわけだよ。普通の妖精は、術師が相応に強くなければ契約できないから」
「どうして、違う名前を名乗っていたの?」
アイビーの問いかけに、ブルーベルの人工妖精は曖昧に苦笑した。
「……ネリリンさんは、花嫁さんに憧れていたんです。だから、私は花嫁に贈られるブルースターなんだって……。一応訂正したんですけど、ブルーベルの花のことは、よく知らないし、私には関係ないって……ブルーベルの逸話を知ってくれることは、なくて」
アイビーは混乱した。花の妖精の花を間違えるなんて、魔女を魔術師と呼ぶくらいにおかしい。
「あ、でも、騎士って……あの有名なブルーベルと騎士の物語から取っているんじゃ」と伝承を思い出してみるも、「あれ、逆……?」ブルーベルと騎士であって、ブルーベルが騎士ではない。むしろ騎士が術師の祖である。
「いや、ブルーベルと騎士の話を知らないわけないだろ?」
コンラッドが引きつった顔で呻く。
「初等学校の頃の国語の教科書と、中等部の歴史の教科書に載っていなかったっけ……?」
エイデンの疑問に、シルヴェスターも同意する。
「それぞれ一年生のときに習い直したな。派閥によって細部は異なるかもしれんが」
アイビーも頷いた。祖父母が残してくれた五十年以上前の教科書でも、そのあたりで学んだ記憶がある。
「騎士とお姫様のお話はご存知だったんですけど、そのお話に出てくる花の妖精が、ブルーベルだってことには興味がなかったみたいで……」
「そうか……」
エイデンが悲しそうに目を伏せた。コンラッドはうんざりしてきたのか、露骨に顔を顰めた。
「難しいな、馬鹿の思考回路を理解すんの……」
「コンラッド」
シルヴェスターが宥めるようにコンラッドの名前を呼ぶ。それでもコンラッドは険しい表情を変えられなかったようだった。
「すみません。難しいな、当代一の才媛の思考回路を理解すんのは……」
あ、コンラッドって、皮肉も言えたんだ。いつも魔女にも優しいから知らなかった。などと考えていたアイビーの隣で、エイデンがブルーベルの人工妖精に話しかける。
「君は今後、どうしたい?」
ブルーベルの人工妖精は、ほんの少し泣きそうな顔をした。
「……ネリリンさんの元に戻る以外の選択肢が、私にあるんですか? 人工妖精ですよ?」
「人工妖精は、妖精だろう」
隣からシルヴェスターが口を挟む。けれど彼女はふるふると首を横に振った。
「人間に逆らったら処分されるのに?」
「それは、人間を害した場合だ。人間だって同じことだ」
「そんなの、嘘です! 自由な妖精なら討伐されないような罪でも、人工妖精なら処分されています! 人間みたいに扱われたこともありません。人間に従えって言われるだけで……。だったら私は、何なんですか?」
アイビーは、泣きそうな顔で怯えるブルーベルの人工妖精に目を伏せた。そこまで酷いことになっていたのか。
しかしシルヴェスターは驚いたように目を見開く。
「待て。それは一部の魔術師たちが独断で行っていることだ。俺たちはそんな扱いを許容していない――」
「……ペットだろ。ゴーレムと同じ。ほどほどの思考回路を持って、人間のために都合良く動いてくれる存在。それだけだ」
それを遮ったのは、コンラッドの声だった。
「っ……!」ブルーベルの人工妖精が絶望した表情になる。
「コンラッド。自分が何を言ってるかわかっているのか?」
シルヴェスターが少し強い口調になった。けれどアイビーから見たコンラッドは、ブルーベルの人工妖精と同じくらいに泣きそうな顔をしていた。
「わかってるよ。俺だって、ゴーレムが、妖精や人間に近づくたびに悩んでる。でも、術師は多かれ少なかれ、それを正当化して生きてるだろ。精霊は意思がないからいいのか? 精霊術師は違うのか? 精霊や妖精と共存してきた魔女を迫害してきた第一人者だろ?」
「……返す言葉はないな」
シルヴェスターが肩を落とす。振り返ったエイデンが、トントンとコンラッドの腕をつついた。
「コンラッド。落ち着いてくれ。今は君が時代に八つ当たりするときじゃない。……でも、怒ってくれてありがとう。正直僕もけっこう同じ気持ちかも」
「……わかった。……ごめん」
コンラッドが背後の壁に戻って俯く。
エイデンは、再びブルーベルの人工妖精を見た。
「誰とでも共存しなければならないのであれば、僕たちはネリリン・ファルメールとも共存しなければならない。でも、共存を望まない相手と共存するのは、実際には不可能だろう。だから君にもそれを強いたりしない」
ブルーベルの人工妖精は、困惑したように三人の顔を見回した。コンラッドを中心に感情的に揉めてしまうところを見せたが、かえって良かったのかも知れない。彼らはブルーベルたち人工妖精を道具として扱ってきた魔術師とは、異なる考えを持っているのだと――認識を多少変えてくれたようだった。
「ひとまずあなたのことを、ブルーベルと呼んでもいいかな」
アイビーが問いかけると、ブルーベルは小さく頷いた。それを見て、シルヴェスターに視線を移す。
「あの、少しのあいだ、二人にしてくれませんか? 彼女の今後は、焦って決めさせることではないと思うので……」
「……悪くない提案だが、おそらく明日にはネリリン・ファルメールの父親が来る。猶予はあまりないぞ」
「わかりました。それでも、一晩は長い時間ですよ」
特に、怖い思いをしているときは。殺されるかもしれないと怯えて無力感に押し潰されそうな夜は。とても長い。
だからアイビーはそれでいいかを問おうと、ブルーベルを見た。彼女は戸惑うように声を震わせる。
「わ……私、ネリリンさんを選ばなくても、処分されないんですか?」
「されないし、させないよ。といっても、魔女の私に権限があるわけではないけれど」
アイビーは、できる限り誠実であれるように言葉を探した。
「そこは任せて欲しい」
シルヴェスターが、そう頷いて退席していく。
続くコンラッドとエイデンが手を振ってくれたので、それに振り返してから、アイビーはブルーベルに向き直った。
「さっきの三人は、この件について信用しても大丈夫だと思う。まずオーデン先輩は生徒会長だし、コンラッドも理想主義だからこそ、貴女を利用している魔術師たちにすごく怒っていた。エイデン先輩は魔術師だけど、エリオスのこと大事にしている」
ブルーベルは頷いてくれた。
「オーデンさんは、精霊術師の方ですよね。清廉潔白な印象は私も持っています。セルビーさんも、普段からいろんなことを考えていらっしゃったから、感情的になって怒っていたんだとわかります。すごい方ですね。それに、フラムスティードさんは、いつもアイビーさんや妖精のことを大切にしようとしているように見えます」
「う、うん……そうだと思う」
アイビーは照れながら微笑んだ。
「……あのね。私のお母さんは、妖精同士や妖精と魔女のトラブルを解決する、『話者』の家系だったの。だからといって、私が妖精と対話できる証明にはならないけれど……貴女という存在の何を守るべきかは、理解できていると思う」
「ありがとうございます」
そう言ってブルーベルは軽く周囲を見回すと、じっとアイビーを見つめた。
「ところで……アイビーさん。あなたも、人工妖精なんじゃないんですか?」
『……どうだろうね?』
頭の中で急にニヴァリスの声が聞こえた。アイビーは一瞬詰まった息を吐いた。
「……違うよ。私は人間として生まれて、外見通りに十五歳で、幼少期から今まで育った記憶もあるの」
「……それは、作れますよ」
人工妖精であるブルーベルの瞳が、美しく瞬きした。アイビーは大きめに肩を竦めた。
「夕食も、食べてきたよ。人間のね。毎食必要なの」
「……そうですか。じゃあ――あなたは妖精に、取り憑かれているんですね?」
「……それは」
『そうだね』
ニヴァリスの声を聞かなかったことにして、アイビーは答えを探した。
「違う。……ニヴァリスは私だから」
「どういうことですか?」
ブルーベルが首を傾げた。
『お母さんが、風邪を引いた子供を治そうとしたんだよ。幼少期に私が遊んでいたスノードロップの花畑から、私の人工妖精を生み出して、弱った私にくっつけた。それだけ』
無邪気ぶって頭の中で騒ぐニヴァリスに、アイビーは苦笑して答えた。
「……私の性格が悪い部分?」




