1-1
――親愛なるお母様。
ごめんなさい。
私は暗殺対象に恋をしました。
「――ねえ、あの子、魔女なの?」
「魔女ってまだ生き残ってたんだ……」
「今更ここに来てよかったの? どうやって入学したの?」
パルマケイア魔導高等学校の入学式。
新入生の一人であるアイビー・エインセルは、周囲の視線を一身に集めていた。
当然だろう。皆が真新しい黒のローブを着ている中で、一人だけ白いローブに袖を通している姿は目立つ。
この魔導高等学校に在籍しているのは、精霊術師、魔術師、錬金術師の子女たちだけだ。もはやそこに魔女の席はないはずだった。
白いローブは異端者の証しである。
精霊術師と魔術師が、元々は魔女が魔女のために創った学校を乗っ取った。白いローブの魔女を追い出して、代わりに錬金術師を迎えて学校名を変えてからは、もう五十年ほどが経つ。
それでもアイビーは、平然とその場に居座っていた。
誰がなんと言おうと、アイビー・エインセルは正式に入学統一試験を受けて、入学届を受理されて学籍番号が用意されている。
だからアイビーは、そろそろ見慣れてきた自分の毛先のほうが必ず白っぽくなる薄緑の髪にお気に入りの白いリボンを結んで、蜂蜜色の瞳を輝かせて、けっこうご機嫌で術師たちの学校に来ていた。
ちなみに白いローブの下は普通に学校指定の黒いワンピースである。黒いベストとスカートのセットアップも可愛かったので揃えてあるが、やっぱり魔女といえば黒ワンピースドレスのほうが正装だと思ったのだ。そして他の生徒もベストの中に着るブラウスや男子のシャツは普通に白指定だ。
どうせなら魔女を追い出したときに、全部葬儀のように真っ黒にすればよかったのに。
ほんのりと毒づきながら微笑むアイビーの四方に、生徒はいない。式場が自由席だったおかげだ。森の奥で育って術師たちの多い場所が苦手なアイビーとしては、むしろ快適だと言えた。
学校に足を踏み入れてからずっと晒されてきた奇異の目は、ずっと住んでいた森から不定期に村へ物資調達に訪れたときと変わらない。むしろ遠巻きにされているだけでまだ実害がないので、想定よりも気楽だったくらいだ。
しかし、開会が告げられて、生徒会長が登壇し「静粛に」と発した途端、新入生たちは異端の魔女にざわつくのを止めて、すぐさま前方を見た。
……行儀の良いことである。
アイビーは極力顔を動かさず周囲を窺った。生徒は一様に壇上の生徒会長に注目している。なので一応はアイビーも、壇上にいる生徒会長シルヴェスター・オーデンに目を向けた。
シルヴェスターは、くっきりと発色した水色の瞳とそのすぐ上にある真っ直ぐな眉、難癖を付けられる部分がないすっきりとした鼻と口を持ち、かなり長く水のように流れる青色の髪をきっちりと纏めている。呆れるくらい目を引く、いかにも厳格で自制心の強そうな青年である。
家系的にも本人的にも、水属性の精霊術が大得意らしい。黒いローブの裏地も当然ながら精霊術師を表す青だ。全体的にとても青い。――精霊術師は慣例として、人間が生きるのに必要不可欠な水を集められる者が、一番尊ばれている。
まさに優等生の王様である。アイビーはこっそり肩を竦めた。この学校は、彼の祖父が理事長である。アイビーの入学を許可したのも、もちろん理事長だ。
だからアイビーの標的は、彼ではなかった。
視線を少し動かして、その後方に控えている、暗い赤髪の青年を睨む。着ているのは魔術師を表す、赤裏地のローブ。間違いない。
――エイデン・フラムスティード。この学校の二年生で生徒会の副会長。
彼が、アイビーの標的だった。
エイデンは、無表情で赤の眼を伏せている。やや中性的な印象だが、それなりに長身で、極端に線が細いわけでもない。姿勢も良いし、シルヴェスターと同様に非の打ちどころは特にない。むしろ生徒会長のような露骨に冗談が通じない堅物の雰囲気もない。強いて言うならば、事前に見せられた去年のものだという写真よりも、顔立ちから少年らしさが抜けている。だが。
『……なんか……やる気がなさそうね……』
頭の中で妖精ニヴァリスが囁く。アイビーは曖昧に口元だけの微笑みを整えた。
優秀な魔術師で名家の生まれ。ついでに二年生で副会長ということは、来年はこの名門校の生徒会長でほぼ決まりだろう。期待も栄誉も一身に背負う身のくせに、図々しいことだ。
妙によく通る美声を堂々と発している生徒会長シルヴェスターの話と、その次の校長と、次の次の新入生代表の挨拶をそっちのけで、エイデンの観察を続けた。
やる気はなさそうなのに身なりは整っていて、つまらなさそうなのに姿勢は正していて、退廃的で色気のある王子様を気取っていると思うには、ひとつ結びにして左胸の上に垂らしているらしい長い赤髪には目立つリボン一つ付けておらず、少なくとも外見からどういう人間なのかは驚くほど伝わってこない。
じろじろ見すぎたのか、ふいにエイデンが視線を上げた。
「……あ」
赤い、予想外に鮮やかな瞳が、アイビーのほうに向けられた。
目が合った。そうしたら、外せなくなった。
三秒……五秒。パチリ、と、鮮やかな瞳が一瞬だけ瞬いた。
思いのほか、毒気のない不思議そうな表情をしている。
どうしよう、落ち着かない。七秒……十秒。
ふいに会場中を、盛大な拍手が包んだ。
「あ……」アイビーはようやくエイデンから視線を外して、再度登壇していたシルヴェスターのほうを見た。
シルヴェスターの、おそらく完璧だったであろう式を締めくくる挨拶に、慌てて場に合わせた適当な拍手を送るふりをしながら、アイビーは心臓への不具合を感じて首を傾げた。
妙にドクドク跳ねていた。
――エイデン・フラムスティードは、魔術師だ。魅了魔法は使えないはずだ。……使えない? 本当に?
『……使えたとしても、アイビーには効かないでしょ?』
頭の中で、妖精ニヴァリスが呆れたように、でも少し不安そうに言う。
自問自答なんかしなくても、当たり前である。魅了魔法は先天性の素質であるが、魔力が半分以下の者にしか効かない。つまり平均よりもずっと魔力量は多いらしいアイビーに効くことはない。はずだ。
それなのに、なぜだか赤い眼が、アイビーの脳裏から消えなくなった。
「なあ、お前なんでわざわざ白いローブ着てんの?」
エイデン・フラムスティードに衝撃を受けたまま、ふらふらと割り当てられた教室の席――前方の右端から二番目に座ったアイビーは、その直後、なぜか一番右にいた隣の席の少年に絡まれた。
「……魔女だから」
「嘘でも精霊術師とか魔術師を名乗れば良いじゃん? せっかく入学できたんだからさ」
「せっかく? 入学試験は難しくなかったけれど」
アイビーは正面の黒板を眺めながら答えた。華やかな装飾文字で『入学おめでとう!』と書いてある。たぶん誰もアイビーに向けて書いたつもりはないだろうけれど、ちょっと嬉しい。
「バカか! バカじゃねえか! そうじゃねぇよ! バカが入学できて良かったなって意味じゃねぇよ! 魔女の身で生き延びて入学できたのに、なんで自分から死ぬかもしれないことしてんだよ!」
かなりうるさい。
アイビーはようやくその少年に視線を向けた。
短い金髪が跳ねた少年だった。ああ錬金術師かと察してローブを見れば、早くも着崩すように肘まで捲り上げた袖の裏地は予想通りの黄色だった。
魔女や精霊術師と魔術師は、基本的に魔力の集まりやすい髪を伸ばす。そして……もっとこう、性格も、厳かであったり攻撃的であったりする。他人に弱みを見せると、それが致命傷になるからだ。
その点、この積極的にウザ絡みしてくる少年には、陰湿さが足りない。というかなにやらアイビーの身の振り方を心配されている。お人好しか馬鹿か変人か。全部か。
アイビーはさすがに呆れて、一応少年を観察することにした。
そして少しだけ興味を持てた。珍しい目の色をしていたからだ。右は青紫だが左はもっと青い。紫陽花のようなオッドアイだった。
「貴方、だれ?」
「コンラッド・セルビー! 見ての通り錬金術師だ。さっき新入生代表で挨拶してただろ!」
「……そうだった?」
アイビーは困惑した。エイデンに夢中で全然見ていなかったし聞いていなかった。
「むしろどこ見てたんだよ」
その後方にいた副会長である。
だがこの目の前の少年が新入生代表ということは、彼はおそらく今年の新入生の中で成績最優秀者ということである。実質この学年のカーストトップだ。
「そう。コンラッド・セルビーね。よろしく……しなくていいわ。うるさいし」
「残念だったな、席が隣だ!」
「えっ……?」
アイビーは素で動揺した。相手が魔女の場合、たったそれだけの理由で話しかけてくるのは斬新な行為である。
「いや、なんで俺がここ座ってると思ってたんだよ」
「……それは……なんで?」
「一年生は他派閥への理解も含めて基礎科目全般を学ぶから、先生が移動して、生徒は教室と座席が固定」
「あ、うん。そうね。わざわざ教えてくれてありがとう」
二年生からは自分が学ぶべき分野に合わせて授業を選ぶ単位制だが、基礎課程の一年生は精霊術師も魔術師も錬金術師も(魔女も)同じ教室に教師を迎えて、共通の知識を学ぶ。学校案内の冊子にもそう書いてあった。
――精霊に頼る魔女から精霊を操る精霊術師が生まれ、言葉を使う精霊術師から術式を刻む魔術師が生まれ、妖精を使役する魔術師からゴーレムを造り出す錬金術師が生まれた。
だから、他の術師の分野も学んでおいて損はないのだ。
しかし、つまり。
「というわけでよろしくな!」と、にっこりと笑いかけてくる少年に、アイビーは内心頭を抱えた。
「あのね、もしかして、ずっと? ずっと私に話しかけてくるつもりなの?」
「うん? 当たり前だろ? 俺は他に隣の席の奴いないし」
「ええ……?」
アイビーは焦った。一応コンラッドの後ろを見たが、そこにいた精霊術師の少女は、それこそ身体ごと後ろを向いて同じ精霊術師の少女と楽しそうに話していた。もともと知人なのかもしれない。それなら、まさかこの錬金術師の少年とも話してあげて、と言うわけにもいかないだろう。
どうしよう、自分が一番おかしいと思っていたのに、すごくおかしな人の隣に座ってしまったことが判明した。
アイビーは戦慄した。ということは、この、わざわざ魔女には話しかけたりしないという分別がなく騒々しい錬金術師は、アイビーが暗殺任務を達成した魔女として退学するまで、常に隣の席にいるということになる。
「嘘でしょ……なんで私の隣なの……?」
「引きすぎだろ、傷つくぞ」
コンラッドは大袈裟に肩を竦めた。しかしアイビーからすれば、魔女の隣席になるなんて、コンラッドはものすごく可哀想な人である。
何か、前世で極悪非道なことを積極的に散々やり尽くしたのだろうか。そうとしか思えない。




