第33話「白の封蝋」
白の封蝋は、朝の光を受けても輝くことなんてない。
「…来たのですね」
私の部屋の小卓へ置かれた封書を見たラフィーが、予想していたかのようにつぶやく。私もまた小さく頷くだけで、それを手に取った。
金色のように視線を引くことがなければ、青のように曖昧な状況を告げるわけでもない。ただ『そこは元々空白だった』とでも言わんばかりに、紙の上へ静かに貼り付いていた。
レイナも口を開かず、それでも昨夜まではかろうじて金色だった招待状を持ってくる。それは白との対比を見せつけるためではなく、実務の観点からの行動なのは明白だった。その優秀さが、敵側の押しつけがましい無関心さに立ち向かう力を与えてくれた。
そのまま、白い封を切る。金色のときに比べ、妙に軽い気がするのは単なる思い込みではないのだろう。
(文面は丁寧、日付、会場、参列区分。紹介順は別紙参照…金を白にした点については言及なし、ですか)
その紙は金の招待状であった事実を塗りつぶすほど白く、新しい列席資格が淡々と記されている。それ自体は実務的でなんとも思わないけれど、ラフィーが顔をしかめる程度には不快な変更点が見つかった。
「…“陪席一名”の但し書きも消えてますわね」
「どんな意図があるにせよ、“記載ミス”と片付けるわけには参りませんね」
ラフィーの言いたいことを代弁すると、すぐさま隠し切れなくなった闘争心を感じさせる声音で返事をされた。
席次未定ではなく、紹介順の格下げ。中央列ではなく、外縁待機。そのどちらも今の私たちにとっては、『陪席不可』ほどの怒りを刺激されなかった。
席次の格下げは、まだ飲み込める。紹介順の後置も、戦う余地はある。
けれど、陪席の削除だけは違う。それは私の位置ではなく、ラフィーが私の隣に立つ資格そのものを消す行為だった。
「しかし、敵も痺れを切らしているんですのね。金から段階を踏もうとして、急激に真っ白に染め上げる…」
「すでに顔見せは十分だと判断したのでしょう。その段階でこちらが折れれば儲け物だったのかもしれませんが、相手はルミア様を過小評価してばかりですね」
お互いが引き離された怒りを隠すように、あえて平坦な声で現状を確認する。情報の共有は完璧だと言わんばかりに、ラフィーは次の一手を考えつつもすらすらと応答した。
そう、これは格下げではない。金色の招待状なんて最初からなかったことにして、私たちを社交界の外縁へ置き直したのだ。
もちろんあれほど晒し者にしたあとでは、『金の招待状はありませんでした』では通用しない。『存在していなかったと塗り替えられても仕方ない連中』という共通認識を広め、最後の追い込みに入った…そんなところだろう。
(オレオン、あなたにしては品のないやり方ですこと…だからこそ、わたくしたちは止まるわけにはいかなくなる)
なりふり構わなくなった婚約者の顔を思い浮かべる。すると不思議なことに、彼がどんな表情をしていたのか、どんな声音で話していたのか、その記憶は古びた本のように薄れていた。
彼は私にとって、すでに過去の人となりつつあるのだろう。けれど、彼が選んだこの白だけは、まだ私の前に置かれている。
「ルミア様、列席確認へ参りましょう」
「ええ」
「お嬢様、原本をご用意しました。受領札もございます」
「ありがとう、二人とも」
オレオンだけが悪いのではない。彼が持て余す程度の女であった、私にも非があったのだろう。
けれど、私はそうありたい。都合よく担がれて不公平に苦しむ人たちから目をそらすよりも、同じ苦しみを味わい、それでもなおそんな人々を守れるくらい強くなりたい。
ラフィーとレイナに促されるまま、私は白と金、二通の招待状を手に取った。重ねてみても、金は白によって上書きされたように透けてこなかった。
*
王城の列席確認室は、朝だというのに妙に整っていた。
磨かれた机、順番札、名簿箱、筆記用具…そのどれもこれもが乱れなく配置されていて、残酷な決定を事務の顔で隠していた。
私とラフィーは受付に向かい、書記官に対して白の封書を差し出す。彼は不思議そうにすることはなく、名簿を開いて確認した。
「ヴァルドシュタイン公爵令嬢、ルミアリエル様。外縁列、前室待機。紹介順は後置となっております」
「しかし、先の招待状は金色でした。事務ミスではありませんか?」
私が言うよりも先に、ラフィーが随分前から用意していたような手早さで口を挟む。それは母親に代弁してもらう子供のような気分になったけれど、『自分の権利は自分で勝ち取ります』という意思を感じ、何も言えなかった。
…言ったとしても、この子が譲るとも思えませんが。
「現行名簿では白の記載でございます」
現行、それは一言で片付けるには十分な単語だった。
この場においては前後の色ではなく、最後に差し替えられたものだけが真実になる。書記官もそれについてなんの疑問も持っていないのか、悪びれる様子もない。
多分彼は、自分の仕事をこなしているだけだろう。学生のように気まずそうに目をそらすこともなく、茶会の貴族みたいに勝ち誇っているわけでもない。
ただ『ルミアリエルを外縁へ』という仕組みができあがっていて、その一部として働いている…そんな相手に対して不正を訴えるのは、王城への反逆にも等しかった。
(…ほかの受付は、何事もないように進んでいる。学園、社交界、宮廷…前へ進むたびに、私たちの味方はいなくなるんですのね)
隣の机では若い令嬢が青の招待状を受け取り、少しだけ不満げにしつつもそのまま受領印を捺している。その後ろにいた男爵夫人はちらりとこちらを一瞥したけれど、白の封書に気付いても目立った反応は見せなかった。
誰もが自然で、私たちの白なんて気にも留めない。そして人々は私が金や青であったという事実を、『最初からその程度の位置だった』という記憶に書き換えているのだろう。
向こうは派手な断罪を用意しているはずなのに、事務的かつ整然と消そうとしている様子には息が詰まりそうだった。
「ならば、書き換えの根拠を伺っても? ここはその回答義務があるはずです」
事務処理の硬質な音だけが支配する空間に、ラフィーの柔らかで淡々とした声が落ちた。
この場においてはその静かな言葉も、書記官の視線を引っ張るのに十分な力があった。
「最新の差し替えに基づいております」
「差し替えは承っています。ですが、金の招待状では陪席一名可能の案内がありました。色の変更はさておいても、事前の取り消し通知と受領確認を欠いたままで陪席条項を消すことは、再発行ではなく記録欠落として規定違反となるでしょう」
「それは…」
それまでは事務役に徹していた書記官が、ようやく目の前の人間を見た気がした。
そこに立っているのは可憐な少女であると同時に、自らの足がかりを不当に奪われた、静かなる怒りを理性で飲み干している戦乙女でもあって。
剣を振るうことをためらわないその姿に、私は現状を忘れて一瞬だけ見惚れた。
「昨夜届いた札にも、席次未定としかございませんでした。そこから白への移行、あまつさえ同伴への制限までおこなうならば、少なくとも改定理由の通知が必要ですね。先日の仮制限だけでは無理です」
穏やかな態度で距離を詰め、相手がこちらと向き合ったら逃がさない。柔よく剛を制すると評価された、ラフィーらしい調停方法に見えた。
さらに逃げ道をなくすため、レイナが整えていた受領札に加え、金の招待状控え、昨夜の補記札を順に机へと置く。紙の角までぴたりと揃っている様子は、レイピアの切っ先を喉元へ突きつけるような鋭さだ。
ラフィーが取り戻そうとしているのは、私の席ではない。彼女自身が、私の隣に立つための名目だ。
私は白の封書ではなく、金の招待状の原本を机へ置いた。
「こちらが、先に受領された招待状です。記録番号をご確認ください」
書記官の目が、ようやく紙の上で止まる。
(…それでも、家名は使わない。ラフィー、あなたはあくまでもアストレアではなく、ラフィエラとして戦うのですね)
紋章が疼く。ラフィーの覚悟に触れるたびに反応するそれは、心臓の鼓動よりも早く彼女の意思を察した。
「陪席の削除まで求めるのなら、取り消しの受領印が先です。それがない以上、先の招待時の資格は消えておりません。席次は調整できたとしても、列席の名目そのものではないでしょう…ですから、わたしの席もご用意いただけますよね?」
にっこり。沈黙する書記官に、ラフィーはようやく優しい笑顔を向けた。
少しの静寂のあと、背後にいた補佐役が名簿箱を引き寄せ、別の綴りを確認する。そしてなにかを書記官に告げると、彼は調子を取り戻したように頷いた。
「…元の陪席資格は残したまま、席次のみに外縁列へと補正いたします。それでよろしいですか? なお、紹介順の変更は承れません」
「ええ、問題ありません。ご確認、ありがとうございました」
そこでラフィーは剣を鞘へとしまうように、一礼して距離を取った。書記官たちはあくまでも仕事の顔を保ちつつも、ほんの少しだけ空気がやわらいだのは誰の目にも明らかだった。
それは勝利と呼ぶには地味だった。けれど、手順通りに差し出された紙を、王城は無視できなかった。
これで、少なくとも当日、ラフィーは私の隣に立てる。たとえ外縁であっても、私は一人では入場しない。
手に残り続ける白い封蝋はそのままでも、その色味はやっと光を取り戻したように感じた。
*
「…助かりましたわ」
「うふふ、そのお言葉だけで十分です…なにより、わたしも制度の中で負けるのは気分が悪いですから」
確認室から離れ、独特の緊張感から解放されると同時にラフィーと視線を交わす。そこに誇らしげなものはなかったにせよ、まだ残る朝の光に双眸がきらきらと輝いていて、褒められるのを待つ犬みたいに見えた。
だから素直に礼を伝えたら、彼女はスカートを軽く持ち上げて返礼した。オレオンにして見せたときに比べ、より上品で優しい所作だった。
「全部は取り戻せないかもしれません。ですが、されるがままだと負けを認めることになりかねません」
「そうですわね。敗北に甘んじることが多すぎたから、少しわたくしも麻痺していたのかもしれません。背筋が伸びるような思いですわ」
私の自虐に対し、ラフィーは肩をすくめて苦笑する。かつてはライバルらしく競い合った少女は、私との言い合いには完全に興味をなくしたみたいだった…元々、私だけが負けたくないと思っていただけかもしれないけれど。
「あなたは優秀なのに、今日は地味な勝利に甘んじるのですわね」
「元々目立ちたいとは思ってません。わたしたちはあくまでも貴族、象徴ではなく実務を担当すべきなのですから…それに、望まぬまま目立ってしまえば、リオネ様のように逃げ道を塞がれてしまうんです」
ラフィーのそういう地道な部分に少なからぬ好感を覚えていたら、彼女は壁際の名簿版に視線を動かし、私もそれにならう。
そこにあったのは聖堂側控え室や象徴祈祷列といった記載…その中央に、リオネ・ヴィオレッタ・ド・グレイヴの名前がよりはっきりとした太さで記されていた。
「…代替、なし。しかも注記欄には、象徴祈祷の導線固定、控室移動制限、付添補助は聖堂側より指定…あの子に、そこまで…」
「誰がリオネ様のそばに立つかまで決められています。わたしたちが手を伸ばせない位置まで移動させているのでしょう」
象徴として中央に固定し、代替も許さない。それでも私たちが手を伸ばせば、敵の筋書きに載せられて『聖女候補に干渉した』と敗北が確定する。しかし、放っておけば…あの子は。
助けたいけど助けられない。でも、見捨ててしまえば自分が許せなくなる。どう動いても負けてしまう配置は、一人で悪役を演じていた頃を思い出させた。
「わたしたちは白の封蝋、居場所は外縁です。けれど、向こうがこちらへ干渉してきたように、こちらからも中央へ触れる方法はある…ルミア様、どうされますか?」
「…決まっています」
それは「はい」とも「いいえ」ともつかない、誰にも届かない返事に見えたけれど。
ラフィーは相変わらず「ルミア様ならそうおっしゃると信じていました」と笑った。私は書類を抱えて行き交う書記官を眺めたあと、ラフィーを伴って話し合いの場へと向かった。




