第二章 思いの行方⑩
その日の晩、桜は瞳のもとを訪ねた。
昼休みに今日の夜会いたいと、携帯から瞳と巧にメールを入れていた。
今日が隼人のアルバイトの日ということがわかっていたからだ。
二人と快く返事をくれた。
「寒くない?暖房つけてるから、すぐ暖かくなると思う。瞳はすぐそこまで買い物に行ってる。もうすぐ帰ってくると思うけど」
「はい。ありがとうございます」
瞳の家にはよく訪れたことがあるが、巧の家に来るのは初めてだった。男性の家に入ることも初めてだった。
部屋の中は急いで片付けたという感じだった。タバコの箱、マンガ本、ペットボトルのお茶など、コタツ机の上だけが、乱雑に物が置かれてあった。一度だけ訪れた隼人の部屋とは違い、生活観が見てとれて、妙に落ち着いた。
「適当に座っていいから。コーヒー作るけど飲む?」
「いただきます。あっ、私手伝います」
「いいって。ゆっくり座ってていいから」
それからしばらくして瞳が帰ってきた。寒そうに肩をすぼめていた。
「どうも。お邪魔してます」
ぶっきらぼうの巧にしては珍しく、桜にコーヒーをだしていた。巧はコーヒーにうるさい。缶コーヒーはあまり飲まない。高い豆選んできて挽いて作るところからはじめる。桜のもとまで行くと、濃厚な香りが漂っていた。巧はすぐにたちあがり、瞳の分を入れてくれた。言葉こそ少ないが、配慮のある気持ちがうれしかった。
「久しぶりだね」
「はい」桜は、軽く微笑んだ。
「もっと頻繁に来ていいんだよ。桜みたいな超美人が来たら、巧もうれしいだろうし」
冗談めかして言った。巧は照れ臭さからか、まだ熱い自分のコーヒーを静かに飲んだ。居場所がないという感じだった。
「どうしたの?話しがあるって」
「実は今日・・、あの」
おどおどした桜の口調が重かった。二人は直感で隼人のことだろうと思った。
「虎二さんの店で、お姉ちゃんにそっくりな人を見たんです」
二人は拍子抜けた。思いも寄らない内容だったからだ。それに、心音に似ている人ならたくさんいる。瞳も巧も心音にどこか似ている女性は今まで何人か見かけた。
「桜、心音に似てるぐらいの子ならたくさんいるって」
瞳はあやすように言った。桜が思いつめた顔をしていることが、反対にひっかかった。
「違います。本当に何もかもそっくりなんです。私びっくりしちゃって。その場にたちすくんじゃって。それぐらい全部一緒で」
二人はますます実感がわかなかった。会っていれば別だが、見ていなければ、どれほど似ていると言われてもわからない。
「まさか名前まで一緒だったとか言わないでよ」
桜には小説のことは話していない。瞳はおそるおそる尋ねてみた。
「名前は違いました。南詩音さんっていう名前です。作詞の詩に、お姉ちゃんと一緒の音。けど、年も誕生日も一緒なんですよ。名前も一緒だったら、間違いなくお姉ちゃんで」
二人は、南という名前の方に敏感に反応した。小説を書いた人物と同じ苗字だと。
それに、名前もなんとなく心音に似ている。だが、話をこれ以上複雑にしたくはなかった。
「でも名前が違うから、やっぱり別人だよ。当たり前だけど」
「そうですけど。あまりにも似すぎてて」
瞳は、桜がそんな話を、どうして自分たちにしたのかわからなかった。写真を持っていたら信じてやれたかも知れないが、話だけでは限界がある。
「まぁ、もし見る機会あったら俺らも見とくよ。虎さんの店は結構行くから。隼人は連れていかんようにしないとな」
巧は早く話を終わらせようとした。心音の思い出は大事だ。
しかし、現実に、さも存在しているかのような話しはもうこりごりだった。
ここは現実だ。
「はい。隼人さんが見たら混乱すると思うから。虎二さんと梅子さんもそう思って言ってないそうです」
「そっか。梅子さんの配慮だろうね」
思慮深く、物事の筋を正しく見極める梅子の行動だと、瞳はすぐに理解した。しかし、梅子がそうするぐらい似ているという裏返しでもある。
向こう見ずな虎二なら、我慢できなかったはずだ。
「そのことは別として、桜ちゃん、隼人に気持ち伝えようとは思わない?」
「えっ?」
桜は巧の唐突な質問に、少し驚いた。瞳は桜の表情をじっと見ていた。
「恋愛はタイミングのような気がして。もし隼人のこと本当に好きなら、俺は気持ちは今のうちに伝えててもいいんじゃないかなと思うんだけど」
巧は真剣な表情でそう言った。瞳は、巧の言葉の意味が理解できないという表情をしていた。
「隼人はなんだかんだゆってもやっぱこの先ずっと心音ちゃんのことをひきずると思う。五年っていう時間が長いとか短いとかは別にして、あんなことがあったら無理もないと思うし。けど、いつか誰かとまた恋に落ちる可能性だってあるわけだし。桜ちゃんが覚悟あるんなら、俺らも応援するから」
心音が亡くなってから、巧は隼人が心の底から笑っている姿を見なくなった。
一緒に何処かに行っても、心ここにあらずという感じだった。
そんな隼人を少しでも変えたいと思っていた。
「心音を裏切ることになるとかは感じなくていいよ。あの子はそんなこと絶対気にしないし、そう願ってるかもしれないって前向きに考えよう」
瞳も優しく声をかけた。
「裏切るとかじゃなくて、私はお姉ちゃん以上の存在になれるのかが不安なんです」
隼人が心音に対して、まだどれほどの気持ちがあるかは、十分にわかっていた。
自分の方を向いてもらうために何ができるか、桜にはまだわからなかった。
「桜ちゃん、ひとつ聞いてもいい?」
「はい」
「隼人のどこが好き?」
巧は以前から気になっていたことを聞いた。
桜は返答に迷った。隼人を好きな気持ちを表現する言葉がなかった。
「すごく投げやりに聞こえるかもしれないけど、全部です」
「そうだよね。心音とつきあってる時からだもんね」
「言い方悪いし、俺の勝手な考えなんだけど、心音ちゃんを失った隼人に同情している部分と、なんていうか、心音ちゃんに同じ女性として勝ちたいだけじゃないかな。それで隼人のことが好き」
桜の顔が曇った。思うところがあったのか、それとも的を得たのか、黙ってしまった。
「それじゃあ駄目ですか?」
しばらくしてから、桜はふっきれたように言った。
「否定はしないよ。恋愛に良いとか悪いとかないと思うし、それでいいと思う。でもそれならしっかり気持ちを伝えないと」
「でもどうしたらいいか」
「そんなの気にしたら何もできなくなるって。戦う前から心音ちゃんに負けてるよ。きつい言い方かもしれないけど、何もせずに隼人が桜ちゃんのこと好きになることはないよ」
巧は吐き出すように言った。
桜に言い寄ってくる男性は多い。いや、多すぎた。桜はそれに馴れすぎて、自分から行動を起こそうとしない。心音と決定的に違うところがある。
黙っていても隼人は、他の男性と一緒で、いつか自分の気持ちに気づいてくれる。
最初のアクションは隼人が起こしてくれるとそう信じているように巧には見えた。
「もう一回、自分の気持ちに正直になって考えてみます」
心音とそっくりな女性の話から、まさか隼人への気持ちの話になるとは思ってもなかったが、桜は覚悟を決めた。
巧の家をでた時、少しだけ自分がとるべき行動の決意ができたと感じた。




