Ⅰ
極上のベルベットのドレスに、冷たく湿った石膏の粉がこびりついていく。
ほんの刻前まで、私は絢爛豪華なシャンデリアの光の下で、煌びやかなシャンパンの泡を眺めていたはずだった。だが今、私の視界を支配しているのは、目も眩むような暗闇と、わずかに鼻をつくカビと泥の匂い、そして——耳を刺すような、あまりにも見苦しい男の喚き声だった。
「だ、誰かおらんのか! おのれ、余を誰だと心得る! 余こそアウレリアヌス王国の第一王子、カシウス・ルシウス・アウレリアヌスなるぞ! このような不敬、ただで済むと思うなよ! おい、聞こえているのか、悪魔めが!」
狭く、深く、果てのない井戸の底のような石造りの監禁部屋。
見上げれば、遥か高みにコインほどの大きさの円形が切り取られており、そこから薄ぼんやりとした月光らしき光が落ちてきている。壁面は滑らかな石で覆われており、足場になりそうな突起は一切存在しない。垂直に伸びるその暗黒の筒は、あたかも私たちを閉じ込めるために設計された死の檻のようだった。
「……静かにしていただけませんか、カシウス様。頭に響きます」
私がひんやりとした石の壁に背を預けたまま、静かに言葉を投げかけると、カシウス王子は血走った目をこちらに向けた。仕立ての良い漆黒のタキシードは見る影もなく汚れ、自慢の金髪は汗と埃で額にべっとりと張り付いている。
「なんだと……!? アウレリア、お前、その態度はなんだ! だいたい、こうなったのも元はと言えばお前のせいではないか! お前が夜会で可愛げもなくすまし顔をしているから、あの異形の化け物が余たちの隙を突いて現れたのだ! 婚約者でありながら余を立てようともせず、ただ冷ややかに立ち尽くしていたお前の陰気な性格が、あの悪魔を引き寄せたに決まっている!」
驚くべき論理の飛躍である。私は心の中で深々と溜息をついた。
これほどまでに支離滅裂な責任転嫁を、恥ずかしげもなく口にできる人間がこの世に存在するのだから、事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。
「そうですよぉ、アウレリア様……! カシウス様のおっしゃる通りですわ! わたくし、昔からアウレリア様の周りにはどこか不吉な空気が漂っていると思っておりましたの。カシウス様がこうして危険な目に遭われているというのに、どうしてそんなに平静でいられるのですか? まさか……アウレリア様、あの悪魔と通じているのでは……?」
カシウスの傍らにぴったりと身を寄せ、その太い腕にしがみついているのは、リヴィア・クラウディア伯爵令嬢だった。
ピンクゴールドの髪をなびかせ、うるんだ瞳でカシウスを見上げる彼女は、近頃カシウスが夢中になっている「新しい婚約者候補」だ。庇護欲をそそる小柄な体躯と、男の自尊心を過剰に刺激するあざとい振る舞い。彼女は夜会でも、私のすぐ目の前でカシウスの腕に胸を押し付け、公爵令嬢である私を暗に挑発し続けていた。
「通じている? 私がですか、リヴィア様? だとしたら、私はもっとマシな場所へ自分だけを転送させておりますわ。こんな湿気とカビ臭さに満ちた穴ぐらに、あなた方のお守りをするために好き好んで留まるわけがないでしょう」
「ヒッ……! 見なさいカシウス様! アウレリア様ったら、わたくしを睨みつけて……! 怖いですわ、カシウス様ぁ……!」
「ええい、すがるなリヴィア、いや、良いぞ、余が守ってやるからな! アウレリア! お前はどこまで心が荒んでいるのだ! リヴィアのような可憐で繊細な女性を脅して何が楽しい! これだからお前との婚約など破棄したかったのだ!」
暗闇の中で繰り広げられる、惨めで滑稽な小劇。
私は溢れ出そうになる嘲笑を必死に押し殺し、手袋についた埃を優雅に払い落とした。
この狭い円形空間には、私たちを含めて四人の人間が囚われている。
円を描くように石床に座り込んでいるその配置は、まるで悪魔が用意した意地の悪いチェス盤のようだった。
私——アウレリア・ヴァレリウス公爵令嬢。
私の婚約者であり、口だけは達者な無能の王子、カシウス。
カシウスの愛妾気取りで、あざとい演技を絶やさないリヴィア。
そしてもう一人。
「……ひ、ヒィっ……申し訳ありません、申し訳ありませんカシウス様……! 僕が……僕がもっと頼りになる騎士であれば、このような事態には……! ううっ、どうしよう、ここはどこなんだ……僕たち、ここで死んでしまうんでしょうか……!」
膝を抱えてガタガタと震えているのは、フェリクス・セルウィリウスだ。
カシウスの雑用係兼従士として、日頃から虫ケラのように扱われている気弱な青年騎士である。可憐と言っても差し支えない整った顔立ちをしているが、あまりの気弱さに騎士団ではいつも嘲笑の対象となっていた。今も恐怖のあまり涙目になり、私たちが着ている正装の残骸よりもさらに惨めな格好で縮こまっている。
「うるさいぞフェリクス! 役立たずの雑用係が泣き言を抜かすな! 貴様が剣を抜くのがあと一瞬早ければ、あの悪魔を追い払えたかもしれんのだぞ! 貴様もアウレリアと同罪だ! 帰還したらただちに騎士の任を解き、地下牢にぶち込んでやるからな!」
カシウスが怒鳴り散らす。フェリクスは「ひいっ」と短い悲鳴を上げて首をすくめた。
何という醜悪さだろう。
この男は、自分自身の愚行が招いた結末だということを、完全に脳から抹消しているらしい。
ほんの一時間前。王城の絢爛たる大広間で催されていた夜会。
突如として空間が亀裂を生み、漆黒の炎と共に現れた異形の存在——「悪魔」。
場が恐怖と悲鳴に包まれる中、もしカシウスが静かに避難に備えるか、あるいは私や護衛の指示に従って後退していれば、事態は違ったかもしれない。
しかし、酒が入っていたカシウスは、己の権威を示そうと前に躍り出たのだ。
『無礼者! 余を誰と心得ている! 下賤な異形め、余の足元に平伏せよ! さもなければ我が王国の騎士団が貴様を細切れにしてくれるぞ!』
怯えを隠すために振りかざした、あまりにも浅薄な威嚇。
悪魔は、まるで珍しい虫でも見るかのような冷ややかな目でカシウスを見下ろすと、くつくつと喉を鳴らして笑った。
『……貴様にふさわしい檻を用意してやろう』
悪魔が長い指を鳴らした瞬間、私たちの足元の床が消失した。
そして落ちた先が、この底の抜けた井戸のような暗闇だったのだ。
悪魔は私たちを殺さなかった。
ただ、この狭い空間に閉じ込めた。それも、口だけ達者な王子、その男に媚びる女、怯えるだけの騎士、そして私という、最悪の四角形を作り出して。
カシウスは気づいていない。ここが単なる監禁場所ではなく、人間を内側から崩壊させるための「実験場」であることに。
そして、彼がどれほど致命的な「悪手」を指し続けているかということに。
カシウスの愚痴と怒号は、それから三十分以上も続いた。
「腹が減った」「喉が渇いた」「冷気が皮膚に障る」「アウレリア、お前のドレスの布地を破って余の座布団にしろ」等々、留まることを知らない我がままの連続。リヴィアはその度に「まあ、カシウス様かわいそう」「アウレリア様、少しはカシウス様を気遣われたらどうですの?」と煽り立てる。
フェリクスはただただ「すみません、すみません」と謝罪を繰り返すばかり。
私はそれらをすべて雑音として処理し、観察に徹していた。
井戸の直径はおおよそ四メートル。四人が円を描くように座れば、互いの息遣いどころか、体温すら感じられる距離だ。逃げ場はない。
壁は極めて冷たく、湿気を含んでいる。上空の穴からかすかに差し込む光を見る限り、現在は夜。
そして——時間は刻一刻と経過している。
極限状態において、人間が最初に失うのは理性のメッキだ。
カシウスのメッキは最初から剥がれていたようなものだが、リヴィアのあざとさも、いつまで維持できるか見ものだった。
その時だった。
遥か上空の穴から、冷たい風が吹き下りてきた。
同時に、何か硬質なものが落ちてくる音が響く。
「な、なんだ!? 上から何か降ってくるぞ!」




