第七十二話 港に灯る新しい日
1.戦いの翌朝
影の渦が消えてから、一夜が明けた。
港はまるで大嵐を受けた後のように荒れていたが、不思議と船も倉庫も致命的な損傷はなかった。まるで「守られた」かのように最低限の被害で済んでいたのだ。
私は瓦礫の片づけに追われる人々の中を歩きながら、深く息を吸った。
潮の香りが鼻腔に広がる。昨夜の黒霧に覆われていた時には決して感じられなかった、清々しい朝の匂いだった。
「大家さーん! そっちは大丈夫かい?」
漁師のドランが声をかけてきた。網を肩に担ぎ、額の汗を拭っている。
「ああ。住人たちも無事だ。……倉庫の荷は?」
「奇跡みてぇに残ってるよ。おかげで今日も市場を開けそうだ」
ドランは笑みを浮かべ、心から安堵しているようだった。
2.心の布の後日談
広場に戻ると、例の「心の布」が掲げられていた。
戦いの最中に人々の願いを集め、光を放った布。縫い目は確かに荒れているのに、そこから柔らかな光がまだ漏れていた。
マリエが布の前で針を動かしていた。
「ほつれたところを、直してるんです」
彼女は疲れた顔をしていたが、その瞳は輝いていた。
「縫えば縫うほど、昨日の光を思い出すんです。だから……これからも使えるように」
私は頷いた。
「町の守りの象徴になるな。旗と並んで、この布も」
近くにいた子どもたちが布に触れ、「ぼくのお父ちゃん、無事でよかった」と笑っていた。
――それを見た瞬間、私は胸の奥から込み上げてくるものを押さえきれなかった。
3.復興の始まり
昼になると、市場が再び開かれた。
干物、香辛料、布地、酒――商品が並び、商人たちが声を張り上げる。
「昨夜は怖かったが、今日も商いは続けるぞ!」
「港がある限り、町は生きる!」
買い物に訪れた人々も笑顔を取り戻していた。
リオは荷運びを手伝いながら、「戦ったあとにこうやって汗を流すのも悪くねえな」と笑っていた。
リナは見回りを続けていたが、ふと足を止め、広場の光景を見て微笑んだ。
「人の力とは……脆くも、こうして立ち直る強さを持っている」
私は二人に声をかけた。
「復興は始まったばかりだ。これからが大家の出番だぞ」
リオは大声で笑い、リナは小さく頷いた。
4.幽霊少女の小さな願い
夕暮れ時、幽霊少女が私の袖を引っ張った。
「ねえ、大家さん。わたしも……お祭り、してみたい」
「祭り?」
「うん。戦いが終わったら、みんなで踊ったり、歌ったりするんでしょ? わたし、そういうの見たことなくて」
私はしばらく考え、笑った。
「いいじゃないか。じゃあ明日から準備しよう。町のみんなで」
少女の目が丸くなり、ぱっと花が咲いたように笑顔になった。
「やった!」
その声を聞きつけた子どもたちが「お祭りだって!」と広場を走り回った。
港の再建だけでなく、心を癒す時間も必要だ。祭りはその象徴になるだろう。
5.灯火の誓い
夜。港の灯台の上に登り、私は海を眺めた。
リナとリオ、マリエ、幽霊少女も隣に並んでいる。
「黒霧は消えた。でも影はまた現れるかもしれん」
私は真剣な口調で言った。
リオが拳を握る。
「そんときゃまたぶっ飛ばすだけだ!」
リナは静かに首を振った。
「大切なのは、人の心の裂け目を放置しないことだ。欲も恐れも、影を呼ぶから」
マリエは布を抱きしめ、力強く言った。
「だからわたし、これからも縫い続けます」
幽霊少女は小さな声で付け足した。
「わたしも……ここで笑ってる」
私は皆を見渡し、深く頷いた。
「よし。この港は、もう裂けない。俺たちがいる限り」
その言葉に、遠くの海面から反射した月光が灯台を包み、まるで誓いを祝福しているかのように輝いた。
6.新しい日
翌朝、港の鐘が高らかに鳴った。
「新しい日だ!」
人々が声を上げ、市場に笑い声が満ちていく。
昨日まで黒霧に覆われていた町が、今は希望の光に満ちていた。
私は胸を張り、心の中でそっと呟いた。
――大家として、この町をこれからも繕い続けよう。




