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刀を鞘に戻した仁は居合の構えで目を瞑る。仁の練度はまだまだ低い、瞬間的に通常時と異能使用時の意識を切り替えることはできない。
実戦では隙となる弱点であるが、この吸血姫は動かないとわかっていた。彼女の欲望は強者との戦い、――戦闘狂の気があるのだから。
「剣聖の抜刀術も懐かしい。中華大陸の魔法大戦では当代の剣聖に腕一本持って逝かれたわ。雪辱なんぞ小さき事、言うつもりはないが……、負けっぱなしは吸血姫の矜持に反するのでな!」
吸血姫は斬られたはずの腕で握る槍を手放さず、愉快そうに話す。再生できる腕一本で剣聖の妙技が見れたのなら安い買い物だ、彼女は本気でそう思っている。
「抜刀術――か。どうやら御剣の剣はよく知らないらしいな」
異能を完全に起こした仁は目を開く。
さきほどまで周囲に満ちる帝のマナしか感じ取れなかったが、今は目の前に立つ吸血姫の小さなマナも感じ取れるほどまでに研ぎ澄まされている。
彼女は軽く手首だけで槍を回し、投擲の構えを取る。
「うむ、気付いた時には陛下に抱えられて撤退しておったわ。故に楽しみで仕方なかったのだ、幼いとはいえ再び剣聖との戦いの場が与えられたことがなっ」
柄を掴んだまま動きの無い仁に向かって、吸血姫は槍を全力で投げる――動作のまま動きを止めた。
「――御剣流魔法技『無刀取り』」
この技は仁にとって賭けにも近い手段であった。なぜならそれは実戦で初めて使う技だからである。
「やはりか、なぜ……余の動きが途中で止まる」
吸血姫は仁との接近戦を警戒して、遠距離からの攻撃で様子を見ていた。その彼女の元に仁が迫る。
「吸血姫なら簡単には死なねえよな」
「ふんっ、当てられたら褒美のひとつでも与えてやろう」
仁の刀と吸血姫の槍がぶつかる。火花と血涙を飛び散らせながら、膂力に劣る仁がはじき返された。
すでに間合いは槍ではなく刀が有利。瞬時に武器を作り直すことにした吸血姫は、出したままの槍を弾き飛ばした仁に撃ちだす。
「やっぱ槍以外も使えたか」
「斧でも鞭でも――お望みなら三節棍で相手してやろうか?」
そう言いながら迫る吸血姫が振るったのは新たに作りだした剣ではなく、掌底だ。
「あの不可思議な技は想定外の動きには使えんようだな」
この吸血姫が剣聖と戦うのは二度目、さらに見切るつもりでじっくりと観察されていたのだ。
もう自分の未熟な無刀取りを使っても効果は薄いかもしれない。
「ちっ、これだから経験豊富な年寄りは戦い難いんだよ」
「『お姉さん』だ、バカモノ!」
紅い剣を振るう吸血鬼の動きを止め、仁が斬りかかる。しかし、彼女の顔を見てそれが失敗だと気付いたのは遅かった。
「貰った――やばっ」
「戯け、そんな見え透いた挑発が効くか」
プライドの高い吸血姫なら煽れば動くと思ったが、騙されたのは仁のほうだった。
仁のさらに内側に入り込んだ吸血姫は彼の腕を握って、力任せに背負い投げの要領で放り投げる。
「EO2B!――うぐっ。柔道の真似事ができる吸血鬼ってなんだ。もう少しイメージを守ったらどうだ」
WSDには緊急時、とっさに展開できるよう設定された魔術がある。特に多いのが銃による奇襲を防ぐためのシールドと、衝撃を耐えるための風の手である。
その魔術で衝撃を殺しながら、地面に着地する仁に吸血姫の追撃はない。
「ははは、私の趣味はオリンピックの観戦でな。今時の吸血鬼はビール片手にスポーツ観戦くらいすっ……」
「――?」
小さく呟いた「これは聞かなかったことに」と言い訳する相手は此処には居ない誰かである。オフの中年みたいなプライベートを知られるのが恥ずかしかった相手なのだろう。
「お主が気にすることではない。――その手品だが、その正体は魔眼殺しの技であろう?」
「――やっぱりバレてたか」
若干耳の先が赤い気がするが、吸血姫は何もなかったようにキリっとした表情で無刀取りの正体を明かす。
「マナに偽りの情報を入力して、魔眼に誤認――あるいは誤作動を起こさせる。剣聖の癖に随分嫌らしい搦め手よ。お主らの世界を正しく認識する能力が無ければ、違和感を消せず成功させるのは困難であろう」
人は椅子に座った状態で、額を指で押さえられるだけで立ち上がれない。これは重心移動ができなくなるからであるが、無刀取りも同じだ。
魔法師の脳にある、魔法器官に現実とは違う情報を誤認させることによって動きを妨害していたのだ。
「一つ解せんのは……一体どうやってそのマナを余に放っている。お主のマナを受けた覚えはないぞ」
仁のWSDは両腕の腕輪型しかないのは戦闘の間に確信した。刀の方は今渡されたばかりでそんな小細工に使えるとは思えない。
最後のピースが見つからない事を吸血姫はいたく気になるらしく、なんとしても暴いて見せるとやる気になっている。
「さて、どうやってだろうな」
正面から騙すのが難しいなら囮にするだけだ。
仁はWSDに目隠しに使う魔術を発動させる。使うのは突風、土埃を巻き起こして物理的に視界を潰すつもりであった。
吸血姫と仁の戦いは、庭の地肌を露出させ土埃を巻き上げるのに丁度いい状態なのだ。
「若い癖に嫌らしい戦いをするのだな」
「あなた程ではありませんが――、これでも平凡な人生を送ってないのですよ。それに『思考こそ魔法師にとって最大の武器』というのが御剣の家訓なもんで」
徐々に視界を奪われていく戦場に吸血姫も当然、仁の狙いがわからないはずがない。
力任せに目隠しを吹き飛ばすこともできるが、主人と同格の御所を大きく破壊する選択肢は彼女にもない。だからこそ仁は煙幕を使ったのだ。
(ふむ――、風で嗅覚も聴覚も頼りにならず、反応が増えたり消えたり。隙を見せても……乗ってこないか)
口を開けずに吸血姫は「おもしろい」と目をギラギラ輝かせる。
(しかし、それは悪手であろう。お主にはその『無銘の刀』で戦うしか選択肢はない。まだまだ若い剣聖であるお主の魔術で、余にダメージを与えられるほどの技量もなかろう)
背後に槍を浮かべ鳴子代わりにして仁の動きを待つ吸血姫。長く生きてきた彼女を焦らしたところで精神的な有利は取れない、視界が晴れる前に仁は必ず動く。
「――そこかっ」
無銘の刀が発するマナとその輝きは土煙のなかでも良く目立つ。
(そうか――、お主が余にマナを放っておったか。天上殿の与えた刀よ! けれどその光を隠せると思うなよ)
最初に見た時から光を放ち、マナを波打つ姿を見ている。だからこそ、彼女はそれが自然だと意識から外していた。。
仁はそんな刀に自身のマナを混ぜて無刀取りを行っていた。
吸血姫は自身を上手く騙した若者を胸内で称賛しながら剣を振り、仁がいるであろう位置の煙を散らす。――しかし、そこにあったのは青年の驚く姿ではなく刀が宙に浮いているだけであった。
「馬鹿な――武器を手放したのか」
一人残された刀を確保した吸血姫は、それが確かにさっきまで青年が持っていた物だと確認する。
――カン。
鳴子代わりに置いていた槍が何かにぶつかり吹き飛んでいく音がする。
「来たか!」
振り返る吸血姫が見たのは仁が『仕込み杖』を振り下ろす姿。
(最初に地面へ突き刺した自前の武器か――!)
周囲に浮かぶ紅の槍を仁に向け、彼女は片腕を犠牲にするつもりで迫る刀を防ごうとした。
「――そこまでだ」
剣聖と吸血姫が決着をつけようとした時、二人は乱暴に止められる。
吸血姫が使う槍よりも禍々しい、紅蓮の槍が地面に突き刺さる衝撃で何もかも吹き飛ばすという形で。
それを投げたのはティスに似た銀髪の女であった。




