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天風の剣  作者: 吉岡果音
第八章 魔導師たちの国
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第89話 日の光のぬくもりと夜の冷たさ

「なんだかこの辺、居心地悪ーい」


 上空を飛んでいたシトリンだったが、白の塔を目前にしてその動きを止める。


「シトリン様……。なにか、妙な感じがします」


 シトリンの右脇を飛んでいた(みどり)もその場に止まり、かすかに顔をしかめていた。


「まあ、どうということもないのですが、なにか――、方向感覚を狂わせられるような奇妙な――」


 左脇を飛んでいた蒼井も空中で静止し、不快ななにかを感じているようで、それを振り払うように首を振っていた。

 彼らがまったく近寄れないということはないようだった。しかし、あきらかにこれ以上の侵入を阻むなにかが感じられた。


「……おそらく、特殊な石の波動、それとなにかの術で護り固められているのでしょう」


 (みどり)が分析する。


「たぶん、普通の魔の者なら、これ以上は近寄れないでしょう」


「目くらましのようになっていて、この地を発見することすらできないかもしれません」

 

 蒼井が(みどり)の言葉に続けた。


「私はもっと近くまで行ってみるけど、(みどり)と蒼井はこの辺で待ってる?」


 気分の悪そうな(みどり)と蒼井の顔を見て、シトリンが提案した。


「まさか! シトリン様だけなどと、そのような……!」


 びゅんっ……!


「あっ……! シトリン様……!」


 (みどり)と蒼井の返事を待たずに、シトリンは白の塔目がけて急降下していった。


 ばん!


「痛―い!」


 シトリンは、見えない壁に勢いよく鼻の頭をぶつけていた。


「なにこれー? 結界―?」


 手で触れる。塔の周りを囲むように、見えない壁がある。


「まー、解けるけどー」


 人間の作った結界を解くことは、四天王であるシトリンにとってそう難しいことではなかった。




「あれは……? もしや……!」


 一人薄暗い部屋の机に向かっていたヴィーリヤミは、強い異質な気配を察知し、思わず窓辺に駆け寄った。


「四天王……!」


 塔からさほど離れていない空に、四枚の翼を持つ小さな影を見つけた。


「実物は――、初めて見る……!」


 ヴィーリヤミの薄い唇に笑みが浮かぶ。

 ヴィーリヤミは窓に手を突き、食い入るように空を見つめ続けた。

 エリアール国の名だたる魔導師たちがこの塔に集う。ヴィーリヤミのように、雇われてここに居住する者も数多い。

 しかし、とヴィーリヤミは思う。


「あの四天王に気付く者が、私以外にいるかどうか――」


 四天王の脇には、その従者らしき二体の姿も認められた。

 ヴィーリヤミは低い声で呟く。


「結界が破られるのは、時間の問題だな」


 四天王たちの動きを眺め、ヴィーリヤミはかすかな笑い声を立てた。


「それにしても……! あの小さな四天王の動きの滑稽なこと……!」


 せわしなくて思い切りが良くて、まるで子どものような動きだ、そう感じた。


「なるほど――。まだ幼いから、オリヴィアに興味を持ったのかな……?」


 顎に手を当て、くっ、くっ、と笑う。


「オリヴィアから私へ、あの子どもの関心を移すことは可能だろうか……?」


 暗闇のような空気をまとうヴィーリヤミ。闇の中へとうっかり踏み込まないように本能が警鐘を鳴らすのか、人々はヴィーリヤミから目をそらす。しかしなぜか――未知なもの、不思議なものへの好奇心、怖いもの見たさであろうか――、ヴィーリヤミは子どもに好かれることは多かった。

 人間の子と魔の者の子、確実に自分と親和性が高いのは魔の者だろうとヴィーリヤミは考える。


「あれを――。あの四天王の子どもを、私が使役することができれば――」


 一点を見つめながら、笑う。吊り上がった唇、赤い舌の向こうに、闇が広がっていた。

 ぱちん、と音がした気がした。

 空の結界が、解かれていた。三つの影が、近付いて来る。

 ヴィーリヤミは、なにかを掴むように手のひらを握りしめた。そして、恍惚の表情を浮かべた。


 バン!


 勢いよく、扉が開いた。ヴィーリヤミは、ゆっくりと扉のほうへ首を回す。


「ヴィーリヤミ! 今からケネト様とご一緒に、城へ向かうぞ!」


 僧衣の男とケネト様と呼ばれる男が、扉の向こうにいた。




 白の塔が、オレンジ色の日差しに染まる。


「キアラン……! 元気そうで本当によかった……!」


「テオドル! あなたこそ……!」


 塔の前で、テオドルとキアランは、固い握手を交わし、それから互いの肩や腕を叩いて再会の喜びを噛みしめていた。


 本当に、よかった……!


 オリヴィアはテオドルに笑顔で帰還の挨拶をし、ライネとアマリアも、それぞれテオドルと無事を喜び合った。


「あれ? オリヴィア様、その子は……?」


 テオドルが、キアランの隣に立つ大きな板を背負った少年――吊り橋の板を背負っている花紺青(はなこんじょう)――の姿に目を留め、思わず尋ねていた。


「彼は、道中で出会った魔導師です。まだ少年ですが、大変な才能の持ち主で――、危ないところを彼に助けてもらったのです」


「そうなのですか! それはそれは――」


 テオドルはなんの疑いも持たず、顔を輝かせ、花紺青(はなこんじょう)に深く頭を下げた。

 オリヴィアに褒められ、テオドルに深い敬意と謝意を持って迎え入れられた花紺青(はなこんじょう)は思わず、


「大したことないよ」


 大いに胸を張っていた。

 その場には、キアランたちとテオドル以外にも、塔を守衛する者たちなどが数名いたが、誰一人花紺青(はなこんじょう)が人間ではないことに気付かない様子だった。


「さあ、皆さんのいる部屋へご案内いたします。ルーイ君たちがお待ちかねですよ」


 テオドルがそこまで話し、中へ案内しようと背を向けたそのとき――。


「キアラン!」


 塔の扉が勢いよく開き、弾けるような笑顔が現れた。

 ルーイだった。

 キアランたち皆の顔に、たちまち笑顔が広がる。


「よかったーっ」


 元気いっぱいの声と共に、ルーイがキアランの胸に飛び込んでいた。


 ルーイ……!


 キアランは、ルーイをぎゅっと抱きしめた。

 懐かしい声、懐かしいぬくもり――、キアランはそれらが夢などではないことを、しっかりと確かめていた。


「ルーイ……! 元気だったか……!」


 キアランは、ルーイの青い瞳を見つめる。ルーイの澄んだ大きな瞳が、みるみるうちに涙でいっぱいになってきた。


「うんっ! キアラン、僕は大丈夫……! キアランのこと、ほんと心配してたんだよー」


 一瞬前まで笑顔だったルーイが、顔をくしゃくしゃにして、今度は泣いていた。


「アマリアさんも、ライネも、オリヴィアさんも、フェリックスもラジャも、みんなみんな無事でよかったー!」


 あれ、とルーイも花紺青(はなこんじょう)のところで視線が止まる。


「僕、ルーイ……。君は……?」


「僕、花紺青(はなこんじょう)!」


 花紺青(はなこんじょう)はニッと笑う。よろしくね、と元気いっぱいの挨拶を付け足しつつ。


「こちらこそ、よろしくっ」


 ふたりはとても仲良しになれそうだな、キアランはルーイと花紺青(はなこんじょう)を交互に眺め、目を細めた。

 ルーイがキアランのほうに向き直り、あのね、と声を弾ませた。 


「キアランたちの顔を早く見たくて、待ちきれなくて、勝手に部屋を飛び出しちゃったんだ! 今度は早くダンさんたちにも顔を見せてあげて!」


 ルーイはキアランの袖を引っ張る。

 ルーイに引っ張られつつ、キアランはふと、アマリアにも笑顔を向ける。

 キアランは、アマリアと、そしてその向こうにいたライネとオリヴィアが、まったく同じ方向、植え込みに視線を向けていることに気付いた。

 キアランもアマリアたちの視線の向こうを見る。


「あ」


 きれいに整えられた緑の植え込みの中に、小さな笑顔を見つけた。


『しーっ』


 寝そべりながら、小さな指を唇に当て、ウインクする女の子。

 四枚の漆黒の翼を隠したシトリンがそこにいた。


 やはり先に来ていたのか。


 キアランは、シトリンにそっと笑顔を返し、それから視線を外して前を向いたアマリアとライネとオリヴィアにならって、気付かないふりをした。花紺青(はなこんじょう)もシトリンに気付いている様子だったが、全力で気付かないふりをしているようだ。

 日が落ちていく。

 それは、日の光のぬくもりと夜の冷たさ、どちらも静かに内包した時間――。

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