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天風の剣  作者: 吉岡果音
第七章 襲撃
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第81話 野草スープ

 つむじ風のように、走る。

 

 ガッ! ガッ! ガッ!


 天風の剣が、火花を散らす。

 風を切り、襲いかかる腕をキアランは飛びのきかわす。

 天風の剣を弾く、非常に頑丈で鋭い爪。

 しかしそれは――、細い腕だった。

 躍動するのは小さな体。しかし、見た目とは違い、他の魔の者に比べてもその破壊力は決して引けを取らない。

 勢いよく風を生むふたつの影。ひとつはキアラン、そしてもうひとつは――。


花紺青(はなこんじょう)君! キアランさん!」


 アマリアがふたりの名を呼ぶ。影は、動きを止めた。


「アマリアさん――」


 キアランは振り向き、息を整えた。

 戦っていたのは、花紺青(はなこんじょう)とキアランだった。

 アマリアが、ふたたび声をかける。


「ふたりとも、あまり無理をしないで。もう食事にしましょう」


「食事? やったーっ」


 花紺青(はなこんじょう)が、笑顔で歓声を上げた。

 日が落ちていた。たき火をかこみ、座る。

 アマリアとキアラン、そして彼らを乗せるフェリックス、それから花紺青(はなこんじょう)は、エリアール国へ向かい移動し続けていた。

 花紺青(はなこんじょう)とキアランは、移動、そして食事と睡眠以外の時間、折を見ては互いの力をぶつけ合っていた。

 

「今までとやはり、全然違う。力も、スピードも」


 キアランは、アマリアが作った野草のスープ、それから町で調達した保存のきくパンを口にしながら、しみじみと呟く。

 花紺青(はなこんじょう)と手合わせのような戦いをするごとに、キアランの感覚は確かなものになっていった。


 私は、格段に強くなっている……!


「当たり前だよ! 常盤(ときわ)のエネルギー調整はすごいんだから!」


 花紺青(はなこんじょう)は、町で買ってもらった干し肉とチーズを交互に頬張りながら叫んだ。食べられないことはないが、野草はあまり彼の好みではないらしい。


常盤(ときわ)――」


 キアランは、食事の手を止めた。魔の者の魂は、大地に還るという。キアランは、そっと瞳を閉じた。すると、白い花の木の下、風に揺れる緑の草の上で微笑む、少女の姿が浮かんだ。彼女の魂が、安らかであるよう、キアランは祈る。


「……キアラン。パン、好きじゃないの? それ、僕が食べようか?」


 花紺青(はなこんじょう)が、キアランの顔を覗き込む。


「パンが嫌いなわけじゃないっ」


「じゃあ、アマリアさんの野草スープ、やっぱりおいしくないんだー」


「えっ」


 花紺青(はなこんじょう)の言葉を聞いたアマリアは言葉に詰まり、それから、


「ごめんなさい。塩味が足りなかったかしら?」


 キアランと花紺青(はなこんじょう)の顔を交互に見、おろおろとしつつ、すまなそうに謝っていた。


「違う……! アマリアさんの手料理は、世界一……!」


 キアランが大慌てで叫びかけ、アマリアがキアランの直球の賛辞の言葉に目を丸くし、頬を染めた。

 花紺青(はなこんじょう)がぽつり、と呟く。


「嘘だよ。わかってる。キアラン、さっき、常盤(ときわ)のこと考えてたんでしょ?」


「え」


「でも、常盤(ときわ)は寿命だよ。むしろ、キアランのおかげで頑張れた。命の灯を灯し続けられたんだ」


 花紺青(はなこんじょう)は、揺れる炎に瞳を落とす。


「キアランの役に立つことができて、常盤(ときわ)は本当に嬉しかったんだと思う」


「しかし――」


 キアランには、深い自責の念があった。常盤(ときわ)があの力を使わなかったら、もっと長い時間を生きられたのだろうに、花紺青(はなこんじょう)と共に過ごせただろうに、そう思うといたたまれなかった。


「救うことで、常盤(ときわ)の魂は救われたんだ」


 花紺青(はなこんじょう)は顔を上げ、キアランの瞳をまっすぐ見た。

 花紺青(はなこんじょう)は、胸を張る。


常盤ときわのためにも、僕はキアランを鍛えるっ! 常盤(ときわ)が注ぎ込み、導いたエネルギーを、最っ高まで高める! だから、これからもビシビシいくよ! キアラン、ぼうっとしてないで、どんどん食って、体とエネルギーをもっと育てるんだっ!」


花紺青(はなこんじょう)――」


 キアランは、なにも言えなかった。ただ静かに、彼の瞳を見つめていた。

 野草スープの柔らかな湯気が、辺りを包んでいた。自然の優しい香りだった。

 キアランとアマリアは、花紺青(はなこんじょう)に笑顔を向ける。痛みと悲しみ、そして深い感謝を込めた笑みを――。

 花紺青(はなこんじょう)は残りの干し肉とチーズを口の中に放り込み、仕上げに自分の指をぺろっと舐めた。


「干し肉とチーズ、おかわりある?」


 花紺青(はなこんじょう)は、キアランが称するところの世界一の手料理よりも、自分の好物のおかわりを所望した。

 花紺青(はなこんじょう)が元気になれば、とふんだんに干し肉とチーズが彼の手に届けられる。


「気前、いいね!」


 花紺青(はなこんじょう)は、人懐っこい笑顔を見せた。

 キアランとアマリアは顔を見合わせ、笑った。

 栄養たっぷりだけど少し苦みのある、いわば大人の味の野草スープを食べてもらうのは、もっと後でいい、そう二人は考えていた。




「あれっ」


 カナフが、短く叫んだ。


「どうしたんですか? カナフさん」


 ライネが尋ねる。さすがのライネも、高次の存在であるカナフに対し、平常時はなんとなく敬語になっていた。

 

「……めちゃくちゃ手を振ってます」


 夜空を移動していた。カナフがライネを抱え、飛んでいた。

 カナフは、地上、眼下にいる存在に意識を向けていた。


「手を振る? やっと、みんなのところにたどりついたんですかっ?」


 ライネが明るい声を上げる。「めちゃくちゃ手を振る」というカナフの意外な言葉遣いに少々戸惑いつつ。


「みんな、といいますか……」


 カナフは言葉をにごす。


「おおーい! 遅かったねえ!」


 大きな黒い木々に視界を阻まれ、ライネにはそこにいるはずの全員の姿は見えなかった。

 だが、確かに約一名、めちゃくちゃ手を振っていた。それは――、シトリンだった。


「ふふっ。私たちのほうが、ずいぶん先に着いたよー!」


 防御の魔法を解いてもらったから、すぐみんなの居場所がわかったんだー、と、シトリンは明るく笑った。


「あれ……」


 カナフとライネは大地に降り立つ。改めて、ライネはその顔触れに疑問を持った。


「ルーイとフレヤさん、ニイロさん、それからダンさんとソフィアもいない……」


 その場にいたのは、シトリンと(みどり)と蒼井、それから巨大な白い虎に乗った魔導師オリヴィアだけだった。


「……もしかして、あの気配を察してのことですか?」


 カナフがシトリンたちを見回し、尋ねた。


「あの気配……?」


 なんのことかわからず、ライネがカナフの顔を見た。


「うん。変なのが、大きくなってきたからねえ」


 シトリンが、カナフに代わって答えた。


「変なの……?」


「邪悪な気配です」


 魔導師オリヴィアが、深刻な表情で呟く。


「えっ、えっ? なにか、あったんですか?」


 ライネには、なんのことかわからなかった。


「魔の者が、獣を率いているようです。群れは、少しずつ、集まってきていました。私も途中で気付いたのですが――」


 カナフが説明する。


「えっ……! 俺には、全然わからなかった……!」


 驚くライネに、魔導師オリヴィアがうなずく。


「それはそうです。高度な魔法を操ることができる人間でも、この距離から感知するのは不可能です。私も、シトリンさんから教えてもらわなければわかりませんでした」


 オリヴィアは、優しく微笑みながら正直に打ち明けていた。

 

「へええ……。魔導師なんてすごい肩書のあなたが、そ、そんな率直に……!」


 ライネにとって、オリヴィアの発言は意外だった。自分の能力に誇りを持っているであろう非常に高い地位の人物が、限界について自ら述べていることが驚きだったのだ。そして、ライネはライネらしく素直にその驚きを吐露していた。

 オリヴィアは、くすり、と笑う。


「肩書なんて、ただわかりやすいよう外側に貼られているだけです。私の本質とはあまり関係ありません」


 へえー、と感心したようにライネはオリヴィアの不思議な深い葡萄色をした瞳を見つめた。ライネの辞書に、遠慮という文字はなかった。

 感心している場合じゃない、ライネは急いで首を振った。


「それで! ルーイたちは? 他のみんなはどこに行ったんですかっ?」


「エリアール国へ向かっています」


「無事か……」

 

 膝に両手を置き、ふうー、とライネは安堵のため息をもらした。


「……そんな恐ろしい群れを、エリアール国へ入ることを許してはいけません」


 低く威厳のある声でオリヴィアは呟く。


「ルーイ君たちだけ先にエリアール国へ向かわせたのです。私たちは、群れの動きを止めるため、ここに留まったのです」


 オリヴィアの瞳には、覚悟と決意の強い光が宿っていた。


「私は、ほんとは四聖(よんせい)と一緒のほうがいいんだけどねえー。ルーイおにーちゃんたちに、どうしてもって、お願いされちゃうとねえー」


 どうやらルーイたち他の皆に、オリヴィアを守るよう懇願されたようだった。

 それから、シトリンは気付かないだろうが、シトリンたちは人間にとってあきらかに敵であり脅威である。少なくとも、魔導師オリヴィアと同行していなければ、シトリンの入国は大きな反発と混乱を招くことは、容易に想像できた。シトリンを四聖(よんせい)の護衛につかせなかったのは、そういう意味合いもあるのだろうとライネは思う。

 シトリンが口を尖らし、腕を後ろに組み不満そうに体を左右に大きく揺らす。


「でも、強いのと戦うのって楽しいしね! ルーイおにーちゃんが待ってるって言ってるし、フレヤおねーちゃんも後で髪を結ってあげるって言ってたし、ニイロのおじちゃんもいっぱい遊んであげるからって言ってたしね!」


 シトリンは、ぱん、と両手を打って気持ちを切り替え、ひとりで機嫌を直し、にっこりと笑った。

 シトリンの両脇に立つ(みどり)と蒼井は、まっすぐ遠くを見つめていた。

 彼らの口元には笑みが浮かんでいたが、しっかりと大地に立つ全身から、今にもあふれ出るような闘気が感じられる。


 いったい、どんな群れが来るというんだ……。


 雲の流れが速い。ライネは、汗ばむ手のひらを握りしめた。

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