第45話 一粒の木の実
テントに入ると、疲れが一気に襲ってきた。
ずっと気を張っていて、気付かなかったのだ。
治癒の魔法もかけてもらったが、朝食前に少し眠るよう皆に強く勧められ、キアランは横になることにした。
腰の剣を外して枕元に置こうとして、気付く。あるはずの剣、天風の剣がない。
ああ。そうか。アステールは、いないんだ。
胸が、強く締め付けられた。
アステール……。
自分と共に運命を切り開いてきた、天風の剣。星の光のように、独りの夜も寄り添い、進むべき道を静かに示してくれていた――。
必ず、迎えに行く――!
キアランは、右手を固く握りしめた。天風の剣を握る感触を思い浮かべながら。
気が付けば、キアランは剣を握りしめていた。これは、炎の剣だ。
「今は、いいから!」
キアランは、ぎょっとして炎の剣をしまうよう意識した。炎の剣は、すぐに手から消えた。
キアランは苦笑する。
すぐ現れて、めんどくさい。作ったやつにそっくりだ。
作ったやつ、とはシルガーである。
キアランは寝返りを打って横を向き、ふと考えを巡らす。
アステールを母に託したのは、カナフさんだったのだろうか……?
翼を持つひと、と育ての母は語っていた。
考えながらキアランが瞳を閉じると、脳裏に黒い影が浮かんできた。
夢か現実か、よくわからない。
黒い影には、四枚の翼があった。
四天王……!
キアランは息をのむ。
恐ろしい気配はなかった。それは、今見ている映像が、夢だからなのかもしれない、そうキアランは思う。
いや、違う……! 夢だから敵意を感じないのではない……!
すぐに違うと気が付いた。どこか懐かしい、そんな不思議な感覚があった。
四天王は、深い茶色の髪をして、キアランの右目と同じ金の瞳だった。
その四天王は、キアランより背が高かった。
キアランは、恐る恐る見上げる。物理的な大きさではなく、威厳に満ちた存在、そんな気がした。
『キアラン』
四天王が名を呼ぶ。
キアランの目の前には、あたたかな、包み込むような笑顔があった。
もしかして、これが……、父さん……?
隣には、女性が立っている。人間の、若い女性だ。
女性は、長く美しい黒髪で――、優しそうな顔と雰囲気が、どこか育ての母に似ていた。
もしかして……! 母さん……!
女性の柔らかであたたかい手が、キアランの頬を包む。
父さん……! 母さん……!
キアランの頬に、熱い涙が流れる。
会いたかった……! ずっと……!
しかし、覚えているのは、そこまでだった。
キアランは、泥のような眠りについていた。
だいぶ、寝てしまったらしい。
キアランは、夢の中だけでなく本当に泣いていたのだと気付き、自分の頬をごしごしと拭った。
体を起こし身支度を整えると、眠る前までの記憶が、怒涛のように押し寄せてきた。
アマリアさん……!
涙を拭った頬が、自分でもわかるくらい真っ赤になった。
ああ……! どうしよう……! どんな顔をして会えばいい……!?
強烈な嬉しさと恥ずかしさ、爆発しそうな感情を持て余し、キアランは頭をかきむしりながら、一人でテントの中をぐるぐる歩き回る。
「あっ」
感情があっちに行ったりこっちに行ったり、忙しく揺れ動く中、わけがわからなくなり、炎の剣まで出していた。
「今は、いいから!」
半ば強引に、炎の剣を引っ込めた。
なにをやってるんだ、私は。
冷静さが戻ってくると、今度は自己嫌悪が襲ってくる。そんな浮かれている場合ではない、頭を振ってため息をつき、テントの幕をめくった。
外に足を一歩踏み出すと、景色が少々違っていた。
「あれ……。僧侶たちや、エリアール国の守護軍たちは……?」
彼らのテントや馬などが、すっかりなくなっていた。
「キアラン! 体は大丈夫か?」
ライネの笑顔が出迎えてくれた。
「皆さんは、もう出発したのか……?」
「ああ。エリアール国からの鳥が、手紙を持って飛んできたそうだ」
「手紙……?」
「実はもともと、昨夜の会議で俺たちも一緒にエリアール国へ向かう予定になっていたんだがな。彼らの出発は、その手紙で早まったんだ」
「エリアール国へ……」
「エリアール国で、俺たちや僧兵たちも含めた守護軍を新しく編成し、三名の四聖を守りながら四人目の四聖を探す、そういうことになってたんだ」
もっとも、僧兵たちは全員ではなく、大修道院への報告や亡くなった僧兵たちの弔いなどのため、エリアール国へ向かわず大修道院へ戻った者たちも大勢いるが、とライネは付け足す。
「キアラン。実はみんな、朝食を済ませたんだ。お前も食え」
ライネは、魔法のたき火のほうへキアランを連れ出し、温めた携行食をキアランに渡す。
「みんなは、どこに?」
「アマリアさんとルーイは、ダンと一緒に魔法の朝練。ソフィアやフレヤさんも一緒についていった。ダンは武術にも精通してるらしいし、ソフィアも剣の鍛錬、フレヤさんは護身について教わるんだろう」
俺は、キアランの飯のご相伴という重要任務さ、とライネは袋から木の実を取り出して、殻を割ってかじりだした。
「テオドルさんとユリアナさんも、先にエリアール国へ出発したのか」
「ああ。もちろん。エリアール国で再会することになるけど、キアランにくれぐれもよろしくって言ってたよ」
ライネは木の実をキアランにも渡す。薄茶色の硬い殻に覆われた、ナッツのような木の実だった。
「で、手紙の内容とは……?」
「なんでも、エリアール国最高位の魔導師が、こちらに向かってきているらしい」
「魔導師……?」
キアランが初めて聞く単語だった。
「平たく言えば、権力も実力も最っ高にある、すげー魔法使いさ。そいつは、国王直属の魔導師らしいが、事態を重く見て、四聖を守るために動き出したっていうわけだ」
魔導師が向かってきている、それで守護軍たちは急いで出発することにしたんだ、そうライネは説明した。
「ライネ。そもそも、エリアール国とは――」
国王付きの魔導師なる者が国王から離れて危険な地、しかも異国へ赴く、政治などよくわからないキアランだが、それがとても異例のことであるということは、はっきりとわかる。
それに、テオドルのいる守護軍というものも、どういったものなのか、そしてどういった名目でこの国に入国できたのか、それも疑問だった。
「エリアール国は、代々、力のある魔導師をまつりごとの中心に置くようにし、神秘の力を重要視する国みたいだ。あと、テオドルが話してたが、守護軍とは、国内での四聖の誕生を予見した先代の魔導師が、その四聖、すなわちユリアナさん、彼女を守るために、四聖を守護する者を中心に作った軍らしいぜ」
「ユリアナさんを守るために――。そうだったのか」
「そして、四聖の危機は世界の危機だからな。この国のお偉いさんも出入国に関わるお役所さんも、わかる人はわかるだろうから、うまく連携してんだろう」
四聖の話、空の窓の話は、まつりごとに関わる人たちのほうが、一般の人たちよりもよく知っているらしいからな、とライネは木の実を頬張りながら話す。
「ライネ。今更聞くのもなんなのだが――」
キアランには、わからないことばかりだった。その場の対処がやっとで、詳しい話を訊くタイミングがなかった。
「お前は、前から四聖の話、知ってたか?」
「いんや」
ライネは、首を振った。
「俺はド田舎の、拝み屋だからなあ」
ライネは、屈託のない笑顔を向ける。
「自分が四聖なんてものを守護する使命があるなんて、夢にも思わねーよ。それに、世界がそんな不思議なことになってんのも、知らなかったなあー」
日々の暮らしで精いっぱい、ライネはいい音を響かせながら木の実を噛み砕く。
「四聖の使命とは、いったいどんなものなのだろう?」
ルーイ、フレヤ、ユリアナ。キアランが知る四聖は三人だが、彼らの共通点は、とても純粋であること、強いタイプではなく他者から大切に守られるような健気で可憐な存在である、そんな気がする。そんな彼らに秘められた、世界を救う力とは――、キアランは、ライネの言葉を待つ。
「天へ祈りを捧げる――。そうダンが話してた」
「祈り……?」
「四聖が四名揃って、心を一つに祈りを捧げることで、空の窓が閉じる、そう言ってた」
「そうか――」
祈りの力――。心の清らかなルーイたちなら、なるほど、うなずける――。
キアランは、魔法のたき火を見つめる。
魔の者は四聖を狙う。魔の者は強い。特に、四天王やその従者は。皆で守ってきたが、長い歳月の間には、魔の者によって命を落とした四聖も少なくはないのではないか。
炎が、揺れる。
「もし、四聖が、その――。命を奪われたり、なにかの理由で亡くなってしまったりしたら……?」
そんなことを考えたくはない。しかし、キアランが、最悪の事態を想定して尋ねた。
「なにかの理由で亡くなっても、必ずどこかで四聖は誕生する。そうダンは言ってた」
「必ず?」
「ああ。必ず、だ」
「四人いることになるのか?」
「ああ。ダンの話だと。必ず、空の窓が開く前に、世界には四名の四聖が存在することになっているらしい」
「そうなのか」
「でも――」
ライネは口を動かしながら、追加の木の実をキアランに渡す。キアランがもうたくさん、と言うまで渡す気らしい。とても栄養があっておいしい。「とても」という形容詞が、「栄養」という単語にも「おいしい」という表現にもしっかりかかる、ライネ太鼓判の木の実だ。
「実質四人いたとしても、赤子や幼子の四聖に祈りは難しいだろう。たとえ、仮に純粋な魂の力で祈ることができるとしても――、どこで生まれるかわからない新しい四聖を見つけ出し、他の四聖のもとへ空の窓が開く前に無事連れて行くなんてことは、不可能に近いと思う。現実的じゃない」
もっとも、新しく生まれる四聖を探すのが困難だから今いる四聖を絶対に守るというわけじゃない、今いる彼らの命が貴重で尊いからだ、とライネとキアランは強くうなずき合った。
「それで……、四人揃って祈りができない場合、どうなるんだ……? 空の窓が閉じなくなるのか……?」
考えたくない話だったが――、キアランは思い切って尋ねた。
「俺も、それは訊いてみた」
ライネは、まっすぐキアランを見つめた。
「……今まで、有史以来経験がないのでわからないそうだ。恐ろしい話だけど、そういうことなのかもしれない。もしかしたら、人類が文明を持つ以前はそういうときがあった、そういう不安定な時代をずっと過ごしていた、そしてそれは魔の者が君臨する暗黒の時代だった――、かもしれない、そう言ってた」
「えっ……! そんな、まさか――!」
「翼を持つ一族も、多くは語らないのでわからないってさ。だから、太古の昔、どのような世界だったのかは謎のまま。ただ――、四聖の使命について、そして祈りの持つ力の偉大さについて、人類に教えてくれたのは、翼を持つ一族だったのではないか、そうダンとアマリアさんは話してた」
キアランは、夜空を思い浮かべていた。どこまでも広がる、深く、暗い夜空。輝く星たちは、どんな歴史を見つめてきたのだろう――。
「あ。それから、四天王も、常に四体なんだそうだ」
「え」
「倒しても、死んでも、四体。だから、四天王を倒すこと、それが人間のテーマではないんだとさ」
「常に、四体――」
「ああ。結局、やつらと共存していくしかないんだ。そしてやつらは、強すぎる。積極的に関わるべき相手ではない」
でも、とライネは前置きする。
「あの黒髪の四天王。あいつだけは別だ」
「え」
「キアラン。どうしても、あいつを倒したいんだろう? 人の姿を、捨てようとしてまで」
「…………」
「誰がなんと言おうと、俺はキアラン、お前を全力で助ける……! 共に、戦う! そして、倒そう! あの四天王を……!」
キアランは、ライネを見つめた。ライネの真剣な表情が、そこにあった。
「――ああ。父母の仇だ」
ライネは、黙ってキアランの肩を掴み、自分のほうへ引き寄せた。
「空の窓は、関係なしだ! キアラン……! 人のまま、あいつと戦おうぜ……! 世界の危機が去っても、やつを追い詰め、倒そうぜ……! 必ず……!」
「ライネ……!」
ニッと笑ってから、ライネは、すっくと立ちあがる。
「さあ、俺たちも出発の準備、始めようぜ!」
「ああ……!」
ライネは、手にした残り最後ひとつの木の実を額に付け、なにか呟く。そして、その木の実を太陽に向かって、高く放り投げた。
「これは、まじないさ! みんな揃って、また無事に帰って来れるようにっていう、な!」
投げた木の実は日の光をいっぱい浴びて森に落ち、やがて大樹へ成長する、そして、俺たちをたくさんの木の実で迎えてくれるんだよ、そうライネは笑って話す。
「……それ、何十年かかる話なんだ」
「たとえだよ、たとえ!」
そんな話をしているとき、アマリアたちが戻ってきた。
「キアラン、起きたぞー!」
ライネが笑顔でめいっぱい大きく手を振りつつ、大声でアマリアたちに報告する。
「キアランさん、おはようございます!」
「おはよう、アマリアさん……!」
アマリアと顔を合わせたときに、どんな顔をしていいか悩んだキアランだったが、自然な笑顔になっていた。
草の上に落ちた一粒の木の実が、あたたかな輝きを帯びていた。




