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天風の剣  作者: 吉岡果音
第四章 四聖と四天王
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第43話 生きる喜びを、私に

 風がほどけた後には、なにもない。

 キアランは、呆然と立ち尽くす。シルガーから受け取った、謎の品を手にして。


「キアランさん……! 大丈夫ですか!?」


 アマリアが、キアランのもとへ駆け寄る。


「それは……!」


 アマリアは、キアランの手にしている物――シルガーから渡された、棒状の物――を目に留めていた。それから、アマリアは驚いた顔をした。


「キアランさん! アステールは……!」


「アステールは……」


 キアランは、一瞬言葉を詰まらせた。アステールがいない、改めてその事実を突きつけられるようで、言葉にするのが怖かった。


「……高次の存在のところへ行ってしまった――」


「それで……!」


 アマリアはそこまで言った後、なぜか口をつぐんだ。


「アマリアさん……? それで、とは――?」


 唐突に、キアランは甘い香りに包まれる。

 アマリアが、キアランを抱きしめていた。


「アッ、アマリアさん……!?」


「キアランさん――! キアランさんが無事で、本当によかった――!」


 アマリアさん――!


「キアランさん……! アステールは、高次の存在たちのもとへ行ったのですね……! 彼は、きっと大丈夫……! 心配でしょうけれど、どうか、安心してください」


 思いがけない、甘いぬくもり。アマリアの体温が、吐息が、柔らかな感触が、キアランの魂を包み込む。それは、キアランを人間の世界、大地に立つ世界へと再び迎え入れた瞬間であった。

 キアランは、アマリアを抱きしめることもなくただ立ち尽くしていた。

 言葉も、失われていた。この状況に見合う言葉が、見つけられないでいた。

 恐る恐る、視線を周りに向けてみる。

 ルーイやライネ、ダン、ソフィアやフレヤ、テオドル、ユリアナが自分たちを見つめていることに気付く。皆、優しい微笑みをたたえて――。


 皆、私をあたたかく迎え入れてくれている……!

 

 キアランの胸に、熱いものがこみ上げてくる。

 周りにいた大修道院の僧侶たちやエリアール国の守護軍の者たちも、キアランを見つめていた。それは、優しい笑顔で無言のままキアランを迎え入れてくれた皆とは違い、訊きたいことがたくさんある様子だった。しかし、キアランを抱きしめるアマリアの姿を目の当たりにし、口を開くのは気が引けるようでなにも声をかけられずにいる、そんなふうに見受けられた。

 テオドルが、さっと踵を返し、僧侶たちや守護軍たちのほうへ向き直った。


「皆さん……! 四天王の脅威はいったん去りました……! キアランさんもご無事です! 皆さん、それぞれ朝食や休憩を取り、それからここを発つ準備をしましょう!」


 テオドルの朗々とした声が合図となった。皆の注目はキアランとアマリアから外れ、それぞれ近くに居合わせた者同士で会話を始める。

 大修道院の年老いた僧侶が、テオドルの言葉を継ぐ。


「昨夜、我々の会議で決定した方向は、それぞれの代表よりのちほど伝達いたします! ひとまず、心身を整え出発に備えてください……!」


 僧侶たちや守護軍の者たちは、互いに顔を見合わせ、なにごとか会話を続けていた。四天王と高次の存在たちのこと、キアランのこと、消えた銀の竜のこと、口々にどういうことだったのか、と尋ね合っているようだった。

 わからない者同士が話しても埒が明かないが、テオドルも年老いた僧侶も威厳のある佇まいでそれ以上はなにも語らず、直接キアランに訊くのもなんだかはばかられ、結局皆テオドルと年老いた僧侶の言葉に従い、それぞれ自分たちが休んでいたテントのほうへ戻って行った。


 そういえば、昨晩大修道院の僧侶たちやエリアール国の守護軍の代表たち、それから、ダンさんとアマリアさんが話し合っていたんだっけ……!


 当のキアランは、昨晩のことをぼんやりと思い出していた。

 キアランを抱きしめていたアマリアが、そっと体を離した。


 あっ……!


 アマリアは、恥ずかしそうに目を伏せていた。触れ合っていた体が離れて改めて、今までアマリアが自分を抱きしめていたという現実を強く実感した。

 

 アマリアさん――!


 キアランの顔は、自分でもそれとわかるほど真っ赤になっている。


 な、なにか言わなくては――!


 キアランは焦る。なにも言わず、ただ立ち尽くしていただけの自分、どれほど救われ、どれほど嬉しかったか、今伝えなくては、キアランは急いで言葉を探していた。


「……シルガーが、アマリアさんに礼を言っていた」


 開口一番出てきた言葉が、シルガーからの伝言だった。


「え……? シルガーさんが……?」


 アマリアが、顔を上げた。アマリアの頬も紅く染まっていた。


「シルガーに敬称、『さん』付けは、いらないと思う」


 キアランの口から、するりと出てしまった、どうでもいい憎まれ口。


 ち、違う……! 私が伝えたいのはそういうことではなく……!


「シルガーさんが、私にお礼を……?」


 激しく動揺するキアランにはまるで気付いてはいない様子で、アマリアは、改めてシルガーを「さん」付けで呼ぶ。

 今まで、自分たちの命を狙っていたシルガー。しかし、何度もシルガーに助けられていた。アマリアの中で、シルガーは敵ではなく味方であるとはっきりと認識されている証拠だった。


「ああ。アマリアさんの加護の魔法を一番強く感じたと言っていた。魔法の使い手としていい筋をしている、とも」


 キアランは、自分で自分のことをもどかしく感じていた。なぜ、ありがとうだけでもいい、自分の今の素直な気持ちが口に出てこないのか――。


 その話はその話で大切な話だろうけれど、私がアマリアさんに今伝えたいのは、私自身の想い……!


「まあ……! シルガーさんが、そんなことを……!」


 アマリアの顔がほころぶ。


 あれ……。アマリアさん、喜んでる。それならそれで、よかったのか――。


 キアランは、自分自身の思いを伝えられない不甲斐なさを忘れ、一瞬納得しそうになった。ありていに言えば――、日和っている。


「キアランさん。シルガーさんから渡されたそれは、『炎の剣』です」


「えっ……!」


 思いがけないアマリアの言葉に、キアランは驚いた。


「炎の剣……! これが……!?」


 キアランの手にある棒のような謎の物体、それをシルガーが振るっていた剣、炎の剣だとアマリアは指摘する。


「アステールがいない現在、キアランさんが使うように渡してくださったのでしょう」


「私のために……!」


 シルガーは、剣のなくなったキアランのために自らの剣を渡してくれたのだ――、キアランは改めて自分の手にした棒――炎の剣――を見つめた。

 ダンがキアランに歩み寄り、口を開く。


「……率直に申そう。昨夜の会議で、キアランさんについて疑問を投げかける者も数名おられた。あなたが、魔の者に近付き過ぎるので危険ではないかという趣旨の意見があったのだ。そういった面々も、我々の説明で行動を共にすることを表面上納得してくれたが、その心のうちまではわからない。そして、会議に出ていない者を含めると、キアランさんに偏見を持ち続ける者は、決して少なくはないだろう」


 ダンは、まっすぐキアランを見つめた。あたたかな瞳だった。


「シルガー殿は、キアランさんが容易に人間の世界に戻れるよう、あのような行動を取ったのだと思う」


『お前を、解放する』


 シルガーに監視されていたのは事実だが、あの言葉を皆の耳に届くようはっきりと宣言したのは、キアランが囚われていたのだと皆に強く印象付ける効果があった。

 キアランとシルガーに、加護の魔法を送った魔法の使い手たち、シルガーを味方だと信じた人たち。人は皆、危機のときは大きな力にすがる。しかし、危機が去ったあとも同じ思いを持ち続けられるのか、決して保証はできない。シルガーに加護の魔法を送った者たちの中で、どれほどの人間が、魔の者シルガーへ感謝と信頼の気持ちを持ち続けるのか。

 すがっていたのに、応援していたのに、大きな力を恐れ、しだいに敬遠していく――。人間社会ではよくある話である。

 シルガーの存在を危惧する向きは、四天王と人間の間に生まれたキアランに対する恐れにも繋がっていく。シルガーは、人の心の弱さからくる心変わり、あるいは自分を守ろうとする思いの強さ、したたかさを知っていたのかもしれない。


「そんな、理由で――」


 キアランの心が、震えていた。


 シルガー……! お前というやつは……!


 キアランは、炎の剣を握りしめた。


 またいつか、会えるだろうか。


 炎のトカゲはない。キアランは、空を見上げる。


 シルガーは、四聖(よんせい)を探す力がある……! トカゲはなくても、きっと、また……!


 青い空には、銀の輝きはない。空を飛び去ったわけではないから、それはそうだ、とキアランはわかっていながらも、その瞳は銀の面影を探していた。

 誰かが、ぽん、とキアランの肩を叩いた。ライネだった。


「テオドルや僧侶の偉いじーさんの言った通り、休もうぜ。キアラン。なにがあったか、詳しい話は、後で追々教えてくれ。とりあえず、お前の無事がなにより嬉しーぜ!」


「ライネ……!」


「……俺たちは、わかってるからよ! シルガーはもう、悪いやつじゃねえって!」


「ありがとう……! ライネ、ダンさん……! みんな……!」


 皆、あたたかな笑顔を向けていた。そこには、少しの曇りもなかった。

 キアランは、ハッと思い出し、テオドルに声をかけた。


「テオドル……! ありがとう……! さっき、私に向かう皆の視線を変えてくれたんだろう……?」


 テオドルは気にすることはない、と首を振り微笑むと、キアランに近付いていった。そして、キアランにだけ聞こえるように、耳打ちした。


「ありがとうと、礼を言う相手が間違ってる」


「え」


 キアランは、一瞬、大修道院の年老いた僧侶のことを指しているのかと思った。


「アマリアさん、だろう……?」


「あ……!」


 テオドルは、キアランに背を向け皆に声をかけた。


「さあ! みんなも、テントに戻って休もうじゃないか! 出発に遅れてはいけない!」


 テオドルやダンやライネ、ルーイまでも目配せをしあってそそくさとその場を離れた。ソフィアやフレヤ、ユリアナも男性陣の意図を察し、笑顔を交わし合いながらテントへ向かう。

 あっという間に、キアランとアマリアだけがその場に残された。


「あの……、アマリアさん……」


「は、はい……。なんでしょう、キアランさん」


 あたたかな日差しが、二人を見守る。


「…………」


 キアランは思う。なぜ他の皆には簡単に言えた言葉が言えないのだろう。

 アマリアの亜麻色の髪が、風に揺れていた。

 キアランは、先ほどの甘い香りを思い出していた。


「……嬉しかった……」


 ぽつり、と呟く。

 アマリアさんの瞳の色、綺麗だ、とキアランは思った。

 たくさんの、想いがある。そのすべてを言葉に表すことはできないと思う。

 キアランは、息を吸い込んだ。朝の清らかな空気が肺一杯に広がる。


 想いのすべてを、ちゃんと伝えることができなくてもいい。今この瞬間の気持ち、それだけ伝えられれば、それでいい――。

 

 吸い込んだ新鮮な空気が、細胞すべてに広がる。

 キアランは、改めてアマリアを見つめた。ただ、まっすぐに。


「アマリアさんと、またこうして話せて――」


 キアランの背には翼はない。キアランは、アマリアと同じ大地に立っていた。


「これまで、死が、何度もよぎっていた――。でも、生きることができて、よかった――」


 朝日のぬくもり、肌を吹き抜ける風、すべて感じることができる。


「アマリアさん。私は、あなたに会えたことを感謝している――!」


 キアランは、アマリアを抱きしめていた。

 それは、キアラン自身にとって思いがけない行動だった。

 自分で自分に驚きながら、その動きを止められなかった。心のままに、体が動いていた。

 

「ありがとう……! 生きる喜びを……! 私に――!」


 アマリアは、そっとキアランの背に腕を回した。


「ありがとう……。キアランさん。生きていてくれて――!」


 四聖(よんせい)を守護する者。二人は、その使命で繋がっていた。しかし、キアランの心には、そんな思いはどこか遠くにあった。

 アマリアさんという世界でただ一つの魂、その心に、体に、触れることができる幸せを、キアランはしっかりと抱きしめていた。

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