噂はたぶん真実です
「奥さま・・・・・・」
私はおそるおそる伯爵夫人に聞いてみることにした。でも彼女はまだ頭に血が上っているようで、ぎろっと血走った目でにらんで、まだ毒を吐く。
「あなたはメイドに向いてないのよ。男を誘惑して回るんですもの。メイドとして仕込んでほしいですって! は! 最初からあなたには無理だと思ってたのよ。たまにいるのよね。玉の輿に乗りたくてメイドになりたがる娘が」
ああ、ちょっと涙出てきた。
奥さま、ほんとにそう思ってたんですか。
くやしいな。
「私はそんなことは思っていません」
「そうかしら?」
女主人の顔が醜く歪んだ。この人は、こんな風に毒を吐く人じゃなかったのに。
「いいえ、おかしいでしょう。ムスター家の若様を誘惑して妻におさまった女が、ただのメイドになりたいだなんて。ほんとおかしな話」
ああ、そう。
結局そう見られていたんだ。
「でも私はちゃんとメイドとして働きたかったんです」
「ああそう。でもね、あなたはそんなつもりはなくても、どうしようもないんじゃないのかしら」
「はあ?!」
私はもう礼儀も忘れて返した。
「今だから言うけれど、うちの召使たちがあなたのいるせいで浮つきだして大変だったのよ。でも、うちの召使たちはきちんとしているから、あなたに手を出したりしないの。うちの使用人はみんな優秀なの。あなたがいないほうが平和だわ」
女主人の声は再び私を突き刺す。
「大公宮では、せいぜい仕込んでもらいなさい」
「あのう、そのことなんですが」
私は最初の懸念に戻ることにした。
「なあに」
「大公殿下って、もしかしてものすごく変態的とか、あの、裸にして鞭打ちとか、そういう・・・・・・」
「は?」
毒を吐くのを忘れて、女主人は私を見つめ返す。私が自分を変態ですと言ったみたいに。
「な、何を言っているの?」
「だって金貨100枚なんて、おかしいです。娼館に身売りしても、せいぜい金貨10枚ですよ」
「そ、そうなの?」
伯爵夫人にそんな知識はないだろうけど。
「そうですよ。奥様もさっき仕込んでもらってとか言っていましたよね。何があるんですか。金貨100枚に」
「でも、大公宮ですもの」
か、かみあわない。金貨100枚なんて、さんざんおもちゃにされて辱めを受けて嬲り殺されても、文句は言えないんじゃないだろうか。
「奥さま、私まだ死にたくないです」
「さっきから何を言ってるの?!」
「だから金貨100枚なんて絶対におかしいって言ってるんです!」
「でも、大公宮ですもの」
すごいな。魔法の呪文みたい。
そして話が空回りしてる。
つまり・・・・・・つまり、どういうこと?
「やっぱり、変態?」
「・・・・・・そんなことありません」
なんか、今、間が空きましたよね。奥さま。
私がうろんな目で見つめたせいか、伯爵夫人はちょっと姿勢を正した。
本来の彼女はちゃんと上品さと威厳を兼ね備えている。やっと激高から覚めて、自分を取り戻したようだ。本日のお召し物は、青紫の綾織のローブに白い飾り紐が付いた、わりと新しい型のドレス。私を呼び出すにあたって服装を改めた。
「大公殿下は素晴らしいお方だと評判です」
急につらつらと女主人から美辞麗句がこぼれ始めた。
「それに比類なき武勲の持ち主でいらっしゃるわ。手柄が積み上がり過ぎて、国王陛下がもう褒美が思いつかぬとおこぼしになったとか」
私はうつむいて聞くことにした。少し長すぎてバランスの悪い飾り紐を見ながら、考える。飾り紐の位置をもう少し上げたら、伯爵夫人の姿の良さが引き立つのに。
比類なき武勲の大公殿下。
アースゲルの大公殿下は我が国の生ける軍神、とかだっけ。
あ〜、女好きという話のほうが有名過ぎて忘れてた。
戦があるのは北のほうだけで、ここら辺って平和だし。
「ただ、英雄色を好むと言うのかしら。お若い頃から、それだけは本当に、ご乱行で」
「ご乱行・・・・・・」
「そ、その、変態とか、そんな噂は聞かないわ。女好きでいらっしゃるだけ」
だけって、だけって、どんだけよっ。
「それで私でもいいんですね・・・・・・」
私はなんだか疲れて、考えるのをやめたくなってきた。大公殿下が変態だろうとなんだろうと、もう行かないという選択肢はほとんどない。ただ、最初からひっかかっていた。伯爵夫人が私を屋敷から追い出したいばかりに考えたことだとしても、私でいいのかと。
女主人がわかっていないようなので、口に出してハッキリ言ってみる。
「私はもう21才です。生娘でもない。私に金貨100枚の価値なんてありません」
ちょっと驚いたように女主人が目を見張り、私を見てくる。
「なんですか?」
「いいえ、別に」
何が面白いのかフフっと笑い、近寄ってきて彼女は、内緒話よ、というふうに声を潜めた。
「たしかに、無垢な娘を好む男もいるわ。でも、大公殿下は違うわね」
「そうなんですか?」
「大公殿下はそんなに若い娘をお好みじゃないのよ。むしろ人妻の方がお好きだとか」
それに、と伯爵夫人はさらに声を潜めた。
「人の恋人をお取り上げになるのがお好きなのだそうよ。貞淑という評判のあった奥方や、長く馴染んできた愛人を取られた方も多いらしいから」
うわぁ、最低だな。
だからご乱行か。
「もう人妻じゃありませんよ、私。ムスター家も出ましたし」
半年で亡くなってしまった、私の夫。
世襲代官の家柄の、ムスター家の次男に生まれた、貴公子。
身分違いの私を強引に妻に迎えた、情熱的で自信家で優しい男。
勘定官になるはずだった男。
彼が亡くなりムスター家から出たのだから、私は誰のものでもない。
「ええ、そうね。そのことは大公宮でもご存知よ」
ちょっと感傷に浸りそうだったところを引き戻された。大公宮でもご存知って、私の結婚のことも死別のことも知っていて参上しろ?
「どのような娘か、前もってお調べがあるに決まってるでしょう」
え、そうなの?
「大公宮からは、参上させよとお返事もいただきました。ですから、明日からは宮廷式の礼儀作法を覚えてもらいます。ドレスは、やっぱり私が揃えますよ。下着からすべて新しいものを。まぁ、そうね。移動用の軽装くらいは、あなたのお母様につくってもらったのでいいと思うわ」