プロローグ
都内某所、どこにでもあるような繁華街の隅に位置する探偵事務所。
築数十年は経つであろうオンボロビルの二階、硝子の窓に白いテープで『百瀬探偵事務所』と貼り記されている薄暗い室内で、ひとりのゴスロリ少女が木製のデスクに座りながら溜め息混じりに天井を仰いでいた。
「はーあ。まったく儲かりませんわねえ」
――百瀬百合花。
身長は子供のように低く、肌は白く人形のよう。オンボロ事務所にはとても似つかわしくない黒を貴重とした豪奢なゴシックロリータを身に纏い、銀髪に縦ロールという派手な髪型が更にその希薄さを際立たせている。
彼女は今年で二十四歳。
少女と呼ぶには憚られる年齢ではあるが、反してその外見は余りにも少女然としすぎていた。
百合花がわざとらしく眉間を指で押さえていると、もうひとりの女性が部屋の真ん中にある黒い縦長のソファーから立ち上がり、その美しい黒髪を靡かせる。
「そもそも、ただの道楽でしょうこんなこと。もしかして貴女、本気で稼げると思って始めたわけ?」
――黒月夜羽。
今年で二十三歳である彼女は百合花のひとつ下の年齢ではあるものの、その見た目は大人びた女性そのものだ。
長く艷やかな黒髪をストレートに流し、すらりと伸びた長身は成人男性に引けを取らない。健康的な肌、美しく整った顔立ち。それでいてシンプルなシャツとジーンズを着こなす嫌味のない服装。
夜羽は、デスクに座りながらだらだらとしている百合花を睨みつけ、腰に手を当てながら呆れた声で吐き捨てる。
「直近で解決済みの依頼、なんだったっけ?」
そう問われた百合花は視線だけを夜羽の方へ向けると、気だるそうに銀色の縦ロールを指で弄り始める。
「学院卒業生のお悩み相談ですかしら」
「それ、いつの話?」
「……一ヶ月前、ですわね」
二人の間に沈黙が訪れる。
無理もない、普通ならそんな探偵事務所は即刻潰れている。それがこうして存続している理由は、夜羽が言っていた通り、百合花の個人資産による運営――つまりは道楽、趣味によるものだからだ。
「儲かるわけないわよこんなこと。わかっててやってるんだと思ってたわ、わたし」
夜羽は右手で頭を掻きながら、落ち着きのない様子で部屋の中を歩き始める。
「案外いないものですわよね、困っている人って」
感情すら伺えない淡々とした声で呟きながら、百合花は天井を見上げた姿勢から身体を起こし、乱れたスカートを整える。
「事件なんてそうそう起きるものじゃないわよ。学生時代にあれだけ妙なことが立て続けに起こったことが奇跡――いや、運が悪かったと言うべきでしょうね」
「それにしても、ですわよ。わたくしと夜羽……こんな美少女ふたりが探偵事務所なんてやっているのだから、少しくらい噂になったっていいでしょう?」
「もう美少女なんて歳じゃないわよ、わたしたち」
そんな百合花の妄言を諌めるように吐き捨てながら、夜羽は早足で近くにある冷蔵庫へと歩み寄っていく。
古臭い年季の入ったその扉を開いて中を覗き込むものの、そこにはなにもない。
夜羽はムスッとした表情を浮かべた後、百合花のほうへ向き直る。
「ねえ百合花。わたしが昨日買ってきた飲み物、どこにもないんですけど?」
「あら夜羽。飲み物は飲んだら無くなるものですわよ?」
バタンと強めに扉を閉め、夜羽は今度こそ呆れ果てたと言わんばかりの表情を浮かべて踵を返した。
「わたし、ちょっと出かけてくるから」
「どこへ行きますの?」
「貴女と違ってわたしにはやることがあるのよ」
「ふうん。わたくしも暇ではありませんが、今日は少し外を歩きたい気分になってまいりましたわね」
百合花は早歩きで夜羽の傍まで近寄ると、夜羽は振り返らずにそのまま事務所のドアノブに手を掛ける。
「抜けがけは許しませんわよ、夜羽――」
ガチャリ、と。
事務所のドアノブが回り、それに反射して夜羽は思わず手を離して飛び退いた。背後に近寄っていた百合花も驚いて躓きかける。
「な、なんですの?」
回されたドアノブ、開く扉。
夜羽の手はどちらにも触れておらず、その先には――
「あ、あの……すみません。ここが百瀬探偵事務所で合ってますか?」
――ひとりの少女が、立っていた。




