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よかった、噓告されたオレはいなかったんだね  作者: 小宮地千々


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天辺キノエ 「失恋エフェメラル」

「申し訳ないけど、生徒のそういった気持ちには応えられないよ」


 Q.

 好きな人への意を決した初めての告白を自分にはどうにもできない理由で断られました。

 あなたはどうしますか?

 A.――


 萬谷(よろずや)(すぐる)は二十代の国語教師で、名前の通りの優男だった。

 理知的な風貌、穏やかながら堂々とした物腰、そして落ち着いた美声で生徒たちに人気を博し相当数の女子の男性観をぐちゃぐちゃにした。

 一方で、男子からの評判も悪いものではなかった。

 婚約者の存在を公表していた彼は、生徒を一人の人格として尊重しながら、同時に子供としても扱うまとも(・・・)な大人だったからだ。

 結婚後も女子の人気は衰えず、一部の反転アンチと化したリアコ勢を除けば卒業式の日にも彼のもとへの挨拶は絶えなかった。

 天辺(あまべ)キノエは、反転しなかった元リアコ勢の一人だった。

 その長身と美貌から長らく同年代の悪いところを見せつけられてきたキノエは、自然年長者に引かれるようになった。

 男子も女子もバカで意地悪。

 まともに話しできるのは大人だけ。

 そんな思春期らしい思い込みの果てに、担任教師に告白するにまで至ったのはこれもまた責められることではないだろう。


 けれど、願いは一刀両断にされた。

 眉尻の下がった、困ったような表情の萬谷はしかし断固として拒絶を示した。

「なんで? あたしが子供だから?」

「正確に言えば私が教師で、君が生徒だから、だね」

 静かな答えは、けれどキノエの反発を生むだけだった。

「なら、今のあたしの気持ちはどうすればいいの。子供は、人を好きになっちゃいけないの?」

「そんなことはないよ」

「生徒だからダメって言ったじゃん!」

 バン、と机を叩く。

 二人だけが残った放課後の教室。

 物音を聞きつけた生徒が廊下から、こちらをのぞいているのに萬谷はなんでもないよと手を振る。

 それも、気に入らなかった。

 キノエは完全な二人きりを望んだのに、萬谷はそれを拒んだのだ。

「……天辺くんはいいんだ。君の気持は本物だよ。悪いことであるはずがない」

「じゃあなんで応えられないなんていうの! キライならキライって言ってよ!」

「――私はね、天辺くん。資格を持って仕事として教師をしている。これはね、社会から君たちの成長を手助けできる人間だと信任されているってことなんだ」

 ――聞きたくない。

 だけどこんなときにも萬谷の言葉は心地良く、明快に頭に染みこんでいく。

 キノエの初恋を終わらせる理屈を、残酷なほどにわからせてくれる。

「私と君が知り合ったのは学校という場所だ。だから君が私に抱いてくれた敬意も好意も全て、教師と生徒という前提があってこそなんだよ」

 大人へのあこがれを抱いていたキノエは、なにもかもをわからない子供の振りができない程度には成長してしまっていた。

「だから、私は生徒にとって有害な存在にはなりたくない。教師の立場を不正に利用し、生徒から何かを得ようとするような分別の無い大人には。決して」

 断言する萬谷の声には、怒りにも近しいものがあった。

「繰り返すけど天辺くんの感情が悪いものではない。ただ君たちの抱く好意が尊いものだからこそ、それを受けとってはいけないんだ」

「――先生だから」

「そう、子供たちの力になってあげられる良い大人でありたいなら、そうしないといけない」

「そんなの、ズルい……!」

 だって、どうしようもないってことだ。

 自分が自分である限り、彼が彼である限り、出会ったときからもう思ってはいけない人だったってことなんだから。

「ねえ先生――大人ってなに? どうしたら先制みたいに大人になれるの」

 難しい質問だね、と萬谷は目を伏せる。

 少し考えこんだのちに口を開いた。

「耐えること、かな」

「何に」

「存在に。現状に。辛いことも、嬉しいこともすべてに」

 やっぱりズルいと思った。

 そう言われてしまえば、耐えられないからこそ子供なのだと自ら証明してしまうことになる。

 けれどそんな意地悪のための答えではないと。

 そんなことを言う人ではないということもわかっていた。

「わかんないよ、そんなの」

「――うん、今はそうかもしれない。でもね、天辺くん。君は賢くて、勇気のある人だ。だから、いつか分かってくれると思う」

「……帰る」


 教室を出ると壁に張り付くようにクラスメイトの男子がしゃがみこんでいた。

 那珂川(なかがわ)リク。

 背が低くて、童顔でときどき雑にいじられているポジションで、それに反発してるのか額にある大きな傷跡を見せつけるように前髪を上げている。

 とびきりではないけど、たくさんいるバカな男子の一人だ。

 他の男子たちと階段の踊り場から飛び降りてるところを見たことのあるキノエとしてはそんな印象になる、

 彼が最後に教室を出ていったのは覚えている。

 でもそれも随分前のことだ。

「サイテー、アンタ盗み聞きしてたの?」

 那珂川がぎょっとした表情を浮かべた。

 いつものキノエと違い、言葉のトゲを隠していなかったからだろう。

 それでも仮面をかぶりなおす余裕は無かった。

「……ちげーよ。何かあったら困るだろ」

「はぁ? 萬谷センがそんなことするわけないじゃん」

 これだから自分の尺度でしか考えられないガキは――

「逆だよ、逆」

「なに?」

「オレは萬谷(よろ)センの心配してたの」

「……なに言ってんの?」

 その問いに那珂川は心底呆れたような表情を見せた、ムカつく。

「だってヤベー女子だったり、誰かが見たり聞いたりしてて、あとで変なウワサになるもしんねーじゃん」

 そこまで言われて、ようやく思い至った。

 二人きりになるのを避けたこと、教室のドアを開けていたこと。

 それはキノエだけではない、万が一の時に自身を守るためでもあったのだ。

 そうして、この言い訳している男子が気づいていた危険性にキノエは気づいていなかった。

 敬愛する人の生活を、人生までを脅かしかねなかったことに。

「あ、あたしは! そんなことしない!」

 叫ぶ。

 怒りとそれよりも大きい動揺を、全部ぶつけるように。

「うん。そうだな。お前はそうだと思う」

 それを冷静に受け止めて。

 しゃがみこんだままで彼は頭を下げた。

「だからまぁ、話聞いちゃったのは悪かったよ」

「……うっざ。どっか行ってよ」

 わかった、と言って立ち上がる。

「天辺」

「……なに」

 なのにまだ話しかけてきた。

 少しくらい放っておけないのだろうか、これだから男子は、と言う思いを込めてにらみつける。

 ばつが悪そうに那珂川は頭をかく。

「やる」

 それから言葉と共にポケットティッシュを押しつけて、彼はさっと横を通り過ぎた。

 足早に去っていく姿を呆然と見送っていると、五歩ほど離れたところでぴたりと止まりこちらを振り返る。

「帰り、気をつけろよ」

 ぶっきらぼうな言葉と、怒っているようにも見える表情。

 だけど、それでもきっと。

 キノエより背の低い彼は、このとき少しだけ自分よりも大人だった。

「ポケティくらい、持ってるっての……」

 その後も萬谷に悪いウワサがたつようなことはなく。

 つまりキノエの失恋は誰にもしられないままだった。


 ――それから、少しずつ彼を目で追うようになった。


 好きになったわけじゃない。

 そんな簡単に気持ちが移ったりしない。

 ただ、同い年の少年の見せた大人らしさがたまたまだったのだと、そう思いたかった。

 あの日は偶然想像力が働いて、あんなことができたのだと。

 でも、そうじゃなかった。

 得られたのは裏付けだけ。

 自分が見下して、見ようとしなかったものを見せられた。

 キノエは自分で思っていたほど大人じゃなかったし、周囲も思っていたほど子供ではなかった。

 ただ、時と場合によって見えるものが違うだけ。

 尊敬に値するものはきっと誰もが持っている。

 そこに気づけなかったのが自分が子供である、と証明なんだろう。

 でもそれを気づかせてくれた男の子は、自分じゃない女の子と仲が良くって。

 もうすぐ付き合うんだろうな、って思っていた。

 けれど世界はもっと理不尽で。

 中学を卒業した春に自分たちの前からいなくなってしまうことが、決まっていた。


「那珂川さ。親に日本に残りたいって言わなかったの?」

「……言ったよ」

 ぶしつけな質問に、彼はすごく苦々しい表情を浮かべた。

 そんな顔を男子にされるのは最近では珍しいことで、複雑な思いが湧きたつ。

「聞いてもらえなかったんだ」

「そ。オレ一人じゃ心配だってさ」

「よく眠そうにしてたもんね。二年の終わりとかテスト酷かったんじゃない」

「……そうだよ。全部オレのせいオレのせい」

 面倒くさそうに手を払う。

「さっさと部活行けよ」

 その言葉に笑ってしまった。

「もう引退したし。夏の大会で最後だから」

「あぁ、そっかそれで……」

 だけど笑いながらもチクリと胸が痛む。

 彼が自分と同じ部活の別の女の子のことを思い浮かべていると気づいたから。

 それなのに、自分たちの引退なんてもう全く関係ないんだとわかったから。

 受験頑張ろうとかせっかくだから放課後遊びに行こうとか、そういう当たり前のことにさえ距離を置こうとしている。

 いなくなるから、いなくなってしまう人間だから。

「那珂川ってさ、けっこう冷たいよね」

 言いたいのはこんな事じゃなかった。

 だけど言ってしまう、それを許してくれるからと甘えてしまう。

 本当はただ諦めないで、忘れないでって伝えたいのに。

「……悪かったな」

 那珂川は少し傷ついたような顔をして、それ以上は何も言ってくれなかった。


 そうやって空回りしているうちに秋になり冬になって別れの春が近づいてくる。

 諦めるべきなのだろうか、この恋も。またしても。

 同級生なら、今度は何にも障害は無かったはずなのに。

 行動するのが遅かったばかりに手遅れになってしまった。

 また、かなわないことに耐えるべきなのだろうか。

 ――ううん、違う。

 そうじゃない。

 どうせ耐えるのなら、挑んだほうがいい。

 ただ黙って忘れること、忘れられることに耐えるより、忘れないこと、忘れられないことへ挑戦し、それに耐えた方が、きっといい。

「――ね、あたしと協力しない? すっごくいいアイデアがあるんだ」

 そのために提案を持ちかけた。

 一緒に耐えてくれそうな友人に。

 告白を成功させる手段と、そのために待つ時間を耐える方法を。

 一人じゃ無理かもしれない、だけど待つのが二人でなら?

 待つのを止めたとき相手に独り占めを意味する競争なら?

 ねえミカ、だから恋がかなったらそのときはあたしも交ぜてよ。

 はじめて好きになった男の子(・・・)の恋人に。


 §


 そうして勝ち取った彼の隣でその成果を今キノエはしみじみ噛みしめている。

 彼の部屋、彼のベッドで、彼と共に眠りながら。

 三年の月日は本当に好きだから我慢できたのか、我慢できたから本当に好きと言えるのか。

 それはまだ、わからないけれど。

 ねえ萬谷セン、あたしね。多分少しだけ大人になれたよ

 だから、ちょっとくらいは恋人に甘えたっていいよね?

「うぅぅ……」

 寝苦しそうにうめくリクにぴたりと身を寄せてその匂いを胸いっぱいに吸い込む。

 触れること、触れられることを互いに許し合った、いとしい恋人の匂いを。


 Q.

 初恋は許されずに終わりました。

 あなたはどうしますか?

 A.

 ――大人になる。そしてまた恋をはじめる。

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