とっても暑かったので
ああ、暑い。とっても、暑い!
真夏の昼の日差しの下、駅から歩いて帰ってきた僕は、もう、暑くて、暑くて、死んでしまいそうだ!
先生の家にふらふら入って、例の門から森へ帰ってきて、森の中は幾分涼しかったけれど、そうしたらそうしたで汗でびっしょり濡れてしまったシャツが煩わしくて……。
「ああ、もういいや……」
僕はそのまま服を脱いで、泉に入ってしまうことにした。
ぽしゃ、と水の中に入った途端、すっ、と体の熱が引いていく。火照ってしまってどうしようもなかった頭も、ひんやりした水の中に浸かってしまえば段々マシになってくる。
羽を伸ばして、ぱしゃ、ぽしゃ、と水を掻いて、ついでにお行儀悪く水を跳ね散らかして、ちょっと鳥の真似。
羽を水の中でふるふるやってみれば、羽から体が冷えていくみたいで気持ちいい。そのまま羽で水を頭のてっぺんにぽしゃぽしゃ掛けて、大きく伸びをして、羽も目いっぱい伸ばして……。
「……うおおおお!?トーゴ!?一体全体どうしちゃったんだい!?」
……とやっていたら、先生がやってきて、驚いてしまった。
驚かれてしまって、僕の方がちょっとびっくり。どうしちゃったんだい、って言われても、水浴びしていただけなのだけれど……。
「君、もしかしてアレかい!?精霊様かい!?森になっちゃってるのかい!?だがトーゴ、君は人間だぜ!ぱんつくらいは履いたままにしておいた方が良いぞ!」
……あっ。
あっ、あっ……ぼ、僕、わ、わあ……なんてことを!
暑くて、すっかり頭がとろけてしまって、それで……森の気分で、服、脱いでる!ああ!
「おーい、魔王!魔王!君の出番だ!そーれ!」
そこへ、先生が魔王を呼んで、魔王がまおんまおーん、と勇ましくやってきたのを捕まえて、そのまま泉の中へ放り込んでくれた。
まおーん!と飛んできた魔王は、ばしゃーん、と着水したと思ったら、そのままくるんと僕の腰に巻き付いて、とっても使命感に満ちた顔で、隠さなきゃいけない部分を隠してくれた。ああ……ごめんね魔王!こんな役目をさせて!
「ん!?トーゴ!ここに落ちてるぱんつ、君のかい!?履くか!?」
「あ、うん……ありがとう、先生……」
「すまない、魔王より先にこっちを放り込むべきだった……そーれ」
そして、先生が僕の下着を拾って泉に投げ込んでくれたので、水の中でそれを履く。ああああ……僕は本当に、なんてことを……。
そうして僕が一旦、人間として最低限のラインまで戻ってきたところで、魔王はまおんまおん、とちょっと誇らしげに僕の頭の上へ上がってきた。ごめんね、魔王。ありがとうね、魔王。
「おお、トーゴ……暑さで頭がやられてしまったのかい?」
「うん、その通りです……」
先生が泉の縁でしゃがんで、『労しいことだ……』なんて言いながら、僕の頭を魔王ごと撫でてくれる。撫でられて、魔王はまおんまおん、とご機嫌だ。
「そうかぁ、まあ、暑いと人間、そうなりがちだよなあ……」
「普通はそうならないと思う……」
ああ、とてもショックだ。僕、人間なのに……人間なのに、なんて恰好をしていたんだろう!ああ!あああ!
「まあ、僕も真夏は家の中で全裸で過ごしていたこともあるからな……人のことはあまり言えないが」
えっ、先生、そんなことを……いや、でも家の中なら、いいと思うよ。僕は、僕の中とはいえ外で……いや、僕の中じゃない!僕は森だけど人間!人間だ!あああ!あああああ!
「ま、そんなに気にすることじゃあないだろう。幸いにして、今、この泉の周りにはお馬さんくらいしか居ないことだし」
先生は励ましてくれるのだけれど、僕は只々、ショックだ。ああ、僕、遂にここまで人間じゃなくなっちゃったなんて!
「しかしトーゴ。水の中は気持ちよさそうだなあ」
僕が落ち込んでいたら、先生はふと、そんなことを言って……さぷ、と、手を泉に突っ込んだ。澄み切った水が光を屈折させて、先生の手が曲がって見える。ちょっと描きたい。それどころじゃないけれど。
「よし。折角だ。僕もご一緒させてもらうとするかな。はーよっこいしょ、と」
すると、先生は手早く服を脱いで、パンツ一丁になって、さぽん、と泉に入ってきた。わあ……思い切りがいいなあ!
僕がちょっとびっくりしていたら、先生は『おお、涼しい!』なんて喜びながら……ふと、いきなり神妙な顔になってしまった。
「……トーゴ。僕の高校時代の思い出を聞いてくれたまえ」
うん。どうぞ。
「僕の高校時代、忘れもしない思い出だ。……ある日、プールの授業があるのに、水着を忘れてきちゃった同級生が居たんだ。ところで僕の高校では、水着は特に指定が無くてね。まあ、どんな水着でも別に良かったんだが……そこで、水着を忘れた彼は、『これは水着です!』と言い張って、ぱんつ一丁でプールの授業に臨んだ」
「えっ」
「さて、トーゴ。彼はその後、どうなったと思う?」
……ちょっと、その、考えてみたら、ええと、分かることだと思うけれど……。
「水から出た後、下着が無くて困ったと思う」
「その通りだ!……ま、後先を考えて物事を判断することが大切だということを僕はその時、よく学んだよ」
「そっか……」
「が、それと同時にな、時に、男には思い切りというものが必要なのだ、ということも学んださ……」
それは学ばなくてよかったことなんじゃないだろうか。うーん……。
「そして僕は今、ぱんつと水着の違いというものについて、思いを馳せているところさ……。機能という点においてはまあ違うわけだが、それを言うと、1800年くらいまでは水着ってものが碌に存在していなかったわけで、それ以前は水着と下着の区別は無かったと言っても過言ではないからなあ……」
成程。ちょっぴり哲学的。でも僕達は現代人だから、水着と下着は別のもの、っていうことでいかがでしょうか。
先生はそこで、ぷか、と水に大の字になって浮かんだ。なので僕も真似して、ぷかぷか。魔王も僕のお腹の上で、ぷかぷか。
「それから、話は戻ってまた僕の高校時代のプールの思い出だ。これは後輩の中石君の話なんだが、ちょっと太ましかった彼は、プールの授業の際、自分の腹に油性マジックでシックスパックに割れた腹筋を描いて参加したそうだ」
「……そっか」
「うむ。僕はそれ以来、中石君には一目置くようになった……」
そっか。中石君……中石君、どういう人なんだろう。類は友を呼ぶ、って言うから、きっと先生みたいな人なんだろうなあ。
「……水にこうして浮いていると、色々なことがどうでもよくなってこないかい?トーゴ」
「うん……ちょっぴりそういう気分……」
僕としては、水に浮いていることより、先生の色々な話を聞いていたことによって、だと思うのだけれど……その、落ち込んでいたのからは大分、立ち直ってきました。どうもありがとう、先生。
「さて。そろそろ体も冷えたことだし、上がろうか、トーゴ」
「うん」
そうして僕ら、水にぷかぷかやるのを存分に楽しんだので、そろそろ水から上がることにした。
プールの時もそうだけれど、水から上がった瞬間の、一気に体が重くなるかんじ。ああ、ちょっぴり懐かしいな。
「……トーゴ!僕は今、かつての同級生の体験を追体験しているぞ!」
先生も同じく水から上がったところで……愕然として、言った。
「見ろ!ぱんつで水に入っちまったモンだから、水から上がってから履くぱんつが無い!」
「ちなみにね、先生。僕もそうです」
……僕ら、顔を見合せて笑い転げてしまった。ああ、しょうがないから、一旦家に帰って、全身着替えて戻ってこよう。どうせ、汗まみれのシャツなんて、もう一回着る気にはなれないわけだし……。
そうして僕は一旦家に帰って、パンツは勿論、もう全身着替えちゃった。折角だから、浴衣一枚で涼しく過ごしちゃうことにする。
シャツとかズボンとか、僕が元々着ていた服は洗濯して干しておく。向こうに帰る時までには乾くかな。乾かなかったら、ふわふわに乾かしてもらうか、カーネリアちゃんの帰宅を待ってフェニックスの巣材にしてもらって乾かしてもらうか、はたまた、フェイの家に行って、火の精に乾かしてもらうか……。
「おお、トーゴ。君も浴衣か!奇遇だな!」
「あっ、先生も浴衣だ」
着替えて家の外に出たら、先生も浴衣姿だった。お揃いだ。なんだかちょっと嬉しい。
そんな話をしていたら、魔王がまおんまおん、とちょっと背伸びして僕の帯にじゃれようとしてきたので、こらこら、と魔王を宥める。
それから、『じゃあ折角だから魔王もお揃いにしちゃおうか』ということで、魔王のウエスト……ええと、ウエストっぽい部分、に兵児帯を巻いて、リボン結びにする。魔王は、まおーん、となんだか満足気な声。
「ふむ、折角だ。浴衣が2人……いや、2人と1匹揃ったところで、古典ゆかしく夏を楽しんでやろうじゃないか!」
先生は、帯をふりふりやっている魔王を抱き上げると、うきうきと先生の家へ向かっていく。僕もなんだかちょっと楽しみになってきて、うきうきそわそわ、先生の家へ。
「まずはコレだな。古典ゆかしく夏を楽しむなら、コレだろう!」
「風鈴だね」
先生が最初に持ってきたのは、風鈴だ。色硝子でできている素敵なやつ。
「これを吊るして、と……。よし、できた」
縁側の軒先に風鈴が吊るされると、早速風が吹いて、ちりん、と澄んだいい音が響く。うん。中々いいね。
「ちなみに僕は、鉄でできてる風鈴も好きだぜ」
「僕は竹でできてる奴も好き」
言われてみれば、風鈴って色々な種類があるよね。折角だから今度作って、自分の部屋に吊るしてみようかな……。
「続きましては、夏の縁側と言ったらコレ。蚊取り線香だ!」
続いて先生が持ってきたのは……豚の形の陶器の蚊取り線香入れと、緑色をした渦巻き型の蚊取り線香。ああ、なんだか懐かしいかんじだ。とはいえ、僕、こういう蚊取り線香入れの実物を見たのは初めてなのだけれど。
「ファイア!……ということで、いい具合だな。風情だ。実に、風情豊かだ……ふふふふ」
先生がライターで蚊取り線香に火をつけると、ふわ、と煙が細く立ち上る。独特の香りがふんわり広がって、ああ、確かに、夏のかんじって、こういうのかもしれない。
「……ところで、トーゴ。この森って、蚊はあんまり居ないのかい?よくよく考えてみると、僕はここに来てから蚊に刺されたことが無い気がするんだが」
「あ、うん。居ない。蚊が住むには、この森、魔力が濃すぎるみたい……」
「おお……なんというシャングリラ!」
まあ、蚊が居ないところで蚊取り線香っていうのは変かもしれないけれど……こういうことがあってもいいよね、ということでどうでしょうか。
「そして夏を彩る鮮やかな……赤!そして緑の縞々!ってことで、これだな!」
そして最後に先生が持ってきたのは、なんと、スイカだ!
「しっかり冷えてるぞ。ささ、食べよう」
「冷蔵庫で冷やしておいたの?」
「いや、冷えてるスイカを今書いて出しちゃったのだ」
成程。そういうことか。道理で、随分とタイミングよくスイカが出てきちゃったわけだよ。
「本当に風情というものを楽しむなら、井戸水とかそこの泉とかにスイカを入れておいて冷やす、っていうのがいい気がするなあ」
「次はそうしてみようか」
「そうだな。次があってもいいだろう。何せここでは一人暮らしの三十路の男がスイカ一玉をうっかり切り分けちまっても何とかなるくらい、気のいいご近所さんが多いことだし……」
「ついでに気のいい妖精も多いよ」
僕らがなんだか珍しいことをしていると見た妖精達が、なんだなんだ、という風に寄ってきている。
これなら、スイカを消費する目途は立ちそうだね、先生。
そうして僕と先生と魔王、そして妖精達が揃って縁側に座って、風鈴の音を聞いて、蚊取り線香の香りを時々感じながら、冷えたスイカを頂くことにした。
切り分けたスイカを手に持ってこういう風に食べたこと、実は無いので……僕としては、新鮮な体験だ。
「おお、甘い!冷たい!シャクシャクする!これぞ、夏!」
先生がなんだかとっても嬉しそうにしているのだけれど、確かにこれが夏の味、なのかもしれない。
魔王は嬉しそうに、まおーん、と鳴いて、尻尾をふりふりやっている。妖精達も楽しそうに何やらぱたぱたしゃらしゃら、喋っているところだ。
ところで妖精達の話し声は、貝殻を薄く削って沢山連ねたタイプの風鈴の音に、ちょっと似ている。
そんなものだから、先生が出した色硝子の風鈴の音と一緒に、貝殻の風鈴の音も合わさったような、そんな不思議なかんじ。どちらも涼やかな音で、とってもいいと思う。
「うーむ、僕は夏ってモンが嫌いだったんだが、こういう風に楽しめるならば、夏は夏で悪くないなあ、と近頃は思うのだ……」
そんな風にしてスイカを食べながら、先生はふと、そんなことを言う。
「勿論、この森の気温が大分低めで助かる、ということは大きい。だが気の持ちようが大分違うからなあ」
「楽しもうって思うと、楽しくなるよね」
「うむ。楽しい夏と、楽しくない夏の違いっていうのは、気の持ちようでもあるんだなあ」
分かる、分かる。僕もそう思います。
僕、この世界に来てから、色々なことを楽しめるようになった、と思う。楽しくないことを、諦めて楽しくないままやり過ごすんじゃなくて、楽しさを見つけながらなんとかやっていけるようになった、というか。
それ以上に、楽しくて幸せなことが沢山増えた、っていうことが大きいようにも、思うのだけれどね。でも、気の持ちようも変わったんだよ。本当に。
「さっきの話でもあったが、気の持ちようと言えば、水着と下着の違いもそうなのかもしれないな……」
「そっか……」
確かに、下着も水着だと思えば、水着なのかもしれない。気の持ちよう次第で、変わっちゃうのかも。
……でもね、先生。僕は、もう二度と、下着で水には入らないようにするよ。
それから、下着すら身につけずに水に入るようなことは、二度と無いようにする。うう……。
……と、そんな反省を抱いた、夏の日でした。
もし万一、読者諸賢の中にお心当たりの中石君がいらっしゃいましたら、なんかこう、元気にお過ごしください。




