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ベルーズド公爵フェリエスの軍勢一〇〇〇が、オルベル州南部の州都マルセイユに入った。港湾都市としての歴史ある町で人口は一万人を超える。しかしながら寂れた港に活気はなく、停泊する船の数も少ない。ここの整備を急ぎ、内海北側沿岸の中継港として成長を企むフェリエスは、それを成す為にまずは治安回復を優先事項にあげ、阻害である大規模な山賊を討伐すると決めていた。
オルベル州の提督マルセロ・ギュンドガンの出迎えを受けた大公は、すぐに側近を会議室に集める。進行を任されたのはクロエの兄ジェロームで、彼は若い主君の許可を得て、一同に向かって計画の説明を始める。
それを聞くフェリエスは、馬車の中で突然に落ち込んだ様子を見せたエミリを脳裏に描いていた。
黒い艶やかな髪は、持ち主の感情を反映させたのか輝きを鈍くしていた。陽光を浴びて喜ぶ新芽のような溌剌さは影を潜め、ただただ俯き何か悩む彼女を思い出す彼は、頬杖をつき考える。
あいつらしくもない。
エミリの可愛らしさは元気なところだというのに。などと思考を繋げたところで自らの考えに驚いた彼は顔をあげた。
それが進行役のジェロームを遮り、一同の注目が大公に向けられる。
フェリエスは首を傾げた。
「どうした? 続けよ」
「よ……よろしいので?」
「ああ……続けろ。部隊展開の続きを早く説明してやれ」
ジェロームからして、どう見ても心ここにあらずだった大公が、そう指摘してみせたのは改めて驚きを禁じ得ない事柄だった。
この人の頭の中はどうかしていると苦笑するジェロームが、説明を再開させたところでフェリエスはまたしてもエミリを考える。
彼女は確かに慣れない環境に放り出され、右も左も分からない不安の中で生活をしている。情緒不安定なのは仕方ないところに自分の事情をおしつけたかと反省した彼は、それでも健気なエミリに微笑む事ができた。
元来の人の良さからかどうかは不明なれど、彼女はフェリエスの申し出を受けてくれた。確かに護衛は彼女の居場所を作る意味もあるが、しかしそれ以上に、ロゼニアからの縁談への回答を引き延ばし、突然にやって来る暗殺者から身を守る実益もある。実際に襲われたとしても、フェリエスはこれまでの経験から深い眠りにつかないので、異変を感じ取れば身体が動く。であれば護衛はいらないとはならず、彼女がまず騒ぐ事で助けが早く駆け付けるし、彼自身も動き出しが早くなる。
だが、そういうものは全てフェリエス側の事であって、エミリには関係のない事だ。居場所もメリルの下で働くという方法もあった。
配慮し過ぎて足らずとなるか。
自虐する彼は、それでも自分に笑みを向けてくれる彼女が微笑ましい。
触れようとすれば離れ、離れれば寄って来る子犬みたいな奴だと笑った彼は、それは彼女が自分と同じく異性慣れしていないからだと理解する。
慣れたくもない彼は、だがエミリと一緒に並び座る時は楽しく思える自分にも驚いていた。馬車の中で、他の女性ならば退屈極まりないと機嫌を損ねそうな話題にも、彼女は付き合ってくれると感じた時、これらの想いこそ、自分が彼女をどう想っているのかと突きつけられた気がして、彼はたじろぐ。
音を鳴らして椅子を動かした大公に、ジェロームの声も止まる。
「殿下、お疲れのご様子。お休みになられたら如何でございますか?」
ハザルの労りにジェロームも頷き口を開く。
「殿下、連日の政務に加えこのご出征。山賊討伐など犬を黙らせるよりも簡単でございます。お休みになってください」
臣下達の気遣いに、エミリのことを考えていたフェリエスは自責と不愉快で表情を消し、後ろめたさから苛立ってしまった。
「お前達……お前達は俺に、面倒事は全て周囲に任せ、己は惰眠、惰性に浸るカスと同じになれと言うか?」
大公の声は静かなものであったが、二人の臣下はまず詫びる。それでも、様子のおかしな若い主君には休養こそが必要であろうと強情だった。
「お許しください。しかし時に臣下に任せるは大事と存じます。全て殿下がご判断なされておっては、我ら揃って馬鹿になります」
ハザルの言に、フェリエスは機嫌を直す。
「分かった。悪かった。俺は確かに疲れているようだ。先に休む」
側近達が立ち上がり、主君が退室するのを見送る。
フェリエスは総督府内の通路を歩き、用意された部屋へと向かった。
途中、今回の討伐戦の目的を改めて並べる。
治安回復は当然なれど、それだけではない。
千もの規模で軍事行動を初めて行う軍の実力を計る必要もある。
後方支援の部隊も、訓練通りに動けるか見定めるのも大事だ。
ベルーズド地方を、国軍の力を借りずに守るだけの実力を得るに、これは初歩だが大事な一歩だと彼は決める。
農民兵を中心とする軍であれば、兵数ももっと増やす事はできるが、彼はハザルの提言通り、常設軍にこだわっている。それはハザルとは違う理由で常設軍が良いと結論づけているからだ。
フェリエスは軍の強さは速度と組織行動だと考えている。
この速度には、行軍だけでなく、軍として出発するまでの準備も含まれ、さらに情報伝達、命令系統などなどが入る。
個人の武を誇る時代ではないと彼は考えるも、しかしそれも大事で、常設軍は練度を高く保てるので、個人と組織の戦闘力はやはり高い。
そういうものの為に、莫大な金がかかるのも事実だが、だが強い軍は時間がかかるものだ。
まだまだ満足いく強さと数ではないが、山賊討伐で得る情報を基に方針、装備、編制なども考えれば良いとも彼は考え、目の前の扉を開いた。
部屋に入る。
寝台の上に、エミリがいた。
彼女は寝台に突っ伏し動かない。
フェリエスは彼女の部屋と間違えたかと思ったが、しかし間違いなかった。
大公はゆっくりと彼女に近づき、うつ伏せの彼女を窺う。
「エミリ、どうした?」
「……」
返事がない。
悩み事はまだ続いているのかと、彼は腰掛け彼女に言う。
「顔を見せろ。悩みなら話せば楽になる事もあるぞ」
「……」
返事はない。
フェリエスは気分を害し、彼女の後頭部を軽く小突く。
「グー……スー……ピー」
エミリは寝ていた。
無性に腹が立ったフェリエスは、彼女の身体をひっくり返す。
寝台の上で大の字になった彼女は、しかしまだ夢の中で、髪に触れても頬をつついても目を覚まさない。それどころか、邪魔をするなと言わんばかりに無茶苦茶に手を動かして、それが彼の頭を叩いた。
「何というやつだ……俺を何だと思っているのだ」
フェリエスの抗議に、眠る少女が唇を動かす。それは確かに「フェリエス」と言っていて、彼は金髪をくしゃくしゃとかき回し、護衛のくせに主の部屋で先に眠る不届き者を眺める。
彼女の白い首が眩しく、だが彼はここで、頭痛に襲われた。
顔を顰めた彼は、寝台から離れて部屋の隅に逃げる。脳内でまた、あの声達が彼を襲った。
淫売の息子!
「違う!」
母が母なら子もきっとそうだ。
「違う……」
お前は生まれてきてはならなかったのだ。
お前は王家の恥部の塊だ。
「違う! 違う……」
彼はその場で崩れ落ち、両手で耳を塞ぐ。瞼を閉じ、幻想から逃れようと壁に額を打ち付けた。
フェリエスを囲む幻影達が、嘲笑い、罵る。
妾腹の子。
汚い子。
汚らわしい。
どうせ王の権力に色目で近寄ったのだ。
母親の血を継ぐこいつも生まれながらの淫売だ。
あの母は王冠とすら性交するかもしれんな。
この子をどうする?
死んでくれれば良いものを。
後宮の奥に閉じ込めておけ。
女達から王の寵愛を奪った女の子だ。嫉妬狂い共が八つ裂きにするかもな。
それがいい。浅ましい者同士で片付けばいい。
連れて行け。
閉じ込めろ。
この子は忌まわしい。
これは、忌まわしい子だ。
耳の奥から聞こえる声に、フェリエスは呼吸を荒げ、叫びたい衝動に立ち上がる。
だが、幻聴が消えた。
彼は、誰かに抱きしめられたと感じ、瞼を開く。
エミリだった。
彼女は、彼に正面から抱き着くと、心配げな瞳でフェリエスを見上げる。そして、その背中を撫でた。
「大丈夫? どうしたの?」
「……何でもない」
彼女が誘うように歩き、二人は寝台に座る。脇の卓に置かれた水差しを、彼女は手に取り杯に注いだ。
手渡されたフェリエスは、それを飲み干すと、立つ彼女の手を取り自らに寄せる。
「ちょ!」
「すまない。こうしていてくれ」
落ちた杯が床を打ち、転がる。
エミリを自分の膝に座らせた彼は、彼女の許しもないまま縋るように抱きついていた。小さな胸の膨らみを頬で感じた彼だったが、今はこうして彼女に守って欲しいとばかりに動けず、やがて背中を撫でられ、呼吸を整える余裕を取り戻す。
「フェリエス、大丈夫?」
「あの時はアレクシが迎えに来てくれた。今は……お前だったな」
彼の言葉に、彼女は首を傾げたようだ。
「しばらく、こうさせてくれ」
命令ではなく頼んだ彼に、エミリは無言で応えてくれていた。
-Féliwlice & Emiri-
雲がすごい速度で動いている。
建物などなく、どこまでも丘陵地帯が続くここは遠目に眺めたなら大地は波打っているに違いない。そこに続く街道の上を馬車は進み、その周囲を馬に乗った兵士が守る。そして前後に長い軍列は、公爵旗と大公旗を掲げて速度を一定に保ち東へと進んでいた。
人が歩く速度を保ち、等間隔で聞こえる車輪の回転音は心地よい振動を私に与えてくれた。
窓から外を覗き、進行方向の逆を見ると太陽が真っ赤だった。それは大地に半分ほど飲まれていて、西の空は濃いオレンジ色だ。漂う雲の腹もまた同じ色で、中天は赤と黒が混ざり合い淡く淀んでいる。進む東の空はもう星が瞬いていた。
日本ではまずお目にかかれない光景に、私は胸の奥が熱くなる。
でも、視線を落とした先に騎乗のフェリエスがいて、見惚れた。
金色の髪を夕陽で輝かせた彼は、背丈ほどもあるマントで身体を隠している。金色の縁取りが美しい赤地のそれは、アルメニア王族にしか許されない色使いであると学んだ私は、ベロア家の旗印が描かれたマントに見入った。
ふと馬を寄せてきたハザルさんと目が合う。
「殿下を見て健気だな」
「私は健気ですよ」
「はっは! 笑わせる……怒るな。それより昨日はご苦労さん。殿下もすっきりなさった顔をされている。お前、意外とそういうの得意なのだな?」
そういうの?
よく分かりませんが、褒められて悪い気にはなりません。
「殿下も王宮で長く……美女ばかり見て飽きておられただろうから、お前みたいな素朴なのがいいのかもしれんな」
てめぇ! 表出ろや! ブッ飛ばす!
馬車の窓や扉をガンガンと蹴り殴る私を見て、彼は大袈裟に脅えて見せた。
「おお、恐い! いやぁ、お役目とはいえ、妾も護衛もしっかりと務めているな! 結構、結構」
ハザルさんは笑いながら離れて行った。
私はそれを眺め、どうやらあのおっさんが言う、そういう事というのは、エッチィやつだと想像し、セクハラを受けたならば仕返しをすると決める。
勘違いも訂正されなければ事実となる。
これはアレクシお爺ちゃんが講義で教えてくれた事ですが、これも当てはまるのかもしれない。
どうやら片目のおっさんは、私が昨夜、フェリエス相手にあれやこれやと尽くしたものだと勘違いしている可能性が非常に高い。
いや、あれは決してそういうものではなかったが、あのまま眠ってしまった彼を起きるまで抱きしめていた私は、とっても癒しになれていると思うのですよね。逆に、あれ以上を求められたら、間違いなく役者不足です。
よけいな事を考えているうちに目的地に到着したようだ。
馬車から降りた時、忙しくキャンプの準備をする兵隊さん達を見る。テントが大量に設けられ、篝火もたくさん燃やされ、何やら良い匂いもします。
ここで私は片目のおっさんを見つける。
兵隊さん達に何やら指示を出す彼の後ろに、猫もびっくりの忍び足で接近し、渾身のグーパンチを彼の脇腹に叩きこんだ。
「!」
咄嗟のことにも身体を捻って対応したのはさすがだが、私の拳はしっかりとハザルさんの脇腹にめり込み、片目のおっさんは苦し気に悶える。
「おお!?」
「閣下!?」
「エミリどの!」
兵隊さんに叱られる前に、テテテと撤退した私。
何か手伝いがいるかとウロウロとしていると、ジェロームさんを見つける。
「ジェロームさん、今日はここで寝るの?」
クロエちゃんのお兄さんは頷き、いつもの笑顔で口を開く。
「ええ、ここで夜営をしますよ。といっても、夜半から早朝にかけて山賊の拠点を攻撃しますけどね」
そうそう、キャンプじゃなくて野営ね。
「私に手伝える事あります?」
彼は笑うと、首を左右に振った。
「貴女はそのような事をせず、ただ座っていれば良いのですよ」
二人で歩き、進む先にフェリエスを見つけた。
彼は馬に乗った兵達さん達を集め、何やら指示を出している。
私はわかります。
あれは斥候というやつで、情報を探りに行くのです。そして、持ち帰るのです。その情報を基にあれやこれやと考え、手を打つのです。
「フェリエス、忙しそうだし、廻りに護衛がたくさんいるから大丈夫そう」
私の言葉にジェロームさんは、「ならば」と違う方向を指差した。
そこは柵がされていて、近づけば、茶色に黒の毛並が可愛い中型犬がウロウロとしていた。垂れ耳で、短足で、中型犬といっても小さな部類だろう彼等は、私の世界ではビーグルという犬種に似ている。
「ゴーダ犬です。軍用犬として連れてきたんですが、餌をやってもらえますか?」
人懐っこい彼等は尻尾を振って私に近づいてきた。とても危険な任務をするワンコ達には見えません。
「この小っこいのが役立つの?」
ジェロームさんは笑った。
「追跡、探索、伝令に使います。持久力と馬力があるんですよ」
私はドッグフード係として、彼等の為に用意された餌の樽を見た。人参やらキャベツやらジャガイモやら、何かの肉やら……良いもの食べてやがる……。
仕事に戻ろうとするジェロームさんに手を振って別れた私は、犬達に餌をやりながら、その愛くるしさに戦場にいるのだという感覚を忘れていた。
戦争なんて、遠い国でやってるもので、自分には関係ないことだと思っていた。
ニュースの中で見るものだと、私はまだ思っていたのです。
私はまだ、この世界の事をよく知らなかったのだ。
私は甘かったんです。
-Féliwlice & Emiri-
私の眼前には巨木が連なる立派な森がある。地図で見ると森の北側には大きな川が流れていた。フェリエスは東と南、西から包囲した。森の南側、風上の位置に陣取ったフェリエスの本陣で、私は降伏を呼びかけるものを今かいまかと待っていた。
隣には、甲冑姿の大公殿下がいる。
篝火の弾ける音が煩く、私は落ち着かない気持ちは身体に合わない胸当てのせいだと決めつけている。
脇に当たって痛い……。
女性用の甲冑は全て胸当てがブカブカで、旅先から急きょ、ここまで駆けつけてきたハザルさんの弟、アリストロさんが少年用の胸当てを用意してくれたのですが今度は窮屈で痛い。これがぴったりであったらショックで倒れていた私は、苛立ちながらも安心もしている。
「エミリ、痛いのか?」
「合わないよ」
「だがはずすなよ。流れ矢にでも当たれば危ないからな」
「はぁい」
しかし兵隊さん達はすごい。
鎖帷子の上に甲冑を着込み、剣やら盾も持ち動き回るのだから。
伝令の人達が忙しく動き回る。
「しかし殿下がいつの間にか可愛らしい護衛を手に入れておられたとは驚きです」
ハザルさんの弟、アリストロさんの言葉に私はエヘンと無い胸を反らす。
お兄さんと違って上品な顔立ちの彼は、聞けばハザルさんとは母親が違うそうです。二人の父親は、ハザルさんを生んだお母さんに死なれ、次に迎えた妻にアリストロさんを生んでもらったそうで、なるほど、微妙に似ていると感心する。母親の差がこうまで顔に出るかと驚くと同時に、目や鼻はそっくりなのですね。
「そろそろだな」
フェリエスが立ち上がる。
アリストロさんが旅姿のまま立ち去った。
松明や武器を持つ人達が作る賑やかな波紋は広がった。
投石器のようなもの組みあがり、樽がいくつも運ばれてきた。
何か、予想していた展開と違う。
お前達は包囲された! 出てこい! とやらないの?
「始めろ!」
フェリエスの大きな声に、士官達が散る。
投石機に仕掛けられた石には、油の染み込んだ布が巻かれ、兵達さん達がそれに松明で火をつける。
弓矢を持つ人達も、矢先を篝火に入れ火をつける。鏃には油が染み込んだ布を巻き付けてあったようだ。
ドン! という最初の発射音が投石器から聞こえた。
それは次々と重なり連なり数を増し、明けきっていない夜空にいくつもの火の玉が放たれる。それを追うように弓矢が空を駆けた。
残酷な流星群は美しく、静まっていた森に次々と降り注ぐ。
「第二射!」
「装填!」
「矢は一定の間隔で撃て!」
士官達の声。
森は暗闇の中に赤い点をいくつも作り、それらは引き寄せられるかの如く集まり、揺らぐ炎は巨大な生物のように咆哮をあげ、のたうち暴れ森を飲み込み、残酷な破壊を齎す。
「嘘……」
兵達さん達は手を休めない。
ありったけの火球と火矢を宙に放ち、暴力に特化された機能美は、私の困惑を無視して静まる気配などない。森はたちまち炎に包まれ、動物達の悲鳴が闇夜を裂いた。
私は大公殿下を見る。
彼は、恐ろしいまでに冷めた青い瞳で私を見た。
篝火に照らされた彼は綺麗だからこそ息を飲む程に冷徹で、無感情に見えた。
-Féliwlice & Emiri-
フェリエスは燃え上がる木々を眺め、焦げ臭い煙に目を細めた。
明け方の空を染めた炎は渦巻き黒煙を噴き上げる。風を受けてますます勢いを増して、猛り狂う。鳥達がそれから逃れようと、淀んだ空に飛び立ち散った。
千を超える軍勢で山賊を討伐するのは、徹底的に潰すという意思の表れだと領内全域に示し、これによる影響も考えての事で、彼はここで手加減など微塵も考えていない。
「フェリエス、降伏を勧めないの?」
控える武官姿のエミリが、茫然として大公を見たが、その瞳は恐怖と怒りで震えていると見たフェリエスは答えない。
ゆえに彼女は大公に詰め寄る。
それをジェロームが止めたが、エミリはどうやったか説明不能の技で彼を大地に転がせた。
「見ての通りだ。森を焼けば悪党共は出てくる。そこを皆殺す」
「諦めて出てこいと言えばいいじゃない!」
フェリエスは正面を見据えたまま、少女に視線を転じた。氷のように冷たい視線を彼女に向けたのは、そうでもしないとエミリの迫力に負けてしまいそうな自分に気づいたからだ。
「俺はお前の意見を聞く必要はない。俺は、部下達の被害を最小限に抑え、目的を達成する責任がある」
エミリは激しく瞳を揺らすと、大きな二重の目を濡らした。長い睫を湿らせた滴は、彼女の白い頬を伝って落ちる。
この時、前方で兵達の怒声があがる。
いぶりだされた山賊達が、一握りの希望を信じて突撃をかけてきたらしい。
ジェロームが声を張り上げた。
「まともに相手するな! 矢で射殺せ!」
弓弦が空気を斬り裂き、凄まじい初速で放たれた大量の矢が黒煙の中で絶叫を多数、発生させる。
「敵多数! 斬りこまれます!」
「防げ!」
森を包囲する為に部隊を散開させたのが裏目に出たのかもしれない。山賊の頭領はただの荒くれ者ではなく、薄い敵の中でも、本陣を急襲したあたり、頭も使えるのかもしれない。
公爵軍の兵士達が盾を並べ、突進して来る集団を迎え討つ。
高らかな金属音に、悲鳴と怒号が重なり、絶叫へと集約される。
「押し返せ!」
ジェロームの抜音に、兵達の咆哮が連なる。
わずか数十フィル(数十メートル)先の光景にフェリエスは舌打ちする。初陣は何があるか分からんと吐き捨て、ここで自分も戦闘そのものは初めてだと思い出した。
「これが戦闘か……王宮のほうが恐ろしいわ」
彼は薄く笑い、前に出る。
戦う兵達の為に、仁王立ちして声を荒げた。
「兵よ! 皆の背を見ている! 俺を守れよ!」
恐ろしいまでに士気と忠誠心を刺激された兵達が、山賊達を圧倒していく。それでも撃ち漏らした者達がフェリエスに迫るが、駆け戻り立ちはだかったハザルが右に左に斬り払い防いだ。
それでも、山賊の頭領と数名が突破した。
「エミリ!」
ハザルが叫んだ時、大公は彼女を諦めていた。
それほどまでに、役に立たないと思われる棒立ちの彼女であったが、エミリは動いた。
黒髪を舞わせ、踏み出した右足に左脚を揃える動作と共に、右手で剣を抜くと払っていた。そして迫る敵兵の斬撃を左に躱すと同時に、剣を斬り上げている。くるりと回ったのは舞っているより優雅で、素早い動きも洗練されて緩やかに見える。
彼女とすれ違った山賊二人は、もつれ合うようにぶつかり倒れた。
だが、彼等は生きていた。
エミリは戦闘力を奪うだけに止めたのだ。
そうと気づいたにも関わらず、フェリエスは自らの剣で二人の首を斬り、突いた。
「フェリエス……」
どっと涙を流した彼女に、大公は何も言わない。
この時、山賊の頭が叫ぶ。
「大公! 殺してやる!」
彼は叫びフェリエスに駆ける。しかし、敵を討ち払ったハザルがその行く手を阻む。この達人は、頭の大剣を剣で受けると同時に、その懐に大きな身体をくぐりこませ、肩でぶつかり敵の態勢を崩すと剣を突き、払った。
腹部を裂かれた山賊の頭は、それでも剣を投げてフェリエスを狙ったが、泣きながら無造作に剣を動かしたエミリに防がれた。
「下郎が……俺に剣を投げるか」
大公の声に、血に濡れた頭の怒声がかかる。
「何が王族だ! 俺達から絞れるだけ搾り取ったくせに! ゴミのように捨てやがって! 恥を知れ!」
「カスが……偉そうな事を言いおって……弱い臣民ばかりを狙うお前が言えることではない」
腹を押さえ、蹲る男は諦めたように大公に深く一礼した。
「頼む。俺の命で、仲間を助けて欲しい」
フェリエスは嘲笑した。
「愚かな事を……初めからおとなしくしておれば仲間も死なずに済んだであろうが……お前の軽挙、手下達の見る目無さを惜しめ」
ハザルが剣を一閃した。
蹲っていた男の首が胴体から斬り離される。
「皆殺しにしろ!」
フェリエスの怒声に、兵達の喚声が起こる。
炎は激しさを増したが、人間達の争いはそれに反比例するかの様に収束へと向かう。
東の空が黄金色に輝き始めた時、公爵軍は最後の山賊を討ち果たし勝鬨をあげる。
興奮した兵達の中で、冷めた目でフェリエスを見た少女が、山賊の頭の死体に近づく。
「何をするつもりだ?」
問うたフェリエスだったが、エミリの毅然とした態度に見惚れる。
「埋葬します」
予期せぬ言葉と、少女に見惚れた自分に驚く彼は、動揺を押し殺して口を開く。
「埋葬? こいつは悪党の頭だった男だぞ」
「それでも人間だよ!」
叫んだエミリに、周囲の者達がざわめく。
ハザルが口を挟もうとするも、ただならぬ二人の権幕に足を止めた。
「エミリ、お前は俺を非難するか?」
「この人は悪い人だったと思う。罪のない人を傷つけた悪い人だと思う。でも、こうなって当たり前の人だったって言い切る事ができるの?」
「できる。俺はそうする。なぜな……やめろ!」
フェリエスは怒鳴った。
エミリが、男の遺体に触れようとしたからだ。
だが、彼女は彼の気持ちを無視した。それどころか、大公が伸ばした手を激しく払うと、信じられない言葉を吐いた。
「触るな!」
ハザルが息を飲む。
周囲の兵達は誰もが動くことができず、呼吸すら止めたように固まる。
エミリは、フェリエスすら触れるのを躊躇うほどの怒りを周囲に発散させ、一同を睥睨する。そしてその瞳は、大公を映した。
「人殺し! お前ら皆、人殺しだ! 彼等と一緒だ! 彼等を一方的に悪く言う資格なんてない!」
大粒の涙がエミリの目からこぼれた。
「俺を……このクズ共と一緒だというか?」
大公の声は激しく感情に乱れた。
「エミリ! 謝罪しろ!」
急ぎ彼女に駆け寄ったハザルは、怒るエミリの肩を掴む。その手を取ろうと彼女が反応した時、彼は自分の手を囮に彼女の膝裏を蹴り少女の態勢を崩す。一瞬の攻防は瞬きするほどの間で行われ、滅茶苦茶に暴れる彼女を抱えたハザルは、大公の前からエミリを連れ去った。
ここはとにかく彼女を落ち着かせる。
これを決めた彼によって、エミリは暴れるも完全に抑え込まれ解けない。
「離せ! 離せっつってんだろ!」
少女を抱え移動する隻眼の武人に、ジェロームが手を貸す。二人がかりで本営から引き離した。
「落ち着け! エミリ、落ち着け!」
ハザルは彼女を立たせると、その肩を掴む。
彼女は、涙と怒りで充血させた両目で彼を睨んだ。
「いいか? 彼等をここで許せば示しがつかん。それに手ぬるい事をすれば殿下が舐められる。こうする他ない!」
納得していない彼女に、ハザルは続ける。そして、いつの間にか彼女の為に、こうしている自分に驚きながらも、健気に文句も言わず訓練に警護に手を抜かないエミリを見る自分がこうするのは自然かもしれないと納得もする。そんな内面を表に出さない彼の言葉は、どう彼女を説得すればいいかではなく、どう問いかければエミリは考え始めるかという類のものだった。
「お前がもし、大切な家族を殺されたり、さらわれたりしていたら許せないと思うはずだ。違うか?」
彼女は黒髪を揺らして視線を彼から逸らす。
「お前は、目の前の事実だけを見て殿下を非難した。それは一方的な批判でしかない」
ここでジェロームが妹の親友に微笑みを向け、だが厳しい言葉を紡ぐ。
「エミリどの。殿下は十の人間を殺す事で百の命を救う決断をしなければならないお立場です。もし、貴女の信条がそれと相容れないとしても、だからといって殿下を非難するのは間違っている」
言いながら彼は、目の前の少女がひどく薄く感じられた。
「これからも、今回のような事がある度に殿下を非難するのであれば、悪い事は言わない。貴女は殿下の前から去るべきだ。なぜなら、それがお互いの為だからです」
黒髪の少女がジェロームを見た。
「貴女はあくまでも、殿下のご厚意で留まっているに過ぎない。殿下の許しがなくとも、姿を消すことはできます……でも」
彼はここで、彼女の手を握る。
剣の稽古をしてきたであろう彼女の手は、剣蛸があり、彼は優しい声色を苦労せず出せた。
「……でも、クロエが寂しがるから私は貴女に留まって欲しい。だから、殿下のお立場を理解しようと努力してほしいと思います。そうする事で、殿下も貴女の信条を理解しようとなさるでしょう」
エミリが俯き、肩を震わせる。
ハザルは、生意気で真っ直ぐな少女の想いもまた分かる。しかし、それは彼女をとても苦しめるとも分かっている。突然にこの世界に現れたという彼女が、暮らしていた世界がどんなところか彼は知らない。
しかし、この世界は嫌というほどに知っているのだ。
彼女はどうしてこの世界に現れた?
ハザルは思う。
彼女にとって、この世界は酷だろう。なぜなら、今日の様な事など珍しい光景ではない。特にフェリエスの近くにいれば尚更の事だ。
無言で佇む大公の幕僚二人は、顔をあげて歩き出した彼女を、守るように左と右に並んだ。
「私、酷い事を言った。フェリエスに謝る」
「うん」
不敬を無視したハザルが頷く。
「でも、埋葬はする」
そう言った少女に、ジェロームが頷いた。
「はい。手伝います」
クロエの兄が横目でハザルを見る。
片目の男は、苦笑と共に応える。
「わかった。手伝おう」
エミリは、乱暴に涙を拭いて、歩いた。




