19.私のための祝福
****
それから。お互いにそわそわした空気を醸しながら、車内に収まった。
「本当に良かったんですか?私がやったこと、報告しなくて」
「問題ない。元々《祝福》なんてシュリエですら説明できないんだ。鑑定局に分からないものが他の部門に分かるとは思えない」
あの後、イルード班長から離れた瞬間にやってきたザイ課長に見つかってしまったのだが、無断侵入を咎められることはなかった。
『もしかして、本当に解除したの?この範囲の《祝福》を?』
茶色くなった花畑を指差して、課長は笑いを堪えていた。何故か状況を理解しているらしい課長の前で、イルード班長は私の肩を抱いた。
『彼女のことは内密にお願いします。今から家に送っていくのでしばらく抜けますが、直ぐに戻ります』
『分かった分かった。多少遅くなってもいいぞ、どうせ今日は俺もお前も休日だ。これさえどうにかなりゃ、おじさんはもう何でもいい』
そんな意味有りげな会話を交わしたイルード班長に連れられて、解除課の助手として堂々と見覚えのある王城の敷地内を歩き、イルード班長が乗ってきたらしい局の車に落ち着いたところだ。
「それに、もう二度と《祝福》に君を取られてたまるか」
少しだけ悪い顔で、イルード班長は悪態をついた。次から次へと新しい魅力を見せられ、心臓がいよいよ飛び出てきそうだ。
イルード班長の格好よさが、天井知らずで恐い。
「あ、あの、勝手に来たのに送っていただいてすみません。局の車なのに…!」
イルード班長の雰囲気に呑まれると命が危ういと思い、どうにか話題を探す。
「それも気にするな。これからクユイが残す功績の方がきっと価値がある。ただ、《祝福》をかけることだけは、してくれるなよ」
車にエンジンをかけながらイルード班長は真剣に言った。ついに心臓がどこかに行ったかもしれない。
シュリエは《祝福》という稀有な力を認められた結果、国に利用されたと言っても過言ではない。その過去を踏まえてその言葉をくれるのが、あまりにも嬉しい。
「わ、私も!離れたくないので…!大人しくしてます!」
「いい子だ」
くしゃりと頭を撫でられた。
「ひゃあああああ」
叫んだ。普通に叫んだ。
「静かにしなさい」
「そんなこと言われても!イルード班長はご経験がおありかもしれませんが!!こちらは初心者なんですよ!ちょっとは手加減していただかないと!」
恋人がいたことのあるイルード班長には、私のこの初心な恋心なんて分かるまい。
勢い良く捲し立てると、イルード班長は片手で耳を塞ぎながら車を発進させた。恐いので大人しく座席に座り直す。
「そうか、クユイは初めてか」
ぽつりと零したイルード班長に、私は頬を膨らませる。
「子どもだって馬鹿にしてます…?」
「何故?全部俺のものかと思っただけだが?」
だ!か!ら!手加減をしろと、あれほど…!
「ぐう……」
頭を抱えた。もうどうしたらいいのか分からない。今すぐ外に飛び出して駆け出したい。
だけど、少しだけ、ほんの少しだけ、気になってしまうことがあるのは仕方のないことだろう。
「前の恋人さんは…どんな人だったんですか?」
「そういえば…何故君も俺の元恋人の件を知っているんだ」
軽やかに話を逸らされた気がする。バカだから分からないけれど。
「言いだしっぺはラグー先輩ですけど、少なくとも解除課はみんな左頬を見て察してましたよ」
「……」
眉間に深い谷ができた。あれで隠しているつもりだったのなら、イルード班長の可愛さに私はまた悶えることになる。
「何して頬を打たれたんですか?」
「寝言で…」
吐息混じりの小さい一言は、このけたたましい動力音の中にあってもしっかりと私の耳に届いています。
「寝言?」
「呼んだらしい。シュリエとかクレアとかフィエロとか…」
気まずそうに顔を顰めながら、イルード班長は吐き出した。
「イルード班長も過去の夢、見るんですか?」
「ああ…」
道理で私の夢の話をすんなり聞き入れてくれたわけだ。同じ現象が起こっていただなんて。
「クレアの名前まで覚えていらっしゃったんですね」
「当たり前だ…忘れるわけがない」
クレアがジョルア伯爵の屋敷に使用人として入り込んでから、そう経たずに伯爵は息を引き取った。対面したことなんてほんの数回しかない。
「…あれからクレアは何年生きた?」
「どうだったかな…やっと会えたマキトの魂が消えたことが衝撃で、その後のことはあんまり覚えてないです」
クレアとしての人生は、やたらシュリエを神格化している貴族がいるというのを聞いて、前世を思い出したところから始まったようなものだ。
どうにか伝手とコネを辿って使用人として雇ってもらえたと思ったら、当のジョルア伯爵は帰らぬ人となってしまった。生きる意味を見失うのも当然のことだろう。
まあそれでも《祝福》は消えなかったし、適当に楽しく生きたような気がするなと、ぼんやりクレアのことを思い返していると、ふいに、イルード班長は雰囲気を変えた。
「なあシュリエ」
まるで、時が戻ったかのようだった。声は違うのに、声色はそっくりだ。
「……なあに?マキト」
逡巡の後、その呼びかけに乗ることにした。懐かしくて胸が擽ったい。
「あの箱に何をしまったんだ?」
ほっこりしたのは一瞬で、背筋が凍った。
…あの箱とはきっとあの箱だろうな。思い当たる箱といえば一つしかない。私が大怪我を負い、入院することになった原因のあの箱だろう。
中身は何かと訊かれれば、シュリエが捨てられなかったマキトへの気持ちを深夜の気の迷いで綴ったものなのだから、俗に言う恋文で間違いない。そんなものを本人に晒せとでも?言うつもりなの?
「……」
「………」
しかもわざわざマキトとして訊いてきたってことは、それはつまりマキトがあの箱の存在を知っていたということなの?否、そんなわけはない。あれはちゃんと隠してしまっておい…たと思ったけどシュリエが死んだあとまさかマキトがあれに触っていたりなどしちゃったりしちゃって…? それで開けようとして失敗したとか?まさかマキトが怪我をしたなんてことはないよね。ないと言って。でもそんな話をしたら余計に中身を気にされそうで訊けない。どうしよう。
「あ、見てくださいイルード班長、あそこにかわいい犬が」
「俺にも言えないことか」
混乱に陥ったので話を逸らそうと思ったのに、イルード班長のようにはいかなかった。こういうとき、バカが憎い。私も機転をきかせられる大人になりたい。
そんなことは置いておいて、あなたにだからこそ、言えないことなのですが…!?
「…否、その…なんていうか」
「……」
こんなとき、シュリエならなんと言うのだろうか。シュリエとして始めた会話なのだから、あの頃の気持ちを思い出してみよう。
「お、女は一つくらい秘密を持っていたほうが」
「秘密なんてなくても君の魅力ならいくらでもあげられるが?」
間髪入れずに反論された。顔が熱い。もう勝てない!
「くっ……」
イルード班長が本気で私の息の根を止めようとしている。心臓発作か鼻血による出血で死ねる自信がある。
「自分を省みずに他人を優先できるところ、こうと決めたら意地でも曲げない強い心」
「ちょっと待ってやめてください本当に死んぢゃうから!それ以上は無理です!ごめんなさい許して」
両手で顔を覆って必死に訴える私を、横目でちらりと流し見たイルード班長の表情にとどめを刺された。
「だから死ぬんじゃない」
そう窘める声色すら甘くて、絶命寸前だ。
「ダメだって、言ってるじゃないですか…」
明らかに昨日までと性格が違うではないか。誰だイルード班長をこんなにしてしまったのは…シュリエか、シュリエがいけないのか!
もだもだしていると、車が止まった。どうしたのかと思って指の隙間から様子を窺うと、横から手が伸びて、頭がぽすっと覆われる。
「俺も…浮かれているんだ、許せ」
耳元でなんて爆弾を落としていくのかこの男は。
「むりいいいいいいい」
「着いたぞ」
「うわあああああああ」
私だって浮かれている。イルード班長に負けないくらい、浮かれている。
それぞれの人生だって決して幸せでなかったわけではない。それなりに楽しんでその生を終えた。
けれども、シュリエとマキトが叶えられずに未来に託したこの想いは、今私たちが手にしたのだ。
これから私たちは、八人分の想いをのせた《祝福》を、成就させるために生きていく。
「先は長いな」
イルード班長の笑顔が、ついに私の意識を奪ったのだった。
御覧いただきありがとうございました!
思いついたらおまけの更新をするかもしれないので、
評価、いいね、感想などいただけましたら嬉しいです。