吸血鬼・フェルド ①
『巫女』を背負い、洞窟の中を進む颯斗の姿があった。
獣人たちは、突然『巫女』を連れ出した颯斗に対し、心良くそれを見送った。
先ほどまでは命に代えても惜しくないと言っていた獣人たちが何故颯斗のこんな行動を許したのか。
それは先ほどの回復魔法を一人一人に施していた時に理由がある。
颯斗は、回復魔法を施すついでに、彼らの記憶に干渉し、颯斗の言葉に疑問を感じないようにしているのだ。
だが言うに容易いが、それを実行するのは並みの魔法の使い手ではその方法も思いつかないだろう。
人の精神に干渉する魔法と、記憶を書き換える魔法。
精神魔法については、以前に颯斗が心を丸ごと読んだ暗殺者が、記憶を書き換える魔法に関しては錬金術師が知っていた魔法だ。
その組み合わせによって、本人も周りも気づかない様に颯斗の言いなりになる獣人が一気に増えた事になる。
颯斗にとっては、彼らは良い練習台なのだ。
酷く摩耗した精神は颯斗の魔法を抵抗なく受け入れ、傷ついた体を癒し、なおかつ予言に出てくる救世主であるという颯斗への信頼が、この魔法の成功率は格段に上昇させた。
無論、通じなければそれはそれで構わない事だった。
『巫女』は、未だに反応がなかった。
颯斗の精神魔法を掛けるまでもなく、『巫女』の精神は正常ではない。
度重なる非道な光景を前に、『巫女』の精神は自ら閉ざしてしまっている。
本人は、颯斗に背負われている事にも気づけていないだろう。
だがそれは好都合な事で、事が済むまではこのままでいてもらおうと思っている。
「それにしても、エラノアさんって結構強いんだね」
視覚ではなく、感知魔法が伝える洞窟内の状況に、颯斗は感心する。
エラノアが洞窟の中に侵入っていることは、既にわかっていた。
それだけではなく、既に二度、戦闘を済ませているのだ。
その相手はどちらも颯斗が見逃した相手だが、対峙して間もなく片方の反応が消えている。
大した相手ではないとはいえ、吸血鬼の能力は脅威となるはずも、エラノアはその対処法を知っているのだろう。
苦戦した様子はなかった。
「エラノアさんは真面目だからなぁ。出来れば来る前に終わらせたいけど……」
颯斗が進む先にも、四つの反応があった。
その内の一つは、獣人たちの中で一人走り去った男のモノだと思われるが、他の三つは吸血鬼の仲間とみても間違いないだろう。
ただ、その中の一人が桁違いに大きな反応を示している。
颯斗の感知魔法は、生命をより色濃く感知し、颯斗に知らせるものだ。
つまりその一人は、この場にいる誰よりも強い生命力を持つことになる。
当然、颯斗を除いてだが。
「少し急ごうか」
* * *
「隊長、この者は如何致しましょうか?」
息一つ乱さず、侮蔑を込めた視線から一転し、感情の窺えない目に戻った優男が、隊長と呼ぶ男に振り向く。
その優男の足元に、血だらけの獣人が転がっている。
獣人の名はガハド。
テルトの村の戦士にして、誇りある獅子の獣人ではあったが、その姿はひどくみすぼらしく、小汚くすらあった。
傷だらけに見えるが、それでも生きてはいるようだ。
「放っておけ。我らの目的は、そのような木っ端等ではない。だが、この男には幾つか聞かねばならん事がある」
隊長と呼ばれた男が、倒れ伏すガハドに近づき、その髪を乱暴に掴みあげる。
「ぐっ」
「聞こう。どうやって私の部下の手から逃れた?」
「……」
男の言葉に、ガハドは沈黙を選ぶ。
地下の洞窟に眠る、神代の遺物と巫女を守る役目を担う戦士であるガハドは、痛みに屈し己の身命を売るような男ではなかった。
ただ圧倒的な戦力差の前に敗れたが、彼はいまだに諦めていない。
その視線の奥に、満身創痍となった身体を酷使してでも男たちを食い止めるという覚悟があった。
「ふむ……」
沈黙を選んだガハドに、男は困ったように息を吐く。
その次の瞬間、洞窟内にグチャっ、とも、ゴギィっ、とも分からぬ、何とも言えない不快な音が響き渡る。
それより遅れて、ガハドの苦痛に喘ぐ悲鳴が響く。
「ぐああああああああああぁァァァ!!!」
「ふむ、何だ喋れるではないか。ではもう一度聞くとしようか。どうやって私の部下の手から逃れた?」
先ほどの音は、男が踏み抜いたガハドの片足が砕けた音だった。
その音が物語る様に、ガハドの片足の骨は粉々に砕け、肉を突き破って外に飛び出し、凄まじい苦痛をガハドにもたらす。
苦悶に歪むガハドの顔。
だがそれでも、ガハドは口を割らなかった。
「喋らぬか。まぁ、それも良い。直接確認すればよい事だからな」
「はっ。今すぐに」
男はガハドを乱暴に放し、優男に向き直る。
優男は、男の言葉から意味を汲み取り、すぐ様に動き出した。
「キシリが敗れる程の者がおるならば、それはそれで我々の目的としては僥倖ではあるが、望むべくもないか。大方、キシリが適当に遊んでいるだけだろうよ。しかし今回の件の不始末は、奴らの首を貰わねばならんな」
今回の神代の遺物の強奪は、入念な準備と手回しを済ませていた。
神代の遺物の存在をするルーテリア王国、その上層部への手回しによって村の壊滅の発見を遅らせ、手早く、迅速に村を襲撃する。
あとは神代の遺物の居場所とその鍵の在り処を知るだけだったが、この部分で難航してしまっていた。
鍵の在り処と遺物の眠る場所を知っているのがただ一人という徹底。
『巫女』という存在を傷つけてはいけないという縛りが、これほどまでに時間の掛かった要因となっている。
「フェ、フェルド……様……」
優男の帰還を待つ男――フェルドが耳にしたのは、今にも消え入りそうに自分の名を呼ぶ優男の声だった。
訝しみ、その声が届いた方に視線を向けたフェルドが目にしたのは、優男の頭を鷲掴みにし、その身体を引き摺りながら歩み寄る少女を抱えた少年の姿だった。
「おや? まだ喋れたんだね、この人」
何が起きているのか分からないフェルドに構わず、少年は笑みを浮かべて、そのまま優男の頭部を握りつぶす。
トマトでも潰すかの様に簡単に優男の頭は潰れ、血と脳漿をまき散らして倒れ伏し、そのまま再生する様子もない。
少年は手に付いた血と脳漿を払い、フェルドに近づく。
「さて、どうやら貴方がこの件の最後の一人のようだけれど――」
少年がある程度フェルドに近づいた頃合いに、フェルドは高速で動き出した。
一瞬で目の前の少年の力量を見抜き、そして何百年と生きた経験がフェルドに最大限の警鐘を鳴らしたのだ。
最上の脅威として、フェルドは言葉も交わさず最短かつ最適の一撃を少年にぶつける。
「全く、少しは僕の話を聞いてくれないかな?」
「何っ?!」
分厚い金属すらも容易く貫くフェルドの一撃が、しかし少年には届いてすらいない。
それよりも早く、フェルドの身体は動かなかった。
「しかしこれは便利だよね。視るだけで動きを止められるなんてさ」
フェルドは見た。
少年のその黒い両の瞳に浮かぶ、複雑な魔法陣を。
「魔眼……だと?! しかもそれは!」
「そう、貴方の仲間が使ってたやつだよ。魔眼って言っても、結局は魔法と変わらないからね。再現するのは簡単だったよ」
少年の目に浮かぶ魔法陣は、フェルドの部下であるキシリが持っていた魔眼そのものだった。
魔眼の多くは、先天的に生まれ持つ才能とされ、その殆どは種族ごとに受け継がれている。
魔眼を持つ、という事自体が魔族の証明であり、人間がそれを持つ事はほとんどない。
「貴様……何者だ?」
「あぁ、そういえば名乗ってなかったね。僕はハヤト。貴方の敵だよ」
一気に膨れ上がるフェルドの警戒に対し、颯斗は笑みを浮かべたままだった。




