2話
王国魔導士。
それは魔法を扱う魔法使いの中でも、特に優れた技能と知識を有する者に与えられる特別な位だ。
特に王国魔導士・ティナといえば、その偉業は他国にまで知れ渡っている。
だがその反面、彼女の顔はあまり知られていない。
ルーテリア王国主催の舞踏会や、祝勝会、あらゆる催しに参加しない彼女の顔を知っているのは、王と一部の貴族、そして彼女の世話をする給仕数名だけだ。
颯斗がティナの部屋に入ると、まず目に入るのは本の山であった。
足場がないほどに乱雑に、天井に届くほどに積み上げられているのは全て魔法や錬金術に関わるものであり、中には値段もつけられないような高価な、魔導書の類も関係なく眠っている。
そんな足の置き場もないような部屋で、ティナを見つける事は容易だった。
彼女はいつも、部屋の中に一つしかない机の前で作業をしている。
王国魔導士である彼女は、同時に錬金術師でもある。
その作業の多くは秘匿された内容であり、時に王国に多大な貢献をもたらす為に王もその殆どを把握していない。
颯斗はひとまず、ティナが作業を終わるのを待つことにした。
集中している彼女は、部屋に誰が入っても気づくこともなく、例え盗人の類が部屋に入っても気にもしないだろう。
不用心この上ないが、部屋ではなく、彼女自身を狙った場合はその愚かさを即座に思い知る事だろう。
現に、隙だらけの今であってもティナは自身に多くの魔法を重ね掛けしており、生半な攻撃では傷一つつけられず、それどころか即座に灰に変えられるだけの魔法が彼女の意思に関係なく発動する。
適当に座れる場所を作って待っていると、十分ほど経過してようやくひと段落ついたのか、背伸びをする彼女がようやく颯斗に気づいた。
「やあティナさん。またお邪魔してるよ」
「何だ、君か。いつもながら汚い部屋で済まないな」
声もかけずに居座っていた颯斗の事を気にした様子もなく、ティナも颯斗に向き直る。
部屋が汚いのは、本当にいつもの事なので二人とも気にしていない。
「悪いだけど、今日もここで安ませてくれないかな?」
「ん? あぁ、もちろん構わないよ。また第三王女様かい?」
こうして颯斗がティナの部屋に夜にやってくるのは初めての事ではなく、颯斗はここ最近ずっとティナの部屋で寝泊まりしている。
この部屋は、颯斗にとって居心地が良かった。
人の心を読み取る魔法――だが、その力が効かない相手がいる。
その一人が、目の前の王国魔導士であるティナだ。
彼女自身も魔法使いであり、普段から強固に防護の魔法を重ねているティナは精神的な魔法に対する備えも万全なのだ。
他に、単純に高い力量の者の心を読み取るも出来ない。
そういった者は、本能的に颯斗の魔法に対抗してくるのだ。
ただし、無理矢理にでも読み取ろうとすれば、それは可能となる。
しかし颯斗がティナにそんなことはしない。
颯斗にとっても、少しでも気の許せる相手に嫌われるようなことをするのは、ゴメンなのだ。
それに、王国魔導士であり、ルーテリア王国の魔法使いから慕われる存在にあるティナだが、その見た目はまるで幼女なのだ。
低い背に、くりっとした茶色の瞳、そして長く伸ばした藍色の髪。
率直に言うと、とても可愛らしい見た目をしている。
だが実年齢は本人の申告では三十歳を超えているという。
(魔法のある世界ってほんと何でもありなんだね)
「むむ、何やら私の容姿について何か思わなかったかい?」
颯斗の心中を察してか、わざとらしく頬を膨らませるティナ。
そんな様子もとても可愛らしい。
「僕は何も思ってないよ。それよりも、また魔法について教えてくれないかい?」
努めて平然を装い、自然にティナに話しかける。
ティナは王国魔導士で、彼女の知識は魔法という分野において他の魔法使いと比べて抜きん出ている。
颯斗が魔法を初めて教わったのも、ティナからだ。
といっても、颯斗は魔法を扱う為の魔力の扱い方、その触りだけで後は膨大な魔力で神羅万象をモノにしているので、ティナは教え甲斐のない生徒だと思っていたりする。
「ふむ。まぁ、私の研究も急ぐものでもないからね。では今日は初級魔法の応用についてご教授してあげよう。君はすぐに魔力でどうにかしようとするが、従来魔法は先人たちの絶え間ない努力の結晶だ。緻密で念密な魔法陣、遥かな昔から受け継ぎ、今の魔法のスタイルは完成している」
ティナは椅子から立ち上がり、魔法についての講義を始める。
幼女がだぼだぼの白衣を着ている様は、やっぱり可愛らしいだけで威厳は見当たらなかった。
「魔法とは、魔力と呼ぶエネルギーを操る事で、この世の事象に干渉して引き起こす現象だよ。その為に私たちは、引き起こす現象を記した、魔法陣を用いることになる。これは長い歴史の中で培われ、そして築かれた知識だ。無駄を省き、望む現象だけを引き起こす事が出来る」
ティナが指先に魔力を集中させ、宙に向かってその指を動かす。
すると瞬く間に宙に小さな魔法陣が描かれた。
「これが初級魔法である火の魔法陣だよ。簡単な火種を生み出す事の出来る魔法だけど、別の魔法を同時に使う事で魔法同士を組み合わせることも出来る」
ティナは今度は、別の魔法陣をその隣に描いた。
「これが何の魔法陣かわかるかい?」
ティナに言われて、颯斗は魔法陣を観察する。
「これは、微風の魔法陣ですね」
「正解。魔法陣を見ただけで、一体何の魔法か区別つけるのは難しいんだよ。何せ魔法陣は、古代言語で描いているからね。それに複雑で、初級魔法なんかどれもほんの少しの違いしかないからね。だけどその違いが分からなければ、魔法使いとしては二流だよ。魔法陣を一目で判断出来れば、相反する魔法、有利な魔法が何かわかるようになる。私が教えた魔法使いには、まず魔法陣の区別がつくように教えているんだよ。おっと、話が逸れてしまったね。そう、これは初級魔法・微風。名前の通りに微妙なそよ風程度の風を生み出す魔法だよ。だけど」
ティナは解説の間に、最初に描いた魔法陣で初級魔法・火を発動させ、指先に小さな火を灯す。
ライター程度の火だが、次に発動させた初級魔法・微風を発動させると、指先に灯した小さな火が大きく燃え上がった。
「と、こんな風に火は風の力を受けて大きくなる性質がある。これはあくまで例で、他にも初級魔法の属性の組み合わせ次第では中級魔法並みの効果を発揮することもあるんだよ」
属性とは、火、風、水、土、光、そして闇の六属性に分類されている。
他にどの属性にも属さない無属性もあるが、無属性魔法はほとんど知られていないのでティナは颯斗に説明しなかった。
闇属性は特に禁じられた魔法に多く、逆に光魔法は、人を癒し導く魔法が多いとされている。
魔法の属性の組み合わせは、科学の領域だ。
風の初級魔法でも、ただの空気ではなく、大気の種類を熟知していれば様々な風を生み出す事が出来る。
魔法に必要なのは、確かな知識と、何よりもイメージなのだ。
「なるほど」
と、颯斗は頷く。
今度は、颯斗自身が試してみた。
だがティナのように魔法陣を使わず、指先に魔力を集中させると、ティナの初級魔法・火のように指先に炎が灯った。
だがその火の色は、オレンジに近い赤ではなく、それよりも高温の青い炎だ。
「むむ。やっぱり君に魔法を教えるのは面白くないね。私より優秀な魔法使いに魔法を教える私の身にもなってくれないかな」
と、ティナはまたわざとらしく頬を膨らませて不満を口にする。
その仕草が可愛らしく、思わず颯斗はティナの頭を撫でる。
ティナの方も初めてではないとはいえ、颯斗に頭を撫でられるのを拒否しなかった。
「しかし、王国魔導士である私の頭を撫でるのは君だけだよ。他の奴なら一瞬で消し炭にしてるところさ」
「いやでしたか?」
「ふふん。構わぬよ。君に撫でられるのは、悪くない」
そんな風に、穏やかな気分で颯斗はティナの部屋で夜を過ごした。
* * *
翌朝。
地面から伝わる足音で、颯斗は目を覚ます。
この世界に来てから、颯斗の目覚めは以前に比べてとても良く、寝ぼけるという事もなく意識を覚醒させる。
ティナの姿を探してみると、ティナは机に突っ伏して眠っていた。
彼女の事を起こさないように気を付け、その辺においてある毛布を掛けて颯斗は部屋を出る。
「おはようございます、ハヤト様。国王様がお呼びです」
「分かった。いつもありがとう」
颯斗を呼びに来たのは、王城に勤める若いメイドだった。
彼女は最初から颯斗がここにいることを知っていたようで、実際にいつも颯斗を呼びに来るのも彼女だ。
メイドの用事はそれだけなのか、颯斗に深々と頭を下げて長い廊下を歩いていく。
颯斗は気が滅入るのを感じながら、王がいるであろう場所に向かった。
そこは、王族が食事をする為の一室だ。
部屋の前には二人の騎士が控えているので、一目でわかる。
「入っても構わないだろうか?」
颯斗が尋ねるが、騎士二人は颯斗に視線を向けようともしない。
返事がないので、構わず颯斗は扉を開けて中に入る。
その部屋にいたのは、王だけではなかった。
短く切り揃えた赤髪に、端正な顔立ちのルーテリア王国第一王子。
第一王子とは正反対に、鮮やかな青色の髪の、一見すれば少女にも見える第二王子。
とび色の髪色に、美しい顔立ちの第一王女、そして双子の妹である第二王女。
第二王子と同じく青い髪に、美しい顔立ちの第三王女の姿もあった。
ここにいるのは、傍に控える近衛騎士を除けば王族ばかりだ。
他にも第三王子と第四王子、そして第四王女がいるはずだが、その三名は現在は他国の学園に通っていると颯斗は前に聞いている。
家族の団欒だというのに、重々しい空気に気まずさを覚えながら、颯斗は席につく。
王族とも距離の離れた席だ。
「おはよう、ハヤト殿。昨日はよく眠れただろうか」
気まずそうに食事をしようとする颯斗に、王が声をかける。
その目には覇気がなく、疲れてそうだが颯斗が原因っぽいのでその事には触れないことにする。
「はい、おはようございます。おかげ様で、良く眠れました」
「あら、私の元ではなく、どなたの元でお休みになられたのですか?」
颯斗の言葉に反応したのは、第三王女だった。
彼女こそが、毎夜颯斗の部屋にやってくるルナリア姫だ。
彼女も颯斗が昨日、誰の所に行っているのか知っているだろうに、その当てつけからか言葉の端々に棘を感じる言い方だ。
「全く、ルナリアもいい加減ハヤトくんの事を諦めたらどうだい? ハヤトくんも、ルナリアのようなアバズレは嫌いなようだしさ」
颯斗がなんと言おうか迷っていると、代わりに第二王子がルナリアに話しかけた。
「あらやだ、いらっしゃったのお兄様? 小さすぎて、見えませんでしたわ」
第二王子の挑発を含んだ言葉に、ルナリアもまた挑発するように返す。
確かに第二王子は小柄で中性的な顔立ちをしている。
第二王子と第三王女は同じ母親の元で産まれたが、仲が悪いのは見ての通りだ。
「くっ、アバズレ!」
「まぁ、酷い言われようだわ。チビ」
「ビッチ」
「まぁ酷い。私は紛れもなく処女ですわよ。何なら、今すぐハヤト様に確認してもらっても構わないわよ。そういうお兄様は、経験がございましたっけ? あはは! そうでしたわ。伽の最中に怖気付いて逃げ出したんでしたっけ?」
朝の食卓、それも王族と思えないような下品な言葉の応酬。
その場を治めたのは、王だった。
「いい加減にせぬか!」
テーブルを強く叩き、声を荒げる王に第二王子も第三王女も黙るしかなかった。
ますます気まずくなる中、颯斗も食事をすることした。
ほんとは別が良いのだが、これは王の好意という名目で颯斗も混じっている。
そう簡単に断れないのだ。
といっても朝を乗り切れば、あとは忙しい面々は別々の食事となる。
「してハヤト殿、今日はどうなさるつもりなのじゃ?」
王族に混じっても恥ずかしくない程度のマナーを教えられた颯斗が気を付けながら食事を続けていると、王にそんな風に話を振られた。
11/11一部表現の変更しました。
11/21一部会話、表現の変更を致しました。