【第九十一話 狼の都】
空間を振るわせるような遠吠えが、ロニアの鼓膜を揺らした。
ロムレスの肩越しに、音の振動が胴体にも伝わる。
眼前に栄える街、というよりも村は、ヴォルコフという。
ヴォルコフは、ホーラドゥナと比べると、レンガではなく木製の民家が多いようにも見えた。
赤レンガの家は、特に背の高い数軒しか見受けられない。
村が近づくにつれ、住人ともすれ違うようになった。
深々とフードを被り、琥珀色の眼光がロニアたちを一瞥する。
「ど、どうも」
「うっす。邪魔するぜ」
ロニアとロムレスが挨拶を送ると、住人は足を止めた。
すると、住人は急接近。
ロニアの方へと、何かが突き立てられる。
「えっ……?」
黒い先端は湿っている。
鼻先から目元にかけて、白い毛皮。
それ以外は、紺色をしている。
スンスンと、それは匂いを嗅ぐように微動した。
「……おなじにおい」
どこか力強い、女性の声だった。
「そりゃそうだろ。俺の甥だぜ?」
「甥。そう、お前には甥がいたのか」
女はフードを下ろす。
すると、狼のような顔面が現れ、窮屈さから解放された両耳がピンと直立した。
彼女は異種族のひとつ、狼の氏族だ。
「確かに、こうしてみればお前にそっくりだ」
「え、えと……。アナタは?」
ロニアは、ロムレスの頭頂部を鷲掴みにし、腰を引いた。
「こいつはルミ――」
ロムレスが本名を言いかけるのを、女は鋭い声で遮った。
「ルパ。そう呼べ。それ以外は許さない」
ルパと名乗った雌狼が鼻を鳴らし、温かな風がロニアの頬を撫でる。
居ても立っても居られなくなり、ロニアはたまらずロムレスからずり落ちる。
「あんま虐めてやんなよ。こいつ、色々繊細なんだ」
「繊細なのは間違いじゃないけど……」
ロニアは何かしら反論を述べようとしたものの、適した言葉が見つからずに喉を鳴らした。
これでは、まるでロニアがか弱い小動物のような印象を持たれてしまう。
ルパが、まるで獲物を見つけたように目を細めた。
「へぇ? カワイイじゃん」
改めて見上げれば、彼女は流石にロムレスほどの身長はない。
だがそれでも、セスのようなスレンダーさを彼女は備えていた。
ルパが背を弄ると、ふわりとした尻尾が零れる。
それは高く直立しているのか、毛並みの一部が逆光となって黒く強調されていた。
「んで、なんのようだいロムレス。プルマのやつは今いないぞ」
「食材を貰いに来たんだよ。ホーラドゥナが、ちとおかしくてな」
「ルパさん、プルマってのは……?」
ロニアが訊ねると、ポケットの内に突っ込んでいたルパの右手が彼女の顎に運ばれる。
「あぁ、プルマっていうのは、狼族と人族のハーフなんだよ」
「へぇ……?」
ロニアが、流し目でロムレスを睨みつける。
ラティファとの剣呑なムードといい、この軽薄さといい。
さては、浮気が原因で破局したのでは?
そう仮定した。ロムレスならやりかねない。
自分はカレン一筋だ。浮気はありえない。
ロムレスが冷汗を垂らし、首を何度も横に振りながら両手を前に突き出した。
「い、いやいや! 浮気したわけじゃねぇから! ヴォルコフの長老の娘ちゃんなの!」
あまりにも必死さに、ロニアは思わず苦笑を零した。
ルパも腹を押さえながら笑っている。
「ははっ! お前と違って、甥っ子ちゃんはちゃんとしているなあ! お前、名前なんて言うんだ?」
「ロニアです。ロニア・ロンド」
「へえ、かわいい名前じゃないか!」
言って、ロニアの生糸のような白い頭髪を撫でまわすルパ。
ふわりとした柔らかさの中に、どこか硬い爪を感じた。
乱雑なのに、肉球の弾力だけは妙に優しかった。
ロニアの案内は、ルパが受け持ってくれるとのこと。
ロムレスが「俺が」と名乗り上げたが、なにぶんいい加減な性格だ。
信用できないうえに、「ナワバリ」に迷い込んでも困るとルパは言った。
街並みにホーラドゥナとの違いがあるかと言えば、ないと答えるだろう。
向こうの住人が、そのまま狼族に置き換わっただけにすぎない。
道行く人々も、店番の人も。
みな、直立した耳を持ち尻尾を振っている。
それなのに、ホーラドゥナと同じような訛りの混じった言葉を発していた。
失礼に当たるが、ヴォルコフは獣臭い。
きっと、入浴などしていないだろう。
よく考えれば、ルパも臭っていた。
「おい、人族だぜ……」
「あ、でもロンド家だ! じゃあいいか!」
住人の会話に耳を欹てると、どうやら人族というのは歓迎されないようだった。
だが、ロンド家は別らしい。
「しっかし、ヴォルコフに来たのがあんたらでよかったよ。知らない人間だったら、食い殺されたかもな」
「ルパさん、ロンド家って昔何したの?」
「ああいや、歴史は詳しくないんだわ。気になるなら、長老に訊いてきなよ」
そうしようかなとロニアが体を傾ける。
ロニアの華奢な肩を、万力のような力で押し戻すのはロムレスだった。
「こらこら。当初の目的を忘れんなよ」
「わかってるってば」
ロニアは頭を掻きながら口を窄めた。
「さっきから気になってたんだけどさ。ホーラドゥナの奴らどうしたんだよ」
「アマクサが言ってたんだが、まるで洗脳されていたんだってよ」
「洗脳? 誰に」
「わかんねえけど、近くに茨の劇団のやつがいたっぽい。ほら、赤い服装の……」
その言葉を聞いたルパから、口元に浮かべていた笑顔が消えた。
口元からは牙が見え、耳は水平に突き出る。尻尾は大ぶりに振られていた。
「なんだって……? それなら、うちの若い衆が何人かそいつに着いて行ったぞ!」




