【第三十四話 エーテル列車】
やんややんやと文句を言われながらも、ロニアたちは目的地に到着したようだ。
腹に響く船笛の音と、鼻腔を突き抜ける潮の香り。このにおいに良い思い出はなかった。
しかし、生命のない暗いだけの深海とは違い、この海は活気にあふれていた。
「つきましたぜお客さんら!」
荷台を曳いていた馬人のひとりが、入り口に掛かっていた布をばさっと開いた。
彼が困惑の声を浮かべた。なぜなら、内部はひとつの大玉が支配していたからだ。
マチィナが、耳元で唸っている。
ロニアの額に汗が滲んでいたのは、きっと着込みすぎたせいだろう。
「うぐぐぐ……狭いのです……死ぬかと思ったのです……」
「……せめぇ」
「ロニアくん……っ! ちょっと動けない……?!」
もぞもぞと動いてみると、荷台が踊るように揺れた。
馬人の男がひとりづつ救出し、残るはロニア玉だけだった。
「嬢ちゃん、俺の手を掴むんですぜ!」
「坊やです」
がっしりとした手。純粋な人間よりも発達した筋肉量。
これが、異種族たるゆえんなのだろうか。
などと考えていると、糸を引かれたように体が彼に迫った。
頭だけがわずかに遅れ、首がもたげるような鈍痛が響いた。
誇示するだけの筋肉ではなく、それはまさしく力の証だった。
「うっしゃあ! 見たかいなワシの筋肉!」
実際の馬のように、鼻をふすんと鳴らしていた彼。
誰もが、おべっかとして拍手を鳴らした。
四人で、銅貨三枚。破格の安さで、明日の食い扶持にも困っていたロニアでも払える値段だった。
さて、ここはケリドリヒ。貿易が盛んな港町で、見えるものだけでも貿易船が4隻停泊していた。
はるか地図の端にある国々から輸入した香辛料や、鉱石。こちらからは、労働力を輸出していた。
通行人の会話を欹てていると、向こうで働くのは高賃金なのだとか。
沃野を開墾し、新たなインフラを根付けるのは、ある意味では英雄的行動だ。
「でさ、駅ってどこなの?」
「ちょっと待ってなのです。確かもうすぐで――」
町を揺らす、何かの咆哮。
音の方を向けば、空を走る鉄の塊。蒼煙を上げ、ふしゅふしゅと唸っていた。
紺色のボディに、黄金色の輝く眼光。駆動する車輪。
「おお、あれが……」
エーテル列車。
まるで生きているように蛇行し、波止場とも違う建築物へと侵入していった。その建物は棺桶のようだと、不謹慎だがロニアは思った。
「話には聞くけど、やっぱり凄いねあれ……」
感嘆するカレン。列車の残した蒼い霧を指し、鼻息を荒くするのはリウだった。
「すっげえ! なあなあ! 早く行こうぜ!」
「子供だな、そんなに急がなくても」
などと言いながら、先頭を歩いていたのはロニアだった。
元天使でありながら、誰よりも少年らしかった。
天界にも、あの規模のテクノロジーはない。
上級天使たちの権能で十分補えてしまうからだ。
しかし、神も男心をよくわかっている。
彼はかつて『浪漫に欠ける。機械はでっかくあるべきだ』と言っていた。
ロニアも男の子だ。その心は、よく理解できる。
ケリドリヒの潮風は、熱気をはらんでいた。
船が出航する際に消費する燃料のせいもあるのだが、何より住民の活気によるものだった。
サウムルにもいた異種族が、ここケリドリヒにはごまんといた。
小さな学校もある。クリスタリアに迎えられないものたちは、ここで生計を糊するのだった。
潮のにおい、煙のにおい、汗のにおい。
清廉で、どこか澄んだ雰囲気のクリスタリアとは真逆だった。
パッション。それが、ここケリドリヒを形容するうえで適切だろう。
「あれ、どうしたのみんな。置いてくよ」
「ぜぇっ……ぜぇっ……け、けが人に気を遣ってくれよ」
「これじゃあスノーマンじゃなくてハリネズミだよロニアくん……!」
マチィナだけが息を切らすことなかった。何でもないように、列車の眠る建造物を凝視している。
「マチィナは、どれくらい久しぶりに帰省するの?」
「……わかんないのです。自分がシトリウスの人ってことは覚えているですけど」
「……なんだか、奇妙な物言いだね」
「そうなのです。私は、奇妙なのです」
そう言い放つ彼女は、どこか無機質に映った。けれど、ロニアには大した問題ではなかった。
誰にどのような問題があれ、瞬きをすればそれはもう解決している。
時間とはときに恐ろしいが、最も頼もしい友となりえる。
永い時を生きてきたロニアだったが、時間と神には頭が上がらない。
いや、最近はそこにカレンという少女も加わったな。
そんなことを考えながら、ロニアたちは列車の眠る棺のような場所に足を踏み入れた。
駅と呼ばれるこの場所は、あまりにも多種多様な生き物たちでごったがえしていた。
カレン曰くロニアと親戚らしい鳥人種も何人か見かけた。
この建物には、熱気が籠っている。さすがにスノーマンも限界を迎え、ロニア・ロンドを吐き出した。
わずかに汗をしみ込ませた衣服が、ロニアの肉体に張り付いていた。
青い大蛇、エーテル列車は窪みにすっぽりと収まっている。
黄金色の瞳は閉ざされ、まるで眠っているようだ。
車輪が見えた。接地しておらず、わずかに浮いているように見えた。
「ふぅん、そういう仕組みね」
「お、また何か聞かせてくれるの、ロニアくん?」
「ふふん、聞きたいかい?」
「……俺は寝ちまうからパスで」
しょぼん。わざと、肩を落としてみる。
リウが慌ててロニアの話を聞きたいというので、満更でもなさそうな顔で胸を張った。
「旅のお供にロニア・ロンド。退屈はさせないよ」
欠点は、本人が途中で退屈して寝てしまうことだったが。
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ずびっ。鼻をすする音が、吹雪の中でこだました。
翼が縮こまってしまいそうな冷気。人間の体にモデルを変更したせいか、鼻水が止まらない。
熾天使の制服は、やけに露出が多かった。右手に持つ燃え盛る剣が、やけに心強かった。
抱きしめてやりたいほどだと、ウリエルは思った。
喉元のチョーカーが、金色にてらてらと輝いている。
それが目印となったのか、吹雪の奥から少女が現れた。
燃え盛るドレスのフリル。灼熱かと思えるはずなのに、その炎はきんと冷たかった。
彼女はウリエルのつま先から頭頂部まで舐めまわすように観察すると、カーテシーを見せた。
つまむドレスもないので、ウリエルは腰を曲げて礼節を示した。
「ウリエルさま。よくぞ天界からわざわざお越しくださいました。さぞかしお暇なのだとお見受けします」
「相変わらず一言余計ですね、サタン。ここには娯楽がないのですか?」
「娯楽があれば地獄ではありませんけど。平和ボケも大概になさってください」
「……言い返せません」
「ふん。これで3万6千645戦中、ワタシが勝ったのは3万6千600戦目ですね」
サタンは相変わらず鉄のような表情だった。にこりとも笑わない。
彼女が笑う時があれば、大抵それは嘲笑を意味する。心の底から、愚弄しているのだ。
もはや慣れたものだと、ウリエルは思った。
何せ、サタンがまだルシフェルの内にいたころからの付き合いだったからだ。
「まったく、ルシフェルが二人に増えたときは頭が痛かったですよ」
「はあ。クソ兄貴はワタシとは関係ありません。今はそれよりも、アナタが仕留め損ねたバカの対処でしょう」
「そのために、わざわざ連絡したのですよ」
「時間を考えてください。こっちは夜だったんですよ。それとも何ですか、天界の激務とやらで、感覚がイカれましたか?」
がるると唸りながら、ウリエルを見上げるサタン。
彼女の言うバカとは、嫉妬の大罪たる彼女のことだろう。
レヴィアタン。ロニアの前に二度現れ、一度はウリエルが払ったものの、奴は完全な器を用意していたのだ。
蛟月天という、極上の受け皿。最上の依り代。
だが、元天使であり、熾天使の寵愛を受けていたロニアに手を出したのが間違いだった。
「こいつの処遇は、ワタシたち地獄の大罪の間でも意見が分かれています。ベルフェゴールのグズはどこかへ行きましたし、マヌケのマモンは部屋から出てきません。ハエ野郎は、きったねぇ面を見たくないのでまだ会っていませんし、頭がピンク色のエロ魔女は、『かわいいんなら助けるわぁ』とかほざいてます」
「マモンは、おそらくワタシが倒したせいでしょう。トラウマになって出てこないのかと」
余計なことをしやがって。
言って、振り返りながらサタンは視線を上げた。目線の先では、3つの顔が人々や悪魔たちを食らっていた。
断末魔が絶えず響いていた。ここは、より寒々としている。
「ここが、ルシフェルくんの管轄なのですね」
「ええ。傲慢なる三顔。ここコキュートスの象徴ともいえる兵器であり、ルシフェルが開発しました」
「兵器? これがですか?」
「……と、兄貴は言っていました。ぶっちゃけ、兵器であるにしろないにしろ、このデザインは正気を疑いましたが」
断末魔の中に、やけに響く声があった。少女の叫び声だ。
サタンが大きくため息をつくと、シューズを脱ぎ捨てた。
彼女は素足のまま、氷の張った地面を歩き始めた。
「え、土足はダメなんです?」
「そりゃそうですよ。あんなんですけど、一応ここはテーブルの上。ワタシたちは食材ですから」
首を傾げるウリエルをよそに、黒炎の残像とともに跳んだ。極寒の水が散る。
炎が噴出する力を利用して、はるか頭上。三顔の眼前へ。
サタンは、正面の口でじたばたと藻掻いている少女を引っ張り出した。
閉じていた目をかすかに開くウリエル。右手の剣の炎勢が増した。
来る。サタンが、こちらに投擲の構えをとっていたのだ。
叫び声が聞こえる。これはきっと、悪魔や罪人のものだろう。
断裁する用意はできている。来い。ウリエルが、剣を振ろうとすると――。
「にょわあああああ! ストップ! ちょっと待って! ちょ待てやおい!」
間の抜けた声が、ウリエルを制止させた。
受け止めたほうがいいと判断し、少々手荒だが抱え込むようにキャッチした。
彼女は、ぐえっと声を上げて、腹部を抑えながら丸くなっている。
依り代だった女とは違う、細身の少女だった。
髪先に行くほどに黒くなっていくその青いポニーテールは、彼女の正体を何よりも雄弁に語っていた。
「それが、アナタの本当の姿ですか」
「ええ。そして、地獄の管理者たるワタシの頭痛の原因」
レヴィアタン。その真なる姿。
「いやぁ~、あはは。アタイ、やっぱ問題児? ちょ、顔怖いってばよ……!」




