【第二話 結成! 砕獣研究クラブ】
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
カレン・フランカ・クリスティーナ。
この少女は、確信を持ってロニアを『天使』だと断定している。ロニアの怠惰という名の平穏が、ガラガラと音を立てて崩れ去ろうとしていた。
「……は? 天使? カレンさん、寝言はベッドで言うべきだよ」
ロニアは努めて冷静に、欠伸交じりに返した。
だが、カレンの眼鏡の奥にある青い瞳は笑っていない。
「とぼけても無駄だよ。背丈に声色、そしてあの独特な気怠げな雰囲気。間違いない」
「人違いじゃないかな。ボクはただの通りすがりの、善良で無気力な一般生徒だ」
「じゃあ、昨日の夕方どこにいたの?」
「だから寝てたって。それぐらいしかやることがないから」
ロニアが右方向に視線を逸らすと、カレンは『ふうん』と鼻を鳴らした。
その表情は、探偵が犯人を追い詰めるときのそれに近かったが、ふと空気が弛緩した。
「まあ、いっか。今はそういうことにしてあげる」
カレンは悪戯っぽくウィンクをすると、デスクで事の成り行きを見守っていたセスに向き直った。
「セス先生。前からお訊ねしていた『砕獣研究クラブ』の件、いかがですか?」
「好意的に検討しよう。だが、ひとつだけ条件がある」
セスが立ち上がり、彼女の黒い瞳をキラリと光らせた。
「ロニアも入部させろ。でなければ、私は顧問を固辞する」
「なっ……!」
ロニアは素っ頓狂な声を上げた。天界にいた頃も含めて、最大級の音量だったかもしれない。
セスの言葉にカレンは目を輝かせ、ロニアへ振り返った。まるで新しいおもちゃを与えられた子供のようだ。
「ちょ、ちょいちょい。待って。なんでボクが、そんな如何にもめんどくさそうなクラブに入らなきゃいけないのさ!」
「入るの。だって私、もっとあなたのことを知りたいから」
「ボクを? どうして。こんな男、面白くないよ。ずっと寝てるだけだし」
「だって私たち、なんだか似ている気がするから」
似てる? どこが。
やる気に満ち溢れた優等生と、怠惰を極めた堕天使。
水と油もいいところだ。
しかも、天界を追放されるレベルの怠惰さと来た。
ロニアが拒否しようと口を開きかけたとき、セスが口を挟んだ。
「いいだろう。ロニアの入部を許可する」
「先生!? ボクの意思は!?」
「ロニア。お前はもっとたくさんの人と関わるべきだ。私だけじゃない、同年代の子と縁を持ち、助け合える仲間を作るんだ。……それに」
セスは意地悪く口角を上げた。
「入部しないと言うのなら、お前の『寮の特等ベッドの使用権』を見直さねばならんかもしれんなぁ。成績優秀者への特例措置だったんだが……協調性が無いとなると……」
「……脅しのつもりですか? それでも先生ですか?」
「好きだろう? あの陽当たりのいい、ふっかふかのベッドは」
ベッド。
ロニアの聖域。
何者も侵すことのできない禁足地。
常にどこか不機嫌そうな彼が、唯一表情を綻ばせる場所。
硬い床で寝るなど、堕天使のプライドが許さない。
今の快適さをドブに捨てるぐらいなら。
そう考えると、天秤が大きく傾いた。
「ああもう……。入ればいいんでしょ、入れば」
「決まりだね! よろしく、ロニアくん!」
カレンが満面の笑みで手を差し出した。
ロニアはその手をじっと見つめる。
彼の視線が、カレンの顔と手を交互に見た。
「……え、なに? どうしたのロニアくん?」
「まさか……握手を知らんのか?」
セスが呆れたように言った。
「あくしゅ……ああ、互いの掌にある病原菌を交換し合う、あれ」
「ひどい言い草だな……。いいか、友好関係を結ぶときは、こうやって握手をするんだ。これは縁の始まりの儀式。怠るなよ」
セスに促され、ロニアはおずおずとカレンの手を握った。
柔らかくて、温かい。
心が春の日差しに包まれたような感覚。
「ロニアくんの手、すべすべだね」
「……ん。どうも」
なんだか面映ゆくて、彼女の顔を直視できなかった。
心臓が、とくんとくんと拍動している。
─────────◇─────────
カレンに連れられ、一同は校舎の空き教室に向かった。
ここが『砕獣研究クラブ』の部室になるらしい。
中央に古びた金属製の机があるだけの、殺風景な部屋だった。
「さて、と。晴れて部員も増えたことだし、本題に入りましょう。セス先生。私たち、人型砕獣と遭遇しました」
「おそらく……私が遭遇したモノと同一個体だろうな」
カレンが机の上に大きな紙を広げた。
ダンジョンの見取り図だ。所々に書き込みがされている。
鹿型。犬型。鼠型。
おそらく、遭遇した砕獣の種類だろう。
それぞれに番号が割り振られており、それは危険度を意味するとカレンは語った。
「でもあれって、明らかに異常個体ですよね?」
顧問としてついてきたセスが、腕を組みながら頷く。
「本来、砕獣の核はカビの一種だ。岩石を捕食し、増殖するだけの単純な生物。だが、あの人型は違った。知性があり、武器を作り出し、戦術を駆使していた」
「突然変異種、それとも進化種ですか?」
カレンの問いに、セスは重々しく頷いた。
「生態系が変わろうとしてるのかもしれん。我々人類に対する、警告のようにな」
ふたりの深刻な会話を聞きながら、ロニアは欠伸を噛み殺しつつ、ぼんやりと天井を眺めていた。
(なにか違うな……)
ロニアは心の中で呟く。
あの動きは、野生動物の進化だなんて生易しいものじゃない。
双斧を振るう動作。あれは捕食ではなく決闘のそれだった。
かつて天界で管理を担当していた、剣闘士の魂に近い。
「ねぇねぇ、ロニアくんはどう思う?」
急に話を振られ、ロニアは肩を竦めた。
「ん〜……。ボクが思うに、まず自然界じゃありえないよね。斬りつけるだけが目的の生き物なんて。それこそ、ニンゲンぐらいじゃない?」
「動物は武器こそ持っているが、全て捕食のためだからな。あいつは、なんだか――」
闘いを楽しんでいた。
セスが、呟くように言った。
「遭遇したらしいが、カレン。よくお前は逃げ延びられたな」
「誰かが助けてくれたんです。綺麗な……翼でした」
カレンが横目にロニアをチラリと見る。
ニヤリと口角が上げられ、彼女は目を細めた。
ロニアは再び視線を逸らし、下手くそな口笛を鳴らす。
その時、部室のドアが開いた。
「失礼します。遅くなりました」
「お、遅れましたのですぅ……」
現れたのは二人組。
鋭い燃えるような赤髪の少年と、ふわふわとした桃髪の少女だった。
昨日の戦闘で気絶していた二人である。
「紹介するよ。リウと、マチィナ。今日は、魔方陣アートの講義だったんだよね?」
「ああ……。一コマ三時間なんて正気じゃねぇ」
「それよりも、このヒトは誰なのです? 見たことある顔ですけど……」
マチィナが、怪訝な表情でロニアを見下ろした。
彼女は他の生徒よりも一回り小さかったが、それでもロニアよりもわずかに背が高かった。
「このヒトはロニア・ロンドくん。私が推薦したんだよ」
「カレンがか? ならまあ……」
「よ、よろしくお願いしますなのです……」
マチィナがおずおずと頭を下げる。
ロニアは心底面倒くさそうに片手を上げた。
「よろしく。カレンさんが言った通り、ボクはロニア。……まあ適当にがんばるよ」
握手を交わしながら、ロニアは二人の力量を肌で感じ取っていた。
カレンほどではないが、魔力の質は悪くない。
まだまだ粗く、磨けば光る原石と言えよう。
(ま、ボクが磨く義理はないけどね)
騒がしいクラブ活動と学園生活が幕を開けた。
しかし、ロニアは知る由もない。
クラブ活動を通して、自分が変わっていくことを。




