【第一話 堕天使の怠惰な日常】
「はあ……ダル」
ロニア・ロンドは、欠伸を噛み殺しながら指を鳴らした。
「【赤魔法:吹き荒れよ炎槍】」
七つの赤い魔方陣が展開し、めらめらと燃える炎の槍が射出される。
眼前の怪物が、牛と蛙が混ざり合ったような断末魔を上げ、一瞬で消し炭となった。
後に残ったのは泥のような残骸と、鼻腔をツンと突き抜ける鉱物の臭い。
「目的の砕獣撃破を確認っと。……んじゃ、ボクはもう帰ります」
鞄から取り出した水晶に語りかける。
映し出されたのは、目つきの悪い、しかしどこか包容力のある女性教師、セス・アダマンティアだった。
「流石、学院一の天才だ。仕事が早いな」
「天才って……勘弁してください。ボクはただのコトなかれ主義なんです」
「はいはい。報告ご苦労様。さっさと戻ってこい、授業が始まるぞ」
「ええ……今日は自主休講のつもりだったのに」
ロニアは深いため息を吐いた。
暗い洞窟を抜け、外に出る。
外界の眩しさに目を細めるロニア。
茜色の陽光が、彼の白銀の髪を赤く染めていた。
─────────◇─────────
翌日の午後。クリスタリア魔術学院の講義室。
窓際の一番後ろの席で、ロニアは机に突っ伏していた。
「ロニアのやつ、また寝てるよ……」
「羨ましいよなぁ。なんにも悩みなさそうで」
周囲の囁き声など意に介さない。
何万年も生きた彼にとって、基礎魔法の講義など子守唄にもならない。
「ロニア・ロンド。授業中に惰眠を貪るとは、いい度胸だな?」
教壇に立っていた小太りの教師が、指先からチョークを弾き飛ばした。
魔法による加速。それは弾丸にも迫る速さで、ロニアの額へ迫る。
だが、直撃の寸前――。
ぐにんっ。と見えない膜に阻まれ、チョークが中央で折れた。
無意識化に発動する【自動防護壁】だ。
「んぅ……?」
ロニアが顔を上げる。彼の真っ赤な眼はぼやけており、口元には涎の跡があった。
教室中の視線が、彼に集まっている。
教師がなにか面白いことを思いついたのか、口髭を撫でながら言った。
「ふむ。起き抜けだが答えてもらおうか。現在、この学院を保護する防護結界の構成術式は?」
「むにゃ……六層構造の多重展開。0.3秒ごとに術式をランダムに書き換え、外部干渉を遮断。解除キーは十二神徒の杖、もしくは学院長の生体認証」
寝ぼけ目をこすりながら、すらすらと答える。
「せ、正解だ……。書き換えの周期まで把握しているとは……」
教室がざわめき、教師は絶句していた。
そんな中、ロニアは再び机に突っ伏した。
「正解なら、寝かせてくださ〜い……」
そんな騒動も束の間、終業の鐘が鳴り響く。
ようやく平穏な放課後が訪れた。
そう思った矢先だった。
「ロニア・ロンド。セス先生がお呼びだ。至急、準備室へ向かうように」
「うへぇ……。前言撤回。平穏なんてなかった……」
ロニアは引きずるように重い足取りで教室を後にし、準備室の重たい金属製のドアを開けた。
途端、腐ったような血の匂いが鼻をつく。
椅子に腰かけていたセスの表情は蒼白していた。
「あぁ、ロニア……。来てたのか……」
立ち上がろうとするセスが、表情を歪めた。
うずくまり、嚙み締めるように唸っている。
「先生……脚、やられましたね?」
「ああ……不覚を取った。近くのダンジョンを下見に行ったんだがな」
セスがタイツを捲ると、赤黒く腫れあがった痛々しい傷跡があった。
「動かないでくださいね。すぐ治しますから」
「治すって、どうやって――」
「【白魔法:回帰】」
ロニアの掌に、純白の魔方陣が浮かんだ。
柔らかな光が傷を包み込むと、見る見るうちに晴れが引いていく。
「なっ……白魔法!? お前、どこでそんな上位魔法を……」
セスが目を丸くして驚愕する。
白魔法は、十二神徒か天使のような聖なる存在しか扱えない。
「独学です。それに、これくらいしないとボクの平穏は守れませんから」
ロニアが触れてもセスが痛がる様子はない。
すべすべの、いつもの肌があった。
「それより先生。その傷、ただの砕獣じゃないですね?」
「……ああ。人型だ。知性があり、魔力の籠った武器を使う。今の生徒たちじゃあ。遭遇したら全滅だ」
セスの言葉に、ロニアの眉がピクリと動いた。
その時だった。
ドォォン!
遠くで爆発音が響き、窓ガラスがビリビリと震えた。
ロニアが窓の外を見ると、学院外れの演習林から黒煙が上がっている。
「まさか、防壁の中にまで侵入したのか……!?」
セスが杖を掴もうとしてよろめく。
「病み上がりでしょ、先生。休んでてよ」
「待てロニア! お前が行っても敵わない!」
「――誰であろうと、ボクの安眠を妨害するヤツにはお仕置きが必要だからね」
ロニアは窓枠に足をかけ、振り返らずに飛び出した。
向かい風を切りながら、民家の屋根を蹴って現場へと急行する。
住民の怒鳴り声を受け、軽く詫びながら高く跳んだ。
整列された木々を抜け、眼下に見えたのはまさに地獄絵図だった。
三人の生徒が、山羊の頭を持つ巨躯の怪物――人型砕獣に追い詰められている。
「カレン! もう無理、防げないのですぅ!」
砕獣の斧による攻撃を、彼女の身の丈の二倍ほどある剣杖で受け止める桃髪の小柄な少女。
刀身からチリチリと火花が散り、彼女は吹き飛ばされた。
茶髪の少女――カレンが杖を構えるが、その手は震えている。
砕獣が双斧を振り上げる。
死ぬ。
誰もがそう思った瞬間。
「【――人の鎖、蝋の翼、木々の船よ。我が罪を刹那赦し、再び光を我に灯したまえ】」
凛とした詠唱が響いた。
上空から舞い降りた白い影が、怪物の斧を片手で受け止める。
背中には、光り輝く純白の翼。
「え……天使……?」
カレンが、呆然と呟く。
ロニアは首元のチョーカーを握りしめ、冷徹な瞳で怪物を見上げた。
(よし、一瞬で終わらそう)
記憶に埋め込まれていた鍵を引き抜く。
それはコード。それは定義。
それは、事象そのもの。
「一節解錠。鍵は『マタイ』」
足元に白い魔方陣が展開された。
白雷が結合し、光と影を縒り合わせた大剣が出現する。
ロニアの愛剣、【聖剣エレクシア】である。
「【認証。白魔法:是、平和の為ならず。齎すは剣也】」
無機質な女の声が響く。
「断て」
指を弾く。ただそれだけで、剣閃が世界を切り裂いた。
砕獣は悲鳴を上げる暇もなく両断され、灰として足元に散っていく。
「あ、あの! あなたは……!」
カレンが駆け寄ろうとする。
だが、正体がバレるワケにはいかない。
さっきまでと同じように声を低く変え、「無事でよかった」と言い残した。
ロニアは翼をはためかせて空へと消えた。
吹き飛ばされた桃髪の少女と、気絶している赤髪の少年を見る。
満たされたような気持ちの中に、どこか汚泥のように重々しい感覚を覚えていた。
─────────◇─────────
翌日。
セスの職務室のソファで横たわるロニアは憂鬱だった。
昨日の戦闘、誰にも正体がバレていなければいいのだが。
あまりにも調子に乗りすぎた。制服姿を見られたのが痛い。
なんとかごまかせただろうか。いや、どうだろう。
「どうした。いつにも増してめんどくさそうな顔をしているな?」
「そんなに言わなくても良くないですか?」
いつもよりも溜息の多いロニア。
大きな欠伸を漏らしていると、バン!
と勢いよく扉が開いた。
「……あれ、あなたは?」
入ってきたのは、昨日助けた茶髪の少女、カレンだった。
「……何の用だ?」
「ちょっと、先生にお尋ねしたいことがあったんですけど、それが二人に増えました」
迷いのない足取りでロニアまで歩いてくると、前傾姿勢で顔を近づけた。
「え、何……?」
ロニアが顔を引きつらせる。
カレンは眼鏡の奥のサファイアのような瞳を細め、確信に満ちた笑みを浮かべた。
「ねえ、きみ。昨日の夕方、何してたの?」
「いや……寝てたよ」
カレンはロニアの耳元で囁いた。
「ふぅん、――うそつき。でも、昨日はありがとうね」
「……は?」
今この瞬間から、ロニアの怠惰という名の平穏が死んだ。




